よくぞ!
塩竈に行った。
仙石線の高架から見ると何事もなさそうに見える街も、実際降り立ってみると、あちこちにまだ震災の被害がそのまま残されてあった。
所々道は隆起し、更地になっている土地も。
ベコリとへこんだお店のシャッター。
曲がったままのガードレール。
「アッチにはまだ(流された)船があるよ。」なんて話も。
テレビで見ていた被災地の映像が実際に目の前にあって…でもそれでも実感がわいてこない。
7,8年くらい前にここに来た時に、駅のすぐ横にあったおばちゃんがやってる婦人服ブティックに入って、なぜか肌着を買ったのだ。
そのお店も、看板だけを残して、扉も、ショーウィンドウもない、もぬけのカラになっていた。
それに気付いた時、さすがに心がチクチクして…感情がドッと押し寄せて来た。
海の目の前なので、もちろん水に漬かってしまったマリンゲートに行くと、船を動かして、営業を再開していた。
2階の“山孝”でおすしをいただいて、ロビーに行くと、「復興市」が開催されていた。
外にはプレハブが建てられていて、そこでも市場。
街の人は前を向いていた。
イヤ、向かざるを得ないからだろう。
だからこそ、特に震災当初毎日のように思っていた、
「被災地に対して、自分ができることは何だろう」
って言葉を思い出した。
商店街に行って、しぼりたてのなま浦霞を買った。
地元の文房具屋さんに入って、消しゴムのワゴンセールをあさる。
そこにあったのは…野村義男消しゴム!
このお店も浸水したと、しかと3月11日の写真が貼ってある(結構色んな商店が店先に写真掲載をしていた)から…
これは津波から生還した野村義男だ!よくぞ!
同じところに街があって、人がいる。
そんな当たり前のようなことが、今、たくさんの人の悲しみや苦労によってできていることを実感した。
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