カテゴリー「学問・資格」の記事

2016/10/15

近くにいることが大切

小学校などで障害者理解のための教育が推進されるのはわかるけれども、机上の空論になってはならない。

まさにこういうことは百聞は一見に如かずというか、慣れだな、と思った経験が自分にはある。


学生時代に教職課程で数週間、障害者施設を手伝うことがあった。

現場でたくさんの人にふれあい勉強させていただきその修了から数ヶ月後、駅で周囲の人々に脈絡なく話しかけ鬱陶しがられている障害者がいた。


昔だったら、そして(恥ずかしながら)今だったら、きっと周囲と同様ムシを決め込んだりその場を逃げるように離れるのだろうけれど、その時は自然とこちらから、

「電車来るから気をつけて〜」

なんて言いながら何も気兼ねすることなく彼に接していて、自分のことながら驚いたことがあったのだ。

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2016/10/11

出る→忘れる

 スタンフォード大学で教育心理学の博士課程を卒業したMarily Oppezzo氏とスタンフォード大学院の教育学部にて教授を務めるDaniel Schwartz氏の共同研究により、座ったままよりも歩いている時の方が平均で60%も新しいことをひらめいたり物事を生み出したりするときに関わってくる「クリエイティブな能力(クリエイティビティ・創造性・創造力)」を向上させることが明らかになりました。
 研究では、歩くことがクリエイティブな能力を向上させ、これは屋内でも屋外でも同様に効果を発揮する、ということが分かりました。つまり、歩くという行為自体がクリエイティブな能力を向上させる主な要因で、これは環境には大きく影響されない、ということです。また、歩行時は座っている時よりも一貫してクリエイティブな能力が高くなることも判明しています。(後略)
 (14'4.30『GIGAZINE』

かのスティーブ・ジョブズもこのため“散歩ミーティング”を実践していたという。


これは自分のような凡庸な人間でも同様で、通勤時とか移動時とか色々煮詰まって気分転換の散歩時とかに、ぼんやりとあれこれとめぐらせている考えからコレ!といった筋道が見えたりまとまりができたりすることが多々あり、

「この思い、ブログに書こう!」

と奮起するのである。


…が、これでいざ電車に乗って立ち尽くしたり、職場のデスクにどっかりと座ったりすると、

「アレ?何書こうと思ってたんだっけ…」

となるので、この思考の停止が凡庸なる自分が凡庸な理由なのだろう。

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2016/03/01

チェンジナウ!(予備軍)

ぬるま湯体質の自分ながらさすがにそれも限界が来ているので、今年に入って転職サイトに登録してみた。

しかし登録ボタンをクリックした途端、膨大な数のメールが届いて、何から手をつけていいのか途方に暮れてしまった。


それだけ求人があるという、それだけやることがるという、いいことなのかな…。


年齢もとっくに峠を過ぎてしまっているし、とにかく現状と目の前のモニターに向き合わねばと思いつつも、今の1日の仕事が終わった後になかなか重い腰が上がらないのは、めんどくさがりの性か、まだ必死になれていないことの証明か…。

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2015/09/05

クラス会に行ってきた

先日お知らせが来て行こうか行くまいか迷っていた、高校1年5組のクラス会に行ってきた。

地元で開催です


やはりこういう会が開催されるのは初めてだったらしく…行方が不明だったり都合がつかなかったりで、残念ながら参加人数は決して多いものにはならなかった。


しかしながら、忘却の彼方かと思われていた記憶も、いざかつてのクラスメートや先生と顔をあわせたり、当時のアルバムを見たりすると、色々スルスルと思い出す部分があってビックリ!

昔からムードメーカーだった幹事のおかげもあり、そこそこに盛り上がった。


「修学旅行であんな事件があった」
「教室で先生にいつもあんな風に怒られてた」
とか、互いに思い出話を出し合って補完し合い。

そんな中、
「アイツとアイツは付き合ってた」
「あの子に告白された」
なんて会話には1ミリも参加できない、当時からモテない男子の自分であった…。


過去のことばかりではなく今までのことを聞くと、

すでに大きな子どもがいたり、
生死の境をさまよっていたり、
会社を興していたり、
外見がほとんど変わっていなかったり、

みんなそれぞれ、色々とがんばってきているんだなぁ…
と、遠い関係だからこそ、雑念が入らない、いい刺激をもらった気がする。


この調子でたまーに、ほどよーい距離感で、会ったいけたらイイナ!

