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2007年3月の記事

2007/03/31

8人中、4人はほぼ現役

今日は、創立約3年を迎える地元バドミントンサークルの、“初”の練習会。
えぇー!初!?


ようやく権力を手にし高揚する部長がハッスルし過ぎてしまい、普段運動から遠ざかっていた部員から1人、また1人と、練習から脱落するのであった…。

ちなみに私が倒れたのは、4番目(8人中)。

はじめに地に這いつくばった友人(職業:SE)

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2007/03/30

文字通り

今日お花見の人は、寒くて災難だったろうなぁ渋谷桜丘も、桜が満開。

北風の吹く中、桜吹雪に誘われるように、たくさんの人があちこちで写真撮影をしていた…あっ自分もだ。


ここに通うようになって10年近く。
毎年同じように写真を撮っているので、年々貯まるそれは、おそらくファイル名が無かったらどれがいつのだか、区別がつかないことだろう。

ここの桜は毎年、私達の期待通りに咲いてくれているのだから、何もそんなにカメラ片手に張り切らなくてもよかろうとも思うのだけれども…。


でもきっと、桜の表情も街の表情も、毎年少しずつ違うのだ。
勿論その時のカメラマンだって、毎年様々な思いを抱きながら、そこに立っている。

桜は当然として、街もそして私も、その変化が、“成長”という名のよき変化であると、いいなぁ。

ちょうちん掲げるだけ祭り

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2007/03/29

ファイナルファイナルファイナル

今日は18年度最後の木曜日。

私の職場では常にラジオがかかっている(ちなみにTOKYO-FM)のだけれども、時期が時期だけにほとんどの番組が今日で最終回を迎えていた。
朝から晩まで次から次へと、ラジオDJのお別れの言葉を聞いていると、流し聴きで特にヘビーリスナーであったわけでもないのに、

「あぁ…この人は来週になると喪失感に包まれるんだろうなぁ…次のレギュラー見つかってるのかな…。」
「局側から『最終回』の告知をされた時って、どんな気持ちになるんだろう…。」

など、色々と寂しいことを勝手に考えてしまって、勝手に凹んでいた。

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2007/03/25

今や、ザ・ミキティ

「自分のベストが出せれば…。」
「自分の納得のいく演技ができれば…。」

日本全国の思いを一身に背負い出場したトリノオリンピック前後を境に、安藤美姫の挙動はそれまでのものとは全く異なるものになった。
特に発する言葉は上記のような、アスリートとしては極めて消極的な自己完結のものを、なるべく感情を抑え、無表情で淡々とくり返すだけになった。

寄せられる期待とプレッシャー、過熱する報道・バッシング…自信の喪失による迷走・人間不信から来る自己閉鎖、とでも言えてしまうような状態であったように思われ、彼女の魅力は消えかけていた。


 日本勢の活躍に沸いたフィギュアスケートの世界選手権は25日、東京体育館で上位選手によるエキシビションが行われ、金メダルに輝いた安藤美姫(19=トヨタ自動車)が女王の舞を披露した。
 安藤は最後に登場。生年月日が同じで、親交のある人気歌手の絢香さんがリンクサイドで熱唱する歌に乗って演技。フィナーレでは4回転ジャンプにも挑戦した。女子銀メダルの浅田真央(16=中京大中京高)、男子2位の高橋大輔(21=関大)らも競技とはひと味違う雰囲気の中、華麗な滑りを見せた。空前の国内フィギュアスケートブームでリンクサイドの入場券は2万円と高額ながら、会場はファンで埋め尽くされ、大会の余韻を楽しんだ。(07・3・25『nikkansports.com』

