広いは狭い
プロ野球セ・リーグのヤクルトは29日、試合中に簡易ブログ「ツイッター」に投稿したとして、バレンティン外野手に厳重注意した。25日の西武1回戦(西武ドーム)の試合中に「I will never give up」と書き込んだ。球団側が29日に本人に確認したところ、事実関係を認めて謝罪した。投稿はロッカールームで携帯電話を使って行ったという。
(12.5.29『スポーツナビ』)
もしこれが前向きな言葉ではなくて、球団への不満だったり、チームの作戦などの機密情報であったとしたら、どうなってしまったのだろう…なんて気になった。
自分も仕事をしながらツイートするし、時には(日によってはほとんど)そのグチをつぶやいたりする場合もあるので、他人ごとには思えない事例だからだ。
それにしても、家庭・仕事・友人…人は様々な場所で様々な立場を使い分けているが、TwitterやFacebookでつながることにより、その関係性の境界が希薄になっている。
どんな時でもどんな場所でもケイタイを開くだけで、兄弟も、職場の同僚も、中学時代の友人も、今何をしているかが同時にわかる。
ケイタイの中には、全く関係の無かったその3つの世界が密接に合わさっている、新しい環境がある。
私の職場でもほとんどの人がFacebookをやってつながっているため、休日明けで顔を合わせた途端でも、
「~行って来たんだね!」とか
「お子さん誕生おめでとう!」
なんてプライベートな話題で盛り上がれている。
仕事のメールアドレスには、少し仕事で絡んだだけの人からのFacebookのおさそいが頻繁に来る。
みんなどんどん周りを繋げ、世界を1つにまとめ、広げている。
でもそんな世界での所作って、すごく難しい。
上記の人たちからは、同時に、
「職場の上司も見てるからあまりプライベートのことは投稿できない。」とか、
「興味の無い友人の友人の写真がいっぱい流れてきて困る。」
なんて声も聞く。
見たいこと見たくないこと・聞かせたいこと聞かせたくないことが立場によって変わる中で、全てに共通する行為なんてなかなか無いだろう。
ちなみにもちろん私はFacebookはやってないし、Twitterもっひっそりだ。
悪口を、わざわざ悪口の相手に見せるわけないだろ!
世界がまとまり広がることが、逆に居心地の悪い・窮屈さを生み出してしまうことだって、あるのだなァ。
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