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2009年6月の記事

2009/06/21

スリーカウント!

きのうの夜。

シネマート六本木で、映画『スリーカウント』を見た。
初日の舞台挨拶があることもあって、立ち見座り見が出るほどの大盛況だった。


女子プロレスがテーマのこの映画のコンセプトは、
「女優が実際に女子プロレスラーとしてリングデビューする。」こと。

映画撮影と同時進行で、アイスリボン・さくらえみの門下となり練習を積み、言葉通りにユニット“マッスルビーナス”としてリングデビューしたのだった。
リングでの様子は度々アイスリボンマットで目にしていたので、さすがに映画を見てみようという気になったのだ。


プロレスを続ける者と辞める者とに分かれたり、独自のスタイルやキャラクターを確立したため、映画のキャラクターとは全然雰囲気が異なっていた子がいたりと、撮影&練習開始から過ぎた1年以上の時間は彼女達にとってとても長く大きなものだったのだろう。

特にプロレスに残った3人は、今思うと、実力・センス・キャラクターと3様に突出していて、残るべくして残った気がする。
新人発掘→育成と、これだけでもこの作品はプロレス界に貢献している。

舞台挨拶で、プロレス界の重鎮・井上京子を横に、
「プロレス界の財産である私を発掘したことは、素晴らしいことだ!」
とキャラクターを貫き通した松本都に脱帽し、そう思った。


さて。
作品内容は、あえなく倒産した女子プロレス団体を、新人レスラー千葉まひるがその熱意だけで再興してゆくストーリー。
青春の汗と情熱をほとばしらせ、時にツボを突いた笑いをも含み笑顔で物語は進む。

しかし終盤、選手達を思いもしない悲しいアクシデントが襲う。

…何というタイミング。
つい先日の世間をも揺るがした大きな事故と重なり、色々と心に響くものがあった。


話の最後、まひるをはじめとした選手達は、先輩の意志を継ぎ、プロレスを続ける。

エンディング直前ではレスリングシーンが延々と続き、間延びしてしまいそうな感があったが、実際にマッスルビーナスのプロレスの試合や、彼女達の成長を見たことのある人なら、ここで映画のストーリー以外にこみ上げて来るものがあったはずだ。

まさにフィクションとリアルの混ざった、この作品ならではの見せ方。


この作品、映画とリングはセット。
もしDVD化の話があったならば、映画だけじゃなく、“マッスルビーナス”のプロレスラーとしての成長記録をもセットにするべきだ。

結果この作品は、どちらかといえば、
「プロレスを知らない人に!」
というよりも、
「プロレス再興を!」
というものだったと思う。


主人公まひるは関わった者をプロレスに惚れさせ、どんどん周りを巻き込んで行く。
今では絵空事のような光景に見えるかもしれないが…ビューティーペアにクラッシュギャルズ、かつてはこのような圧倒的な熱に包まれていた女子プロレスが確かにあったことを思い出した。

いや、今ではすっかりそうでなくなってしまったのかと言ったら、違う。

プロレスはあの頃と変わらずそこにあり、現にプロレスのトリコになり継続を表明した、主演の志田光のような子がいる。

彼女の劇中の初々しさ・純粋に前向きな姿は、現実のリング上と重なり、清々しく、素晴らしかった。


「プロレスは終わってない!」
「まだまだこれからです!」

映画の中のまひると同じことを思っている自分に気付き、プロレスファンであることを再認識させてもらった。

監督もステキな方でした

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2009/06/20

今日は女子プロレスの日

アイスリボンNEO女子プロレスで撮影が進められていた、女子プロレスをテーマにした映画『スリーカウント』の初日。

せっかくなので今日は女子プロレス三昧だと、夜の上映前にアイスリボンの道場マッチを初観戦した。


道場設立オメデトウゴザイマス…遠い。

神奈川県民にとって埼玉県蕨市までは小旅行だった。

道場は思っていたよりも小さく、でも思っていたよりもキレイだった。


全席自由席の道場マッチでは、「女性やカップルは優先着席」というサービスがあってどういうわけだろうと思っていたら…
なるほど狭い座席スペース。
しかもアイスリボン…というよりは女子プロレスファン全般には体が大きい人が多く、最前列に座らないとリングが見えなくなってしまうのだ。

