日常
元日から三途の川辺まで出かけた母が、ふたつの病院を経由して、今週からようやく実家に返ってきた。
四肢は動くのだけれども、脳のダメージはいまだ大きく、言語障害と危険察知能力の欠如を発症している。
きのう、怒りにまかせながら父に伝えようとした、
「入院中に私のピアスどこやった!」
のメッセージ。
本人も障害を自覚しているため、ありがたいことに多くの友人知人から連絡が来るのだけれども、会いたくないと言うそうだ。
だから家族としては、じっくりそれを見守って、時に受け止めてやらなければと思う。
そしてヘンな言葉はおもしろく感じ、逆に笑ってやりたいと思う。
そもそもこの芸術的な語彙感覚…(今のうちに)何かに活かせないだろうか!?
それにしても、つくづく、“日常”(と感じていたもの)ってのは一瞬で無くなってしまうものなのだなァと実感している。
もはや何が日常なのかわからないくらいに。
しかしようやく、あの日一瞬で崩れた日常が、ちょっとだけ戻ってきた気がする。
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コメント
かんげさんらしい、やさしい言葉ですね。
うんうん、去年、私も彼が肝臓の数値が6600で(10-40が正常)、その日に入院したとき、ほんとそう感じました。
あっという間に、一緒にお酒を楽しんでいた食事やらダンスやら、毎日の普通のことがなくなってしまった。。
でも、不思議なものでイットキ悲しんだら、事実を受け止めて、また復活に向けて生きようとするし。。。
たくましいですね。
そして、ただ生きてることに感謝して、なんて尊いことなんだって気付いてね。。
でも、日々の中でついつい「命あっての物種」ってことを忘れてしまいがちであります。。。
投稿: まんちゃん | 2014/06/06 13:53
まんちゃんさま、きょんばんは!
イヤイヤ、私は現状維持という名のぬるま湯体質なだけですよー。
しかしそんな真っ只中にいる時はむしろ煩わしく感じることさえあるくらいの日常も、一瞬で無くなることもあるんですね…。
でも人間の心ってのは、確かに儚さと同時に、強さというかしぶとさを感じますな。
今あることを受け止めて、そこに小さくとも幸せや未来への希望を見つけて…
ってこんなこと言っときながらもまたあの頃のような日々に戻ったら、こんな気持ちも忘却の彼方なんでしょうなー。
なんというか人間心ってのは、たくましいというか…。
まんちゃんさま家もなるべく長くいつまでも、ダンスしてお酒飲んで、笑顔の日々がありますように…!
投稿: かんげ | 2014/06/06 16:36