おそらく自身が最も欲していたであろうこの“結果”が、彼女に自信と、かつての天真爛漫な笑顔を取り戻してくれたら…ますます女子フィギュアはおもしろくなると思う。

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2007/03/24

我々の父であり師であり

キレ~イな施設九段“昭和館”特別企画展、『手塚治虫の漫画の原点~戦争体験と描かれた戦争~』へ行った。

ちなみに街は、袴に、おろしたてのスーツに…卒業式の大学生でいっぱいだった。
桜ももうすぐだ。


手塚治虫は、やはり天才だ。
小学生・中学生時代から完成されていた画風やキャラクター、そしてそんなデビュー前から残された膨大な数のマンガ作品など、その技術やその才能はもちろんだけれども…

何より、その“情熱”。

戦時中の統制下においても作品を描き続けた信念。
そしてデビュー後いわゆる“大御所”となっても自らの作品に納得せず、常に悩み、上を目指す姿勢。
昨今の、歩みを止め、かつての栄光のみで過ごしているマンガ家御大にも振り返ってもらいたいものだ。


前半の展示は「手塚治虫の戦争体験」。
戦時中の資料と、戦争に対して書かれた彼の文章。
そしてデビュー前の彼の作品の原画が。

後半は「手塚治虫の描いた戦争」。
文字通り、直接・間接的に戦争について描かれた作品の原画の展示。

入場無料とは思えないボリュームと、印象的なシーンを背景に叫ばれる1つのテーマの分かりやすさ。

彼のマンガへの情熱は元々のものであったのだろうが、それは戦争体験によってますます強まったことは否定できないだろう。
マンガの中で時には哲学的に語り、時には感情的に叫ぶ…その「戦争」と「平和」に対する思いは、確実に彼が伝えたいものの1つであった。


手塚治虫によって様々な思いが込められることにより、マンガは昇華し、日本の立派な文化として根付いたのだと思う。

マンガを読む我々は、誰しもが少なからず彼の遺伝子を受け継いでいる。
天才の足元にはとうてい及ばないけれど、きっと持っている彼の情熱と思いのかけらは、大切にしたい。

(〈トラックバック〉●「昭和館」→07・3・28『今、書きたいひと言』

『手塚治虫の漫画の原点~戦争体験と描かれた戦争~』

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2007/03/23

osanpo日和

すっかり空気がやわらかくなった。
しかしながら今年は、春の訪れに対する喜びが少ないように思う。

それは決して、花粉症だけが理由にあらず。
“地球温暖化”に漠然とした不安を抱いている私にとっては何となくドキドキ落ち着かない昨今であり、改めて春は、冬があるからこそその有り難みを感じるのだと実感させられた。


しかしながら、やはりお陽さまには、誘惑される。
今日は結構やることがあるというのに…思わず昼下がりの散歩。

名は知らねどもビルの谷間では、名前の知らない桃色の花が満開であった。

突然心を奪われた、その華やかな色。
人は見ず知らずの人にだって、突然恋心を抱くことがある。
だから花やモノ…何にだっていいよね、一目惚れは。


もう少し向こうまで歩いてみようと、この陽気で、足はぐんぐん進む進む。

と、いうわけで…残されたお仕事を、今夜は徹夜で…。
夜はまだ、結構寒いのだ。

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2007/03/22

廃れたごっこ

 滋賀県立北大津高校の空手部で、打撃系格闘技「K-1」をまねて暴行され後遺障害を負った男性(21)と両親が県と元部員らに約1億8000万円の損害賠償を求めた訴訟で、大津地裁は19日、計約1億4000万円の支払いを命じた。
 稲葉重子裁判長は判決理由で「学校教育の一環であり、顧問教諭は事件を防止する注意義務がある」とした上で「教諭は男性の母親からいじめの相談を受けており、事件発生を予見できた」と指摘した。(後略)(07・3・20『ニッカンスポーツ』