2列目に座っていたおそらく地元のおばちゃんは、「失敗したー。」といった顔をしていた。


「周りでみんなが書いてる紙は何!?」とか、せっかく売店があるのに何をいくらで売っているのかわからなかったり、初めての人にはわかりにくいこともあって、“地元の方割引サービス”など地域密着をうたうのならばもう少し一見さんにもわかりやすくガイダンスする必要があるなと思った。


しかし試合は好試合。
○〈第1試合〉さくら×ちい
ちいもずいぶんと試合数をこなすようになった。

しかしさくらのような重量級(!?)と当たると体格差がいかんともしがたく、結果が見えてしまう。
非常に厳しい攻撃に、されるがまま…。
少なくとも「勝てるかも!?」と思わせる彼女ならではの武器が必要だ。

○〈第2試合〉聖菜×真琴
成長著しい真琴が、いよいよ本格的に自身がつくったベルト戦線に参戦。
そして次の相手は、同じく急成長中の藤本
純粋にどうなるかわからないワクワク感がある。楽しみだ。

○〈第3試合〉佐藤梶原都×高梨夏樹しもうま
佐藤と夏樹が目まぐるしい攻防をくり広げても、すっかり力強さを身につけたしもうまが奮闘しても、結局はいい意味でも悪い意味でも“エース”都の試合だった。
すごいなぁ、ホント、いい意味でも悪い意味でも…。

○〈第4試合〉米山×みのり
みのりのこの安定感。
経験、というよりもう後は年齢を重ねるだけで、一人前のレスラーになってしまうのではないか。
背、伸びるといいねー。


試合後の座談会でみのりが都を痛烈批判(しもうま経由だが)。
それに涙ながらに反論する自称エース。

「お遊びだ!」
「私には私の役割がある!遊びじゃない!」

…どちらも間違っちゃいないからおもしろい。

“プロレス”に対するイデオロギーのぶつかり合い。
アイスリボンという小さな団体ながら、その中で多様なこれが発生しているということは、各選手がプロレスラーとしての自己をしかと確立しているということ。
素晴らしい。


それにしても、その涙は、その言葉は、どこまで本気なんだか…このファンタジックなところ、松本都はある意味“さくらイズム”のイチバンの継承者になっているのかもしれない。


最後に…雁之助お誕生日おめでとう!

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2009/06/19

覚悟

 【ノア・三沢光晴さん急死】ノアの仲田龍取締役統括本部長が、愛知県内にある斎藤彰俊の自宅が嫌がらせなどの被害を受けていると明かした。斎藤は13日の広島大会の試合中に三沢さんに岩石落としをかけ、その後に三沢さんが心肺停止となり、搬送先の病院で死亡が確認された。斎藤の家族に迷惑が及んでいることを受け、仲田氏は「誰も斎藤選手が悪いとは思っていない。そういうことは一切やめてほしい。三沢も悲しむことになる」と呼びかけた。同氏は斎藤の心情を思いやり「(三沢さんは)首の調子も良くなかったし、他の選手がそういう立場になっていたかもしれない。ご遺族も十分理解されている」と説明した。
 (09・6・18『Sponichi Annex』

三沢のプロレスに対する思い・覚悟を理解していない、プロレスファンではない人間の所作だとすぐわかる。

かつて三沢との試合前に小橋建太が、
「もし試合で自分に何かあっても、絶対に三沢さんを恨まないで欲しい。」
と語ったのは有名だが、それはもちろん三沢だって同様だ。


もちろん彰俊本人は辛いだろうし、誰よりも自分を責めているのだろうけれど…

彼にはこれをチャンスだと思って、これを踏み台にして、レスラーとしてもう1つステップアップして欲しい。
バックドロップをフィニッシュホールドにするくらいのことをしても全然いいと思う。

