“有終の美”にはしたくない
今年一番横浜市民を震撼させたニュースはというと、やはり「氷川丸とマリンタワーの売却」に尽きるだろう。
市の指定有形文化財に登録され、横浜の顔としてそこに当たり前に存在し、そしてこれからも永久的にそこに存在し続けると思われていたものが、突然「どうにかなっちゃう」と聞かされた時の驚きと喪失感は、筆にはし難いものがある。
と、いうわけで、あしたで最後の営業を迎えるこの“横浜のベテラントップ2”に別れを惜しみに、足を運んでみた。
午後2時。
寒空の下山下公園には長蛇の列。
「最後の乗船になるかもしれない。」と氷川丸へと続く列は、入船まで20分の時間を要した。
無機質なエンジンルームから、アールデコ様式の内装の客室へ。
ダイニングサロンや社交室の他に、“スモーキングルーム”や“キッズルーム”があるのは、氷川丸が昭和初期の客船としては非常に進んでいたものであったことを殊に表していると思う。
貨客船として以外にも、戦前戦後通じ様々な目的で働いた氷川丸は、日本の歴史を雄弁に語る船であり、港町横浜が誇るべきものだと思うのであった。
午後5時。
日も暮れたマリンタワー前にも長蛇の列。
横浜一等の夜景を望むカップルや家族連れで、世界最高の灯台の展望台までは40分も時間がかかった。
ベイブリッジ、みなとみらい…横浜の若き夜景スポットが向こうで輝いている。
それらのでき上がる全てをマリンタワーは見てきたのだと思うと、感慨深くなる。
ライトアップされる氷川丸やマリンタワーの灯りと、輝くベイブリッジやみなとみらいの灯りとには、確実に異なるものがある。
それは古きものへ込められる“思い”。
小さくても、明るさで負けていても、そこに加わる思い出が、何よりもそれを暖かなものに変える。
そりゃ普段は閑散としているかもしれないけれども…そこには密やかに、たくさんの思いが詰まっている。
もう手後れなのかもしれないけれど…だから「いざ」となると、こうしてたくさんの人が集まるのだ。
何事も古いものだけでもダメだし、新しいものだけでもダメで、事はうまく運ばない。
前市長の時代から、巨額の投資により次々と“新しいことへ”開発の進む横浜は、狂ったように古きを排斥しているように見えてしまうことがある。
他の土地に出かけてみると切に思う。
歴史的遺産とまではいかない、切なくなるくらいに古くて居心地のいい、穏やかに時の流れる街並…それが横浜には皆無である。
(〈トラックバック〉●「さよなら・ありがとう!」→06・12・25『人生いろいろ・・・』
●「氷川丸&マリンタワー」→06・12・23『SLOW WALK PRESS*』
●「マリンタワー&氷川丸のクリスマス情報」→06・12・17『横濱遊楽』)
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コメント
ご紹介&トラバ、有難うございました。
終止符を告げる汽笛3声に色々な思い出が
走馬灯のように頭を駆け巡りました。
ふと気付くと渇いた頬は涙で濡れていたし・・。
普段からもう少し経営に貢献するべきだったと、
今更ながら後悔の念も抱いたりしました。
古き良き時代が追いやられる姿を目の当たりにし、
移り変わる横浜を受け入れることができるのか?
と自問自答する時、でるのは答えではなく、
ただ、ただ、ため息ばかりです・・・。
投稿: Hamako | 2006/12/26 08:57
Hamakoさま、こんにちは。
こちらこそトラックバック張らせていただき、ありがとうございます。
最終日、行かれてたんですね。
澄んだ空気に響き渡る汽笛の音が、聞こえてくるようです…。
「今更ながら」の気持ちは私も同感です。
氷川丸もマリンタワーも、“あたりまえ”なものじゃなかったんですよね。
もう少し協力はできなかったのか…う~ん。
ホントに全て“今更”ですが、哀しいですね。
投稿: かんげ | 2006/12/28 15:13