かつて、いじめも含めた子供の暴力の全てが、「プロレスごっこ」と称されていた時代があった。

蹴っても「プロレスごっこ」、
押しても「プロレスごっこ」、
殴っても「プロレスごっこ」、
投げても「プロレスごっこ」。

兄弟などでじゃれ合っていると、よく親から、
「プロレスごっこは止めなさい!」
としかられたものだ。


プロレスファンとしていじめ報道でその言葉を耳にする度、一方的に貶められるプロレスの社会的イメージに、憤りを覚えていたものだ。


しかしながら最近の上記のような報道を耳にすると…これは“K-1”の知名度向上によるものなのか、それともプロレスが格闘技の代表の座から引きずり下ろされた証明なのか…これはこれで、なんとなく寂しいものがある。

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2007/03/20

地元のさくらに、思う。

昨年大盛況のまま“渋谷さくらフェスタ”を成功させた渋谷桜丘であるが、うって変わって今年は「何もやらない」ようだ。

どうやら昨年の地元町会・共栄会の取り立て屋さながらの寄付金徴収に対し、地元企業・飲食店等から強い反発が起こったようで…街の入り口には、
「昨年はごめんなさい。」
と貼り紙がしてあるほどである。


だがしかし、お金を払うことのない被雇用者である私からしてみると、「小っちぇこと言ってんなYo!」といったカンジである。

大通りが封鎖され地域の出店が居並んだ昨年の光景は、咲き乱れる桜の元圧巻で…はしゃぐ親子に学生に、会社帰りのサラリーマンと、渋谷で1,2を争う地味な街らしい、ほどよく地域に密着したイベントで感激したものだ。
この街に毎日足を運ぶようになってずいぶん経つけれども、ようやく地元意識が芽生えたというかここに愛着が湧いたというか…この世知辛い世に在住者在勤者全てを巻き込んで開催されたそれは、暖かみのある、しかと地域に還元される素晴らしいものだった。


昨年できたせっかくの足掛りを、みすみす逃すのはもったいない。
ここで生活する者としてなるべくこういったものには協力すべきだと思うし、一方の企画側は昨年の内容に反省点があればこそ、それをふまえたものを再提供する必要があると思うのだ。
互いに意見を出し合って、いいものができるようにすればいい。

それに繰り越し予算だって残っているはずだろうし…ここで終わらせてしまったら、それこそ地域への裏切りのような形になってしまう。


人が泣こうが笑おうが、桜は毎年咲き誇る。
そして我々の桜への思いは、格別。
ではやっぱり期待してしまう、春。

もうすこし

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2007/03/19

春分の日、たまらない!

きのうは久々に頭痛のビッグウェーブが来て、脂汗かきながらうつらうつらと寝て→起きて嘔吐、をくり返していた。
何もせっかくの休日にならなくてもいいのに…。

しかし暦をみると、今週のド真ん中に赤い文字…「春分の日」があるではないか!
この、平日をシンメトリックに意識させ、そして1週間に「休み前」を2度も味わえる配置…たまらない…たまらないっ!


いつもはゆううつな月曜日も、今日はリポDを飲みながら前向きに。
さぁみなさま、がんばりましょう。

光り輝く暦のへそ

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2007/03/17

140はMURI!

「いいなー。このTシャツ!」

と思うと、それが女性用サイズであったり子供用サイズであったりと、物理的な理由で泣く泣くあきらめることが多い。


この(↓)おそらく非正規品であろう『妖怪人間』のTシャツ、とてもステキだ。
ライセンスモノよりもずっといい。

だけれども、せっかく出会えたのにやっぱりサイズが合わなくて、泣く泣く…今日はそれでも買ってきた!

ちくしょー、飾ってやる!

