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2012/03/10

3月11日

昨年の3月11日、14時26分は、職場の机に座って“餃子の王将”で買ってきたチャーハンとギョーザ(昼食)を、ヨダレを垂らしながらまさに開けた瞬間だった。

はじめはいつものと思っていた地震がどんどん大きくなり、後輩と必死で席の隣にあったガラスの戸棚を抑えているうちに、他の棚や私の机が次々に崩壊。
ようやくおさまったと思ったら…私の机にあったはずの、まだ一口も食べていないチャーハンギョーザが、無い!

その後泣きながら、油まみれなったお気に入りの本達を拭いたのだった。


ついに関東大震災が来たのだと思いながらテレビをつけてからは、誰もが知っている通り。

東北地方を襲う津波の映像。
次々と増える犠牲者。

そこからは一気に不安が押し寄せてきた。
テレビを見るだけなのに辛く、一人暮らしの子や仙台出身の友人が心配になり、食事もノドを通らなかった。

福島第一原発が爆発した時は、さすがに家のマドを締めきり目張りをしたほどだ。


何を信じたらいいのかわからない中で、ラジオから流れてきたのはバブル時代に流行した単純な応援ソング。
いつもなら嘲笑するようなそんな曲で、涙を流しそうになった時に、自分が弱っていることに気付いたのだった。

きっと日本国中のみんながそうだったのだろう。
だからこそ、もうあの時のような思いは絶対にしたく無い。


ゆっくりだけれども被災地が前を向き出し、あの時から色んなものが流転しているけれども、変わっていないのは原発問題と国への不信感だ。

今でも、何が正しくて何が間違っているのかよくわからないし、今でも、東京電力と政府の隠ぺい体質と身内に甘い体質は変わっていないように思う。

あれから1年を迎え…いい加減にもっと厳しい、現実的なところも考えていかねばならない、そんな時期になっているのだ思う。


 東京電力福島第1原発事故により、津波で行方不明になった家族を約1カ月間捜索できなかった福島県浪江町の遺族たちが震災1年の11日、避難先の二本松市で遺族会の設立総会を開く。遺族の間には今も「原発事故さえなければ家族は助かったのではないか」「遺体を長く放置され、許せない」との思いが強く、東電への慰謝料や謝罪を求めていく方針だ。(後略)
 (12.3.10『毎日新聞』

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