大みそかに93歳大往生となったおばあさんのお葬式が4日から、
「何もこんな忙しい時期に死なんでもいいのに…。」
という親族一同の思いとバタつきと共にはじまった。

酒をやり、タバコをやっていた祖母。
卒寿のお祝いの時は、施設から外出許可をもらい駅ビル内のベーカリーレストランで開催したのだが、そこでこっそりと持ち込んだ日本酒を飲んでいたことを思い出す。
旅行が大好きだった祖母。
以前にも書いたが、孫からの、
「人生で一番楽しかった時期は?」
の問いに、
「旦那が死んでからの10年間。何にも縛られず、好きなように、友達と世界中を旅してた!」
と言い切ったことを思い出す。
動物を愛した祖母。
私が生まれる前から代々イヌが実家の庭をかけ回っていたし、いつからかそこにはネコも加わるようになっていた。
その愛情は時に家族という人間へのものを上回り…周囲に迷惑をかけ、特に体が不自由になりはじめてからはそれがワガママとなり子どもたちと大ゲンカしていたことを思い出す。
料理が上手だった祖母。
私の中で、彼女のつくったおぞうにの味を上回るものはない。
毎年、お正月が近づくと、これが楽しみで仕方がなかったことを思い出す。
豪傑だった祖母。
数年前に半分遊びで“エンディングノート”を記したそう。
結局それは年末年始のバタバタの中で見つからなかったのだが…指南した妹の話によると、
「死ぬところなんてどこだっていい!」
「死ぬ間際まで肉食べてたい、酒飲んでたい!」
なんて語っていたそうだ。
しかしそんな姿も1,2年前から体も頭も色々と弱り、なりをひそめてしまった。
施設に入った当初は「早く家に帰りたい!」「ネコに会いたい!」と叫んでいたのも、いつの間にか「ここ私の部屋…どう?いいところでしょう?」「ネコ…はて?」なんて言うようになっていた。
アッチに行く前に色々忘れちまったことを思い出してもらうため、今日自分は、おばあさんに送る予定だった実家の住所宛の年賀状と、押入れから出てきた米寿の時にプレゼントしたアルバムを棺桶に入れたのであった。
地元で行われたお葬式だったので、火葬場は小学生の頃よく遊んだところだったし、送迎バスの車窓からながら故郷の色んなところを眺めて、自分の中からも消えかけていた昔の色々なことがよみがえった。
そしてそこにはよくよくおばあさんの姿があったように思う。

楽しいことが好きだった祖母。
元気だった頃は年が明けると必ず親族一同を集め、自分のお金で宴会を開いていたことも思い出した。
そういえば、これが無くなってからみんなすっかり集まらなくなったなァ…。
なのでお通夜では久しぶりに会った親戚もたくさんいた。
1歳5ヶ月になるわがこのはじめてのお目通りにもなってよかった。
何かこのタイミングでこういうことがあったのは、祖母が最後の新年会を開いてくれたように思う。
そしてそれは、
「季節の事項は大切にしろよ」か、
「親戚一同たまには会えよ」
なんて、彼女からのメッセージなのかもしれないとも思った。

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