出元ご存知の方はお教えください

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2007/03/16

『週刊ゴング』、一時休刊

二転三転する報道→公式発表を経て、正式に決定した“週刊ゴング一時休刊”。
冬の時代が終わりを告げ、ようやく上向きになり始めたプロレス界だが、このニュースはあまりにも衝撃的だ。

私は、かつての新日本による取材拒否時代からどちらかといえば“週プロ派”であった(新日本に傾倒し過ぎる『ゴング』に嫌気がさしたのだ)のだが…やはりこれを聞いた時はショックであった。


プロレスは何よりも見る側の感性に左右される格闘技。
同じ試合でも、見る人によって全く異なるものになる。

だからこそ、プロレスについて考え、他者と語り合うことは至上の喜びだと言われている。
だからこそ、プロレスを報じるもの・プロレス誌は、それが偏ってしまわないように1つではいけないのだ。
『ゴング』の休刊は、ゴング派にとっても週プロ派にとっても…プロレス界全体にとって大ダメージなのだ。


『ゴング』今週号での、お笑い芸人・ハチミツ二郎の連載が印象的であった。
そこあったのは、いつものような笑わせるための文章ではなく、辛らつに新日本プロレスへ対する批判…ではなく、愛ゆえの熱い思いが、ストレートにぶつけられていた。

「武藤も西村も藤田もケロも、新日本に戻って来い!」

それはプロレスファンだったら、もはや絵空事であるとわかっていることなのに…だけどこのゴング最後の連載に際して、彼の内から湧き上がる、どうしても叫ばざるを得なかった思いのように感じられ、心を打った。


 仮にそれがもし不可能でも、オレは新日本を応援し続ける。
(中略)オレをプロレス会場で見かけたら気軽に声をかけてください。オレたちは同じプロレス・ファンなのだから。(『週刊ゴング』平成19年3月28日号)


狭いプロレス界では、選手もファンも、そしてマスコミも…全員が、“プロレスというものの一部”であるという連帯意識がある。

プロレス専門誌一筋でここまでやってきた出版社の、創業40周年を目前に控えての挫折…一連の代表の不祥事だけを見るとしょうがなくも思えるけれど、現場の関係者達の無念さは多少なりとも理解できると思っている。


テリーも大仁田も、長与も長州も…一度引退していながらそれを撤回→復活するプロレスラーは後を断たない。
いやそれどころか、その行為はもはやプロレスラーの代名詞のようになっている。

『ゴング』はどうだ。
引退宣言にも至らない休刊宣言…『ゴング』の、プロレス界の住人として期待を裏切らない復活を、待っている。


「ネバーギブアップ!」
先日藤波が、NHKで熱く語っていた。

「ネバーギブアップ!」

(〈トラックバック〉●「最後の週刊ゴング 」→07・3・15『全日本プロレスが好きだからぁ〜 まざぁ〜日記』
●「【プロレス】残念・・・週刊ゴングが休刊に」→07・3・15『ふたりdeぶろぐ』
●「週刊ゴング休刊に思う」→07・3・14『太陽が見てるから』

キープオンランニングゥ−!

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2007/03/15

自分を何様だと思っているのか!

 元法相の中井洽(ひろし)衆院議員(民主)が光熱水費などがかからない議員会館に資金管理団体の主たる事務所を置きながら、政治資金収支報告書には2005年までの3年間に計約1070万円を「光熱水費」として計上していたことが分かった。
 (中略)読売新聞が、資金管理団体の主たる事務所を05年に議員会館に置く衆参両院議員167人について、03〜05年の収支報告書を調べたところ、光熱水費を計上していたのは58人。1度でも年間100万円を超えたのは衆院8人、参院2人で、自民党8人、民主党1人、国民新党1人だった。合計額では松岡農相が計約1440万円と最多で、中井氏が2番目だった。 (07・3・14『読売新聞』

同じ“お金”の事件とはいえ、プロ野球の裏金問題さえかわいく見えてしまうこの一連の問題。
その理由はそこにある、完全なる悪意と、器の小さな小細工、皆無な情熱。

ドラフトにおける裏金は、そりゃルール違反なのだから悪いことはもちろんなのだけれども…そこにはプロ予備軍としての評価への喜び・葛藤・若さゆえの過ち、そして「いい選手が欲しい。」という行き過ぎた仕事への情熱があり、その心情はなんとか理解に至る。

しかし政治資金の流用は、肩書きだけで生き、死にかけでやる気も何もありゃしないオヤジが、ズル賢さだけ働かして莫大なお金をちょろまかしている、という感じがして、とにかく腹が立って仕方がない。
と、いうか何より彼のフトコロに入ったのは、我々のお金じゃん!