まだ持ってたの…!?

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2015/08/10

なぜ、今。

実家の父から「クラス会のお知らせが届いてるぞ」と連絡があった。

かつて所属していた学級などの会合なんて一度も出たことも誘われたこともなかった中、高校時代の“1年5組”のクラス会の通知が来ていた。


1年5組…幹事の欄にあった名前は覚えている。
クラスのムードメーカーで、よく家に遊びに行ったN君だ。
よく妹とケンカしてたなぁ…。

しかしそれ以外の人が、全く出てこない。


3年のクラスなら、体育祭で大道具やったことや修学旅行で沖縄に行ったことなどかろうじて覚えているのだけれども、さすがに入学当初のことは完全に忘却の彼方だ。


なぜ今、1年5組だったのだろうか…。
当時のクラスメイトたちに会えばフラッシュバックのように様々なことを思い出すのだろうか…。


とりあえず、また実家に帰って卒業アルバムでも引っ張り出さねば、色々心配でふんぎりがつかない。

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2015/07/13

中途半端な予知はいらない

各地で火山が噴火し、地震が多発し…こうなると終末思想的なものもはびこるというもの。

雑誌やネットには、「災害対策」記事ならまだしも、「日本沈没シナリオ」記事まで載ったりしていて…ちょっと気が滅入る。


同じように不快・不安に感じるものが、有史以降から我々の間で続けられているであろう、“地震予知”や“噴火予知”の類だ。


全て結局後付けだし、“ヘタな鉄砲”のように連発する人も多く、それを目にする度心がザワザワしてしまうのだ。

自分だって、
「さっきの夕方の雲見てわかった。ちょうど20日後の同じ時間に、関東地方にとてつもなく大きな地震が起きます…くれぐれもお気をつけて。」

なんて毎日言い続ければ当たるかもしれないというものだ。


予知学者には、
「予知するのは1年に1回まで。」
なんて決まりごとができないだろうか。

中途半端に周囲を不安にさせるのではなく、研究者人生をかけた渾身の、本気の、仕事をしてもらいたい。

それで何度か失敗したら、そのペナルティとして休業させるとか。

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2014/05/08

(ようやく)オボちゃん問題を語ってみよう

 理化学研究所がSTAP細胞の論文に研究不正があるとした調査結果に対する不服申し立てを退けたことを受け、理研の小保方晴子ユニットリーダーの代理人の三木秀夫弁護士は8日午後、大阪市内で、「結論ありきだ。腹立たしく残念に思っている」と報道陣に話した。
 その上で、英科学誌ネイチャーに掲載されたSTAP細胞の論文を撤回する意思はないことを改めて表明した。
 三木弁護士は、理研が不服申し立てを退けた報告について「何の連絡もないのに、診断書が出ていないとか一方的に書かれている」と反論した。小保方氏は理研の決定を聞いて「何を言っても通らない、絶望感にとらわれている様子」だという。
 (14.5.8『朝日新聞デジタル』

日本最高の研究所に所属するチームの論文のミスが、「個人のせいでした」はさすがにおかしいだろう。

周りの人の誰かが見ていなかったとしてもダメだし、チェックしていてこの体たらくだったのならば、なおさらだ。

このままトカゲのシッポ切りのように小保方さんだけが切り離されていくのはあまりに忍びないし、あってはならないことだと思う。


もちろん、組織だけじゃなくて、彼女にだって問題がある、

ここまで書いておきながら、本来こういった専門的な話は、我々のような素人に論じることのできないもの。

それなのにあまりに今話題になっているものが稚拙すぎて、我々もマスコミも堂々と論じ・批判できるようなところにまで成り下がってしまっているからだ。

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2013/10/27

最前線がご近所

今日はご近所さんでもある“電力中央研究所狛江地区”の解放デー。

毎日前を通る度、
「ここでは何が行われているのだろう…」
と思っていたので、張り切って出かけた。

いいお天気!