心から、がんばってもらいたい。

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2009/06/18

ありがとう三沢光晴

訃報から数日経つが、全く実感がない。

しかしハヤブサのブログ記事には涙が出そうになった。


他にもこの一連のニュースで改めて、人間・三沢光晴像が様々なところで語られているが、“エロ社長”ーバカもやれて、でも肝心なところでは不言実行。
自身の背中で周りを引っ張って行く、自分への厳しさと仲間への情の厚さ、そして広い度量を持った、誰しもが惚れるような素晴らしい人間であった。

魑魅魍魎のひしめくプロレス界で、常識を持った、確かな盟主だったと改めて実感した。


レスラーとしても同様だ。

私がプロレスで“凄み”を感じていた2人の男が、橋本真也と三沢光晴。

言わずと知れた破壊王には、文字通り“責めの凄み”。
そして三沢に感じていたのは、もちろん“受けの凄み”。


いわゆる「四天王プロレス」は長いプロレスの歴史の中でも、時代・政治的背景・そして彼らの肉体的ピーク・精神的成熟など全てのタイミングが合致して奇跡の上に成り立った、プロレスの頂点の1つのカタチだったと今でも思う。

股がみの深い、闘魂三銃士と比べるとお世辞にもかっこいいとは言えないコスチュームをまとい、多くを語らずリング上だけで全てを表現し、極限まで自らを追い込む彼らの姿は修行者・聖者のようであった。


特に三沢は対世間…斜に見られがちなプロレスを、自身の戦いを純化させ、他の誰にもマネできない激しいものにすることによって、世間に認めさせようとしていた。

総合格闘技やK-1が興行的にも猛威をふるい、プロレスファンとして自信がなくなりかけた時に、唯一胸を張れる状況をつくっていてくれたのが三沢だった。

「じゃあアレを、マネできるの?」
この一言でいいのだから。


私が覚えている名勝負は、
試合中のアクシデントで助骨を折りながらも三冠を防衛したハンセン戦。
解説席にいた馬場さんが涙を流したという98年ベストバウトの小橋戦。
全日本東京ドーム初進出の大会で壮絶なメインを飾った川田戦。

見ているだけでも言葉を失うような強烈な技を、受けても、受けても、何度も立ち上がり、エルボーを打ち込むその姿、どれもが素晴らしかった。
そしてそこにプロレスの凄みと、強さを感じていた。
「受けの天才三沢は、不死身。」そう思っていた。


“プロレス界冬の10年”の入口といわれる、あの橋本真也×小川直也の一戦。
純粋にプロレスを見ていた私も例に洩れず大きな大きなショックを受けた。

この一戦を録画したビデオはそのままで、直視することができなかった。
そしてその後の大仁田×長州の電流爆破や、新日本のゴタゴタ、橋本の復帰→まさかの小川とのタッグ結成なども相まって、プロレスの強さがわからなくなり、プロレスから遠ざかった時期があった。


しかしそれから数年後、再びプロレスに対する熱をもたらしてくれたのは、三沢だった。

ZERO-ONEで実現した小川との初遭遇。
あの小川のタックルをさらりといなした三沢の姿に、プロレスに対しての思いが氷解した。

三沢はやっぱり凄かった!
プロレスはやっぱり強かった!
あの時、震えるほど感動し、同時に感謝したのだった。


数々の猛者を退け、そして川田やウィリアムス、数々の強烈なバックドロップを食らっても立ち上がり続けた三沢が、亡くなるなんて信じられない。
選手の多くが口にするように、あれは受け身を取り損なった・取れなかったのではなく、ダメージの蓄積によるものなのだろう。
近年の彼のコンディションの悪さは、ファンだって知っている。

だからなおさら、防げなかったことが悔しい。

顔として、トップレスラーとして、社長業もありながらリングに上がり続けなければいけない責任感。

でも少しの間だけでも、休息の時はつくれなかったのか…!