もちろん政治家という職業は我々の代表であるから、ある程度の“特権”は存在するべきだと私は思っている。
毎日移動はハイヤー。
都心の一等地のマンションに、一般市民ではありえないお値打ち価格で住まうことができる。
結構結構。

私達のお金による恩恵を受けながら、「代表である」という自分の立場を理解し、大いに燃えて仕事に打ち込んでくれれば本望だ。

だがしかし、この政治不信といわれるご時世に、何百万何千万…時にはもう1ケタ上に至るまでの血税を、書類1枚で自分だけのものにするなんてのは言語道断。
そこには自分の立場を履き違え、あぐらをかいた、低能な人間しか見えないからである。


政治家という立場でいながら我々の思いを裏切って、これだけの人様のお金を、汗水たらすことなくネコババなんて…人4,5人殺したことと同じ罪には問えないのだろうか。
いや問うべきだ!

(〈トラックバック〉●「「意識」の独裁者は多数いる。」→07・3・15『「気ままカフェ」でのんきにお茶と随筆を。』
●「政治の品格」→07・3・14『爺ちゃんのひとり言』
●「ミネラルウォーター5000円」→07・3・13『えりーと』

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2007/03/14

春の小川

「♪さらさらゆくよ〜。」
の歌『春の小川』は、渋谷を流れる川(河骨川)をモチーフにつくられたと言われている。
しかし今ではそのほとんどが埋め立てられ、かろうじて下流が「渋谷川」という名称で渋谷駅近くに存在している程度だ。

近年、このドブ川に「かつてのような輝きをとりもどそう!」とする運動が活発化している。
フィールドワークが行われたり、クリーンパレードが行われたり、時にはアーティストの作品を展示するなどのイベントも…それらの多くは、若い有志集団による。


駅南口の246沿い、東急電鉄が管理する地下道と高架下。
ここの壁面に“渋谷アートギャラリー246”というアートスペースが出現。
今日、地元の学生達により描かれていた『春の小川』が完成した。

地下道や高架下が薄暗く、ジメジメした空気が籠り、落書きなども多く、汚く不快な場所であるのはどこの国でもどこの都市でも同じだろう。
しかし、私も渋谷のここをほぼ毎日利用しているが…1ヵ月くらい前からだんだんとこの壁画が完成に近づくにつれて、確実に雰囲気が変わり、明るくなった。
また、昼間に見るインクを片手にせっせこと作業する学生達(私の母校の学生なので、後輩達)の姿は、充実感と輝きに満ちていて…「青春だなぁ。」と感化されたのであった。


サラサラ〜今日強く感じたのは、“絵のチカラ”。
たった1つの絵の存在が、その空間を、その空気を、ぱあっと豹変させる。
不思議なものだなぁ。

また、本来“人に何かを伝えるために”絵というものは発生したのかもしれないけれど、それよりもっと客体的というか…“誰かのために”描かれた絵というものに、清々しさを感じたのであった。


大切に、なるべく心無いものに汚されないよう…次のシーズンまで咲き、流れていてほしい『春の小川』。

「ヤドカリがいるっ!海かよ!?」
などという突っ込みは、ご愛敬。

(〈トラックバック〉●「是非見てください!学生たちの情熱をメディアが紹介!」→07・3・14『熱き専門学校理事長の仕事』
●「渋谷246アートギャラリー"春の小川"壁画」→07・3・4『出没!アド街ック首都圏』

今日はセレモニーも行われていました

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2007/03/13

互いに有るもの、無いもの。

“ららぽーと横浜”が15日にオープンする。
地元住民はすでにプレオープンに招待され(「招待状」がポストに投函されていたそうだ)、今や横浜鴨居の街は熱気を帯びている。

