(きのうのつづき)
朝5時に起床して、およめさん入院中の高尾の病院に着いたのが7時半。
その時は10分間隔の陣痛で、痛みの波に全身を硬直させ耐えた後は、笑顔で会話のできるくらいであった。
しかし1時間2時間と経つにつれ、その間隔がせばまり、段々と疲弊してゆく…
お昼くらいになるともう疲れと睡眠不足も相まって意識も朦朧となり、近くにいても息をしてないんじゃないかと思う瞬間が度々あって気が気ではなかった。
しかし呼吸を整えないとエコーでわかるお腹の赤ちゃんの心拍がみるみる異常値になり…
自分はずっと彼女の腰をさすりながら鼓舞するよう大げさに深呼吸を先導するだけなのであった。
(後から聞いたところ、この頃の“終わりの見えない感“がイチバンシンドかったそうだ…)

入院から14時間を過ぎて、母体の体力も考慮し陣痛促進剤を投入し、16時間後にいよいよ分娩室へ移動する。
ちなみに今夫婦間で多い“立ち会い”は、
「お互い恥ずかしいからいいよね…」
と、いうことでパーティション1枚隔てた外で、義母と待つことに。
看護婦さんや助産婦さんの励ましの声を聞きながら…
45分後、オギャアとドラマのように聞こえてくる我が子の声が!
と、いうわけで、8月7日午後4時47分。
およめさんが元気に元気な、鼻の穴がハート型の赤ちゃんをうんでくれました。

早速「夫に似てカワイイ」と親バカぶりを発揮する妻の横で、私はどことなく他人事のように感じながらも「自分のくせ毛と、毛深いのだけは継いでもらいたくないな…」と強く祈っていた。
最後も、3320gとなかなかの大きい子だったのもあって大出血。
産後も処置などで3時間動けなかったのだけれども…
計約20時間、我を忘れ叫ぶことも「痛い」と口にすることも一言もなく、がんばってくれた。
かのように酔っ払いながら入院の一報を聞き、次の日もお酒の匂いをただよわせながらただただおよめさんの腰をさすり続けただけのふがいない自分に対し、
彼女は修羅場をくぐりぬけ、何か人間的に1つ上のステージというか、どこか遠いところに行ってしまった、そんな寂しさを感じていたのだが…
それも早速赤子のギャン泣きによるぷちパニックでかき消されたのであった。
子どもの話しかすることのない女性は哀しいばかりだと常々思っていたので、これからなるべく自分もがんばって赤ちゃんに気に入られて、なるべくおよめさんの時間もつくってあげられるようにと思う。
最近のコメント