もちろん連戦に耐えうる強靱な肉体と精神力を持ち合わせているのがレスラーだけれども、不死身ではなかったのだ。


こんな悲しいことは二度と起こって欲しくない。
選手のケアや体調監理…いやもっと大切なのは、三沢に並ぶスターの登場、それが団体の使命だ。


日本中を駆け巡ったこの大きなニュースは、三沢が最後にくれたプロレス界へのチャンス。

彼が命を賭して世間に証明したプロレスの凄み、強さ。

今こそこの上に、ネガティブなものではなく、「プロレスは素晴らしいものなんだ!」ということを発信すべきだと思うのだ。


プロレスを盛り上げること。
それが故人に報いること。

「ぶっちゃけ死んじゃったことはアレだけども…みんなにはまぁこれをチャンスと思ってがんばってもらうしかないよ、ね。」

きっと三沢は空の上で少し後悔しながらも、きっと彰俊や潮崎のことを心配しながら見下ろしていることだろうから。


ありがとう三沢光晴!

プロレスファンでいて、三沢と同じ時代を共有できて、本当によかった。

そしてこれからもプロレスファンでいようと思う。
彼の思いを継いだ全てのレスラーを応援しようと思う。

『理想主義者』

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2009/06/14

夢なら…

 13日午後8時半すぎ、広島市中区の広島県立総合体育館で、プロレスラー三沢光晴選手(46)が試合中に相手の技をかけられて頭を強打。病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。
 広島県警は試合関係者らから事情を聴き、当時の状況を調べている。
 県警や主催したプロレス団体「ノア」によると、三沢選手は同8時10分ごろ、メーンイベントのタッグマッチに出場。約25分後、背後から抱え上げ、後ろに倒れ込むバックドロップをかけられ、リングに倒れた。(後略)
 (09・6・14『nikkansports.com』

何も考えたくない、というか何も考えられない。
実感が全くなくて。
まるで夢の中にいるかのよう。


きっと1ヶ月後くらいに、緑のマットに立つ三沢の姿を見ながら、

「そういやぁこないだ、縁起でもない夢みたな~。」

なんて思うのだ。


…そう言いながら、部屋で三沢のテーマ・『スパルタンX』を流せないでいる。

これを聴いたら、夢が覚めてしまいそうで、何かに気付いてしまいそうで…。

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2009/06/11

疲れている女性が増えている

ゴールデンウィークが終わってから、祝日無しで1ヵ月。

国民全員が辛い時期であることは確かなのだけれども…
特に最近、“疲れている女性”の姿が目につく。


ここのところ毎日のように、電車で隣に座った人に寄りかかられている。

それが全員、女性なのだ。

しかも驚くほどに遠慮(意識)なく。

嬉しいような嬉しくないような

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2009/06/10

トランプしましたか?

先日の山小屋で、することがないのでトランプをした。

トランプなんてここ10年…いやもっとやってないだろう。


友人達は学生時代に、当たり前のように“トランプブーム”を経験したらしく、一時期鬼のように「大富豪」や「ポーカー」をやっていたそうだ。

それに対して私は全くトランプ文化も経験もほとんどなく…

何となく勢いでルールもわからない「大富豪」に夜のビールを賭けてしまい、案の定サイフを開くハメになるのであった。

ピンチかーチャンスかー


革命を!

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2009/06/08

きゅーふきん!きゅーふきん!

定額給付金いただきました!

やっぱり現金を手渡されると嬉しいね~。

おかねはうれしい


とりあえず飾っておきます…あっそれじゃあダメなんだ!使わなきゃ!

♪何買おうかな~ふんふ~ん。

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2009/06/07

遥かな尾瀬(2日目)

(きのうのつづき)

朝から元気☆高血圧睡眠十分!
朝4時15分に起きて、外に散歩に出かけた。
しらじらと夜が明ける様を期待していたのだが、もうすでに明るくなっていた。
遠くのをものすごい早さで朝もやが駆け抜け、山の姿を出したり隠したりともてあそんでいるようだった。

朝ご飯もしっかりいただき、しゅっぱーつ!