しかしこれだけ“巨大ショッピングモール”が増えると、
「どこも似たようなものだなぁ。」
なんて弊害が出るような気がしてしまう。

デパ地下と巨大スーパーマーケットに家電量販店くっつけて、後はユニクロ無印GAPFrancfranc…若奥様にはアカチャンホンポ、そして本屋とHMV・ゲームセンター・シネコン…とりあえずこれがベース。
トッピングは、カフェは3軒まで、和雑貨店は1店舗まで、洋服屋で全体の7割を占めるように…あっ“吹き抜け”必須ね!なんて。


新興の土地に魅力が感じられないのは、どこも似た街であるから。
「ここだけで何でも揃ってしまう。」という不便利さが無い一方で、
「ここだけにしかない。」という色も全く無い。

「便利さ」や「新しさ」は確かに大きな魅力なのだけれども…もう1声、何かが足りない気がするのだ。


この揺り返しで、不振が続くと言われている地域の古くからの商店街などに注目が集まる時が来るかもしれない。
そこは上記の巨大空間に比べると、明らかに不便だ。
1軒1軒お店を移動するごとに、自転車を動かし、止めなければいけない。
今の季節は寒空の元での買い物になり、辛いものがある。

だけれども、「ここだけ」のものがあるのも確かだ。
オーダーメイドや地域特産などこだわりを求める人々が増えているとも言われる昨今の風潮も、これを後押しするかもしれない。


互いに得意分野の異なるこの2世界は、今後共存の道を行くのだろうか。
それともこのまま極化が続くのだろうか。

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2007/03/12

薄れる存在

 「選挙に強い」といわれる白河だるまが、4年に一度の統一地方選を前に、思わぬ「苦戦」を強いられている。本来は最大の書き入れ時のはずだが、市町村合併による議員定数の削減などが、売れ行き不振の原因とみられる。選挙を取り巻く環境の激変が、200年の伝統を誇る地場産業にも影響を及ぼしている。
 福島県白河市横町で「渡辺だるま店」を経営する渡辺半次郎さん(70)によると、「必勝」の金文字も勇ましく統一選に出陣する白河だるまは毎回、500個ほどを数えた。市町村議選で60センチ大(2万円)、県議選や市町村長選は90センチ大(5万8000円)が相場。同店ではその7割を製造し、全国に送り出してきた。
 4年前の今ごろは、県内外の陣営関係者が作業場に詰め掛け、だるまの塗料が乾くのを待っていた。「前回は店頭売りだけで200個は出たが、今回は小売店に卸す分を含めても100個ほどしか売れていない」と渡辺さん。販売数が大幅に減っている最大の原因は「自治体の合併」という。
 (中略)だるまと決別する陣営もある。共産党白河市委員会は「わが党の候補者は視覚障害者への配慮から片目のだるまを飾らない人が多い」と明かす。郡山市議選に立つ市民グループ系陣営は「験担ぎや神頼みではなく政策本位で戦いたいし、余計な出費も避けたい」と、だるまを使わない予定。
 「前回選挙で使っただるまの目に白い紙を張り、再利用する人もいる」(自民党福島県議)といい、陣営サイドでも逆風が吹く。渡辺さんは「だるまは選挙事務所のチアリーダーだったが…。だるま屋にとって厳しい時代になった」と話している。(07・3・12『河北新報』

先日だるま市に行ったのもあってか、目が止まった。
やはり大口のお客さんとなるとこの業界なのだなぁ。


「しきたりは、無下に否定してしまえばそれまでのものである。」
と、以前本ブログに書いたこと(その時は“メイド喫茶”の記事であったが)があった

“だるま”も日本における、先人から脈々と受け継がれてきた文化の1つだろう。
これを「意味の無いこと。」と切り捨てるのは現代日本では簡単なことだ。

だけれども、寂しいものがある。
もったいないというか、その本意はどうあれ日本で生まれ育ったからには否定してはいけない・守っていかねばならない大切なもののような気がするのだ。
「障害者への差別表現」などと筋違いの弾圧をするのはもちろん論外だ。


