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2016/09/25

Thanatos

この話、
自分の人生においてごく限られた人にのみ話してきたのだけれども、それでも全く理解されない時(人)とものすごく共感をもらえる時(人)の落差が激しいのであるが…

自分は物心ついた頃から、ずっと“タナトフォビア”である。


夜フトンにもぐりこんだ時、おフロに入ってぼんやりしている時、1人でいる時にふと漠然と、

「死」

「今までの記憶がなくなる」
「自分が自分でなくなる」

「無になる」

などのことを考えると、それが怖くて怖くて…発狂しそうになるのだ。


どうしようもない恐怖に冷や汗をかき、体をバタつかせながら、

「考えちゃいけない!」

と、想像することをなんとか止める。


またこうしたことを普段からなるべく思考の隅に隅にと追いやりながら、それを小学生くらいの頃からこんな大人になるまでくり返しながら生きてきたのだ。


〈カコキジ〉
「怖いもの」(05'1.7)


小説でイチバン苦手な作品は、『アルジャーノンに花束を』だ。

頭のよくなった主人公のチャーリィが再び知能を失いはじめ、色々な思いを失っていく様は、もう筆舌に尽くしがたいほど怖かった。


そんな中今夜、横浜弘明寺“プロレス道場”の集会で、
「今、遺書を書く」
というイベントがあった。

まだまだ若いつもりの自分たちであるが、今この瞬間の自分が、誰にどんな言葉を残したいのか…
それを共有し、きっとあらわになるそれぞれの人となりを理解し合おうという意図とのこと。


これを機に久しぶりに「死」というものに向かい合う瞬間…と思ったけれど、やはり色々な制御機能が働いたのか、あまり深くは考えられなかった。

やっぱりまだまだ…

加齢に伴い、いつかはこれを自然と受け入れられる日が来るのだろうと期待はしているのだが。

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