〈本日のルート〉
6:40見晴発→7:45白砂峠
クマザサやブナに囲まれながら、少々の登り。
場所によっては雪がまだまだ残っていたり、キレイな水芭蕉に出会えたりと、尾瀬ケ原の方より寒いようだ。

まだ雪があるとは…


朝なのでクマが出て来やしないかと少し怖かった。


→8:15沼尻
寒い!
湖畔は風がビュービュー吹いて凍えるような寒さだった。

8:30沼尻発→9:00富士見峠分岐
沼沿いを歩くため、足元が悪く、アップダウンもある。
途中からついにお陽さまが出てきた…すると一転、暑い!暑くなったー!

晴れてよかった


→9:15尾瀬沼(尾瀬沼休憩所)
尾瀬沼を半分歩いてたどり着いた湖畔の広い休憩所。
少々休憩。

9:40尾瀬沼休憩所発→10:45一の瀬休憩所
最後の一踏ん張り!
三平峠を越えるとゴツゴツとした岩場の急な下り坂が続き、さすがにヒザが笑った。

一の瀬で、宿でつくってもらったお弁当で昼食。
大きな梅とおかかのおにぎり。
おいしかった!

魚肉ソーセージつきー


11:10一の瀬休憩所発→12:00大清水
歩きやすいなだらかな砂利道。
だけれども風景は全く代わり映えがなく、とにかくつまらなかった。
逆ルートでスタートして初っぱなからこの道だったらと思うと、ゾッとした。

地元では聞いたことがない虫?鳥?
とにかく何だかわからない大量の生物の鳴き声にずっと囲まれていた。
一体あれは何だったのだろう。

きのうから尾瀬を突っ切って、ついに大清水に到着!
アスファルトや車を見るのが久しぶりの気がした。
ちょっと達成感。


帰りは大清水からバスで戸倉へ。

おフロに入って(必須)、ビールを飲んで(必須)、行きと同じ関越交通のバスに乗って東京へ戻った(渋滞)。

戸倉は「尾瀬の玄関口」を名乗るだけあって開けた場所なのかと思いきや、宿がほとんどで、尾瀬土産を売っているお店なんて無くて焦った。
絶対ここで買い物して帰る人多いと思うのだけれどもなぁ。
ガンバレ戸倉


というわけで、尾瀬は大自然と誰もが簡単にふれ合えるところ。
登山や山歩きよりもお手軽に、だ。

だがその便利さに比例して観光客も多く、さらにそれに比例してマナーの悪い人も目に着いた。
例えば木道を外れた川で靴を洗っている人がいたり、宿でハミガキコを使っている人がいたりと尾瀬初心者でもわかるようなものから、バスの中でずっと山小屋や帰りの新幹線の予約の電話をしている人がいたりと都会の日常生活においてもおかしな人まで。

自然とふれ合いに行ったのに、人が印象に残って…少し複雑な気分になった。


もちろんすばらしい尾瀬ケ原の風景も心に残っている。

そしてこの地で個人的に一番感銘を受けたのは山小屋で経験した、超☆健康生活だったかもしれない。
2日目の一日が長いこと長いこと!
こんなに時間を有効に使えるとは、すばらしい体験!

帰ってちょっとは実践してみようとして、1日もできなかったのは言うまでもない。

カエルのような生活を

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2009/06/06

遥かな尾瀬(つづき)

(つづき)

夜お世話になったのは“原の小屋”

「夕食18時~」
「消灯21時」
「朝食5時~」

山小屋デビューの私には、黒板に書いてある文字に驚かされるばかり。

「朝ご飯5時って…普段なら寝る時間だYo!」
「朝4時に起きたとしても、7時間も寝てる!普段の倍だYo倍!」
あまりに自分の日常とかけ離れたタイムテーブルに不安になる。

ルール


でもそれ以外はいたって普通のお宿。
お風呂もあるし、食事はおいしいし、ビールやおつまみも売っているし、トイレはウォシュレットだし…
ここが尾瀬であることを忘れてしまうほどだった。