毎年初詣に行くとは限らないような私が言うのも何なのだが…“縁”や“神”などの目には見えないものの存在が、近年は急激に薄れているように思う。
それは宗教信心の問題というよりは、もっと広義というか、上記の“しきたり”のように漠然としたもの。
「昔からこう決まっている。」とか、
「こうしなきゃいけないもの。」とか、そういう気持ち。


 26日午前9時ごろ、川崎市高津区の川崎市緑ケ丘霊園の職員から、「墓石に備え付けられている線香のお皿が盗まれた」と神奈川県警高津署に通報があった。霊園内の約200カ所でステンレス製線香皿が無くなっており、同署は高騰するステンレスを狙った窃盗事件として調べている。(後略)(07・2・26『asahi.com』

それにしても、よくできるよなぁ。
「別に神様を信じているわけじゃないけれど…でも、何かイヤ。イケナイ気がする。」
これが今までの精神だろうに。
“バチ当たり”なんて意識も薄れてきているのだ。


みんな効率や損得や目先のものだけを信じ、動くことが、近代化というものなのだろうか。

(〈トラックバック〉●「罰当たりな泥棒」→07・3・5『新橋オヤジの日記』

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2007/03/10

モテる男子は待てる男子

今日は横浜の街をフラフラしていたのだけれども、やけに“口論している男女”を見かけた。
んー「春だから」、かな。
…関係無いか。

デパートの、とある女性向けブランドのお店の隅でたたずむ、30代半ばくらいの男性…どうやら試着室の中の女性を待っているいようだ。
疲れた顔をして壁にもたれ掛かってみたり、ケイタイをいじってみたり、イライラ、イライラ…すごく居心地が悪そう。
居並ぶ服を見ようとも、近くにあるのは女性モノだけ、そして周りは女性客ばかり…そわそわ、そわそわ。


あぁ、その気持ち、わかるなぁ。
私はこのような“アウェイで待つ行為”に苦を感じない人こそが、“モテる男子”だと思うのだ。

統計的に見ればおそらく受け身的性格の多いであろう「モテない男子業界」で、この“待つ”という行為は比較的簡単なことに思えて…なかなかそうはいかないものである。
自己の趣味に傾倒するあまりに生じるそれ以外には排他的な思想と、自信の無さから来る「自分なんかが、ここにいてもいいの?」という自己嫌悪やファッショナブルなものに対する居心地の悪さ、そしてこの類の男子特有の「~してあげる。」的な男女間の損得感情が、なかなかそれを許さないのである。


数分後。
ようやく試着室から出てきた女性に、その男性は、
「遅いっ!」
と一喝。
スタスタと足早にお店から逃げ出してしまった。

その後を、
「だって『いいよ』って言ってたじゃん!」
とプリプリ怒りながら追いかける女性。

…大いに自分と重なって見えていた。


本日の一度は言ってみたい台詞:
「君が美しくなるんだったらドンドンいいよ~。」(ルパン三世・『ルパン三世バイバイ・リバティ危機一発』より)

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2007/03/09

ひくにひけない…袖。

私が着ているカーディガンの袖はボロボロだ。

先日渋谷の古着屋でこれを見つけ、そのちょうどいいサイズとまるで梅雨空のようにジメっとした灰色、そして明らかにお得なそのお値段が気に入って、すぐさまレジへ持って行った。


「いや〜、今日はいい買い物した!」
と満足気に私がサイフを開いたと同時に、店員さんが言い放った。

「コレ、袖がボロボロなんですが…大丈夫ですか?」

どうりで安いわけだ!