広くて緑も多い研究所内、地元の家族連れが多く来ていた。

そんな中、所員の方は慣れない中説明をしてくれたり、子供のために風船を配っていてたりと一生懸命で、好印象だった。

テニスコートとグラウンドが羨ましい


目にする研究は、「厨房換気の研究」から「セシウム除去の研究」まで幅広かった。

なんでも狛江地区は原子力技術研究の最前線なのだそう。

そうなるとやはり連想してしまうのは先の大震災。
セシウム研究の部署も、3.11以後急いで設立されたところだそうだ。

問題の解決は急務。
がんばってもらいたい。

私は文系です

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2013/08/20

朴さん!

 広島での被爆体験を描いた、漫画家の故中沢啓治さんの代表作「はだしのゲン」(全10巻)が、昨年12月から松江市内の市立小中学校の図書館で子どもたちが自由に見ることができない閉架の状態になっていることが分かった。市教育委員会が作品中の暴力描写が過激だとして、各校に閲覧の制限を求めた。
 市教委によると、描写が残虐と判断したのは、旧日本軍がアジアの人々の首を切り落としたり、銃剣術の的にしたりする場面。子どもたちが自由に見られる状態で図書館に置くのは不適切として、昨年12月の校長会で全巻を書庫などに納める閉架図書にするよう指示したという。
 現在は作品の貸し出しはしておらず、教員が校内で教材として使うことはできる。市の調査では市立小学校35校、中学校17校のうち、約8割の図書館がはだしのゲンを置いている。(13.8.16『朝日新聞』

小学校の図書館で唯一読めるマンガが、『はだしのゲン』だった。

上記のような理由もあっただろうが、誰もがそれを取り合うように読み、強烈なメッセージを受け取り、たくさんのことを学んだ。


自分の心を打ったのは、戦後ゲンたちがバイトに訪れた、画家の青年の話。

被爆の影響で家族に見放された将来有望だった青年が、ゲンにはげまされながら立ち上がり、命尽きるまで絵を描くシーンは、切なくて切なくて…今でも鮮明に覚えている。


また、お昼休みにはアニメ化された作品も学校放送で流していた。

とにかくそれの、原爆投下時のシーンのインパクトがものすごくて…完全にトラウマになった。

空に飛行機が飛んでると「もしかしたら…」とおびえることがそれから数年は続いたのだった。


みんなが狂っていた時代、みんなが残酷にならざるを得なかった時代のことをそのまま伝えただけで、なぜ「過激な表現」で「子どもに見せられない」となるのだろうか。


作品を読んだ子どもに、

「そういう時代をどう思うのか。」

「そういう時代があったから、今、どうすべきなのか。」

それを問うのが、大人の役目なのではないのか?


浅はかで、教育の放棄はなはだしいこの判断には、腹立たしさを覚える。


そして人権団体だか何かはわからないが、今回声を上げ子どもたちの教育を受ける権利を奪おうとした人たちには、自分の考えだけを押し付けるこの行為が、戦時中の狂った状態となんら変わらないというこだと省みてもらいたい。

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2013/06/26

田舎のホタル、都会のホタル?

毎年恒例“渋谷区ふれあい植物センター”での、ホタル観賞会へ。

あいにくの大雨だったが最終日ということもあり、たくさんの子どもたちや仕事帰りのサラリーマンが来ていた。

虫よけスプレー絶対禁止


毎年ホタルたちには会っているけれども、決まってシブヤで生まれ育った彼ら彼女ら。

ホタル界でいったら「チャラい奴ら」なんて称されてしまうのではないだろうか。


現に閉館真際のヘイケボタルのコーナーに行ったら、係の方の説明が、

「下の草むらで光ってるのが、メスのホタルです。」

「オスは疲れちゃってもう飛んでません。」

だって…。

ガンバレ!都会っ子!

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