しかし夜ご飯をいただいて部屋に戻って、あしたの計画を練り終えたら、何もすることがない!
テレビが無いと、こんなにも手持ちぶさたになるものなのかっ。

なーんてブツブツ言っていたら…疲れと、満腹と、少しお酒が入ったせいもあったのか眠くなって、みんな消灯前に寝てしまうのだったグー。

(あしたへつづく)

いたれりつくせり

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遥かな尾瀬

「♪遥かな尾瀬~。」

歌でしか知らず、ずっと憧れだった、尾瀬に行った。


職場の上司のお兄さんは、尾瀬に行って感動し、自然を何よりも愛でるようになり、北海道に移住したそうだ。
まさしく“尾瀬に人生を変えられた”パターン。

私も人生、変えられちゃうかも!


〈本日の電車とバス〉
6:15横浜駅(JR東海道線)→7:00東京駅(関越交通高速バス「尾瀬号」)→11:00尾瀬戸倉(関越交通バス)→11:40鳩待峠
東京駅と新宿駅から尾瀬戸倉直通のバスが出ていて、とても便利だ。

鳩待峠に着くとたくさんの人がいて、乗り合わせバス内の乗客が一斉に(自分を棚に上げて)ため息をついた。
家族連れから高齢者まで、そして完璧な登山装備の人から街を歩いているのと変わらない姿の人まで、幅広い。

またここは、すでに相当な標高の場所なのにお土産屋さんやトイレが完備。
食事はもちろん、装備まで整えられて、いたれりつくせり。
バスの中で、
「向こう行ったら何もないぞ!どこが最終売店ラインだろうか…ドキドキ。」
と言っていたのがバカらしく感じるほど。

このお客さんの幅広さと便利さ、やはり尾瀬は有数の観光地なのだ。

原の小屋パンフレットより


〈本日のルート〉
12:00鳩待峠発→12:50山の鼻
この辺はまだ木々に囲まれて歩き、尾瀬ケ原までゆっくりと下ってゆく。

しとしと小雨が降ったり止んだり程度のお天気。
レインウェアを着ることもなく歩けて助かった。

尾瀬といえば整備された木道。
ここの土地の7割を所有する東京電力の尽力には感謝せずにはいられない。

しかしこの雨で…滑る!
もっと空とか木々とか周りを眺めたいのに、足元を見ていないとツルリとなってしまう。
現にたくさんの人が転んでいて、傷だらけのおじさんはともかく、足を大きく腫らして歩けなくなってしまったお姉さんまでいて、気を引き締めた。


13:10山の鼻発→14:25竜宮
尾瀬ケ原到着。
広い広い!
ずーっと向こうまで広がる広大な湿原。
これぞ尾瀬という風景だ。
日本は広いなぁ。

ひろー


そしてたくさんの人!
木道は大渋滞で、まるでドラクエを並んでいるかのよう。
カメラを構えて立ち止まることもできず、流れに身をまかせてじわじわと歩いた。

ひとー


→14:50見晴
牛首を越えたくらいから、あれだけあった人波がぱったりとなくなる。
どうやら日帰りの人が多かったようで、そのスケジュールだとここら辺までは来られない(ある程度のところでUターンする)のだ。
視界に自分達以外誰もいなくなる時もあり、近くのカエルと遠くの鳥の鳴く声だけを聞きながら、目の前の風景をボンヤリと眺めたり、カメラを手に思うがままに動き回ったりして、ようやく自分の思うがままに歩け、落ち着くことができた。

水芭蕉は終盤


たどり着いた見晴は、集落のように山小屋がまとまっているところ。
今夜はここで1泊だ。

(つづく)

サクラ!?

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2009/06/01

コレが負のスパイラルか~

不況は続く。

○もうけが減る→社員が減る→仕事が増える
                     ↑
                  (恐ろしい関係)
                     ↓
○もうけが減る→給料が減る→元気が出ない


上記のどこかの“→”に、おかしな繋がりがあるはずなのだが…どこなのかわからない。

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