しかしここで「やっぱ止めます!」と、なぜか言えなかった。
なんでだろね…。

と、いうわけで、今日はしかとその袖を内側に折り込んで、お出かけ。
なんでだろね…。

的外れな見栄っ張り

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2007/03/08

シンデレラ

1年ほど前、よだれを垂らしながら「キムカツ」で様々な方のブログを検索していた時に、1人の女子大生のブログにたどり着いた。
その子はいわゆる“普通の”女子大生よりも明らかに美人さんで、案の定、タレントの卵らしき活動はしていたものの…そのブログの記事は日々の他愛もない記録をつらつらと、いたって普通の学生のものであった。

しかし半年くらい前、突然その子が『週刊プレイボーイ』の準グランプリになり、雑誌にグラビアがギュンギュンと載り、テレビにも出て、今や自身のブログ
「サインを公開します!」
(“サイン”ってやっぱり自分で開発するものなんだ…)
と書いている。

人生って、わからないなぁ。おもしろいなぁ。
あまりに身近な人のことだと、そこに色々と複雑な感情が生じてしまう恐れがあるけれども…こういった全く別の存在の人の突然の出世劇というものは、ただただ純粋に、大いに感化されるものである。


と、いうわけで私は、そんな“南知里”というアイドルを応援中。

深きを見通すような瞳と、新人らしからぬ堂々たる存在感。
ブログに載っているような笑顔も素敵だけれども…グラビアでの「かかって来いや!全員まとめてっ!」とでも言うかのような、ガツン!とカッコいい写真が映える、そんな魅力的な人だ。

(〈トラックバック〉●「公開♪」→07・3・2『ちさとのしろはだ♪』

『週刊プレイボーイ』2006'No.36

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2007/03/06

「『今年はすごく少ない』って言ってたんですけどねぇ…。」

表題の言葉、今年の流行語ケッテイ!

というわけでヒドいのは去年まで秋だけで、毎年うららかに春を迎えていた私も、今や恨めしそうにこの言葉を発しながらティッシュを浪費し続けることになってしまった。


ホントに、「今年はすごく少ない」って言ってたんですけどねぇ…。

あっヨダレは関係ない

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2007/03/05

忍耐力こそが大人の証明

外でお仕事の帰り道、他部署の後輩と道を歩いていると、その子が、

「あっ…!」

と声を上げた。


何事かと聞いてみると、

「今、道に100円が落ちてたんですけど…(ここが)渋谷なので、拾いませんでした。」と。

どんな理由じゃ!
都会っ子気取りか!?


しかし何にせよ、目の前の100円玉をガマンできる後輩を、「大人だなぁ…。」としみじみ思ったのであった。

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2007/03/03

だるまの底力

朱以外もあるよ調布は深大寺の“だるま市”に出かけた。
途中渋滞に巻き込まれ、現地に着いても左右出店に飾られた参道は人で溢れ、本堂ももちろん人でいっぱい。
おそば屋さんも超満員で、注文してから20分ほど待つことになる。

方向感覚はマヒし、どこがどこだかわからなくなり、ほうほうの体で早目に帰路に着いたのであった。


なむなむだるまただ色とりどり・大小様々に並ぶだるま達は、情緒溢れるまさにここの風物詩。

だるまの目に入れる「阿・吽」の文字は、その道の人が書き入れてくれるため、「だるま開眼所」とちゃんとその場所が設けてあるのだ。
そしてそこから後ろを振り向くと…役目を終えただるま達が最期の時を迎える場所も、ちゃんと設けてある。

人々の願いをのせ、その一生に渡り重宝される、だるまさま。
だるま、すごいな!
大切な日本の文化の1つだ。


門前の出店には「たこやき」「スーパーボールすくい」など定番の屋台の他に、わかめやシラスなどのお店も多かった。
山の多いこの地で、海産物…徳川期までさかのぼるというこの縁日、何か古い縁でもあるのだろうか。

(〈トラックバック〉●「深大寺のだるま市」→07・3・7『われもこう記』
●「だるま市@深大寺」→07・3・4『人生いろいろ・・・』
●「だるま市。 」→07・3・7『ピロー de トーク』

九転び八起き、一挫折

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