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2006/12/17

哀情

いわゆる“団塊の世代”である私の両親を見ていると、最近殊に、「年とったな。」と思う。

事のはじまりは、両親の見るテレビの音量が、ずいぶん大きいことに気付いたことだった。
それから、みのもんたをはじめテレビの言うことを一元的に信じ、それを自分の言葉のように使うようになった。

故郷が遠くないので久しく会わないわけではないため、シワとか白髪とか、そういうところではわからない。
でも上記のようなフィルターを通して見ると、確実に実感することがある。


体調だってそうだ。
ヘビースモーカーだった父は、数年前からぜんそくにかかったのと同時にタバコを止めたが、今でも薬が手放せないでいる。
リウマチの母は朝陽が昇りはじめる頃から、病院の予約をしに出かけてゆく。


夜も10時を過ぎる頃には眠たそうにしはじめる2人を見ていると…うっすらと井上陽水の『人生が二度あれば』が流れてきて、哀しさや暖かさや感謝や、色々なものが混ざった複雑な気持ちになる。

私はこの先何をすることが、彼らの喜びに、恩に報いることに、なるのだろうか。
何となく漠然と、悩んでいる。

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コメント

こんにちは。
とても素敵な文章ですね。
グッときました(同じような気持ちです)
おいらは、彼らに「いくつになってもあんた方がいないとダメだから~」と手をやかせるようにしています。
完全に親離れして一切心配をかけない子供と、少々心配をかけ(やっぱりまだまだ私らがいないとダメだね)と思わせる子供・・・どちらが親孝行でしょうかね?
よくわからないけれども、おいらは完全に親離れができない不肖の子であるため、後者の作戦をとっております(笑)

投稿: ホッシー | 2006/12/22 09:28

ホッシーさま、こんばんは。

あっ私も無意識でホッシーさま同様“親離れができない不肖の子”になってるかも。…いや、作戦です。
やっぱりそういう“手のかかる子”のほうがいいものですか?お父さん?

でも私は両親とはあまり仲良くも仲悪くもなく、“身近な他人”のような関係で…この2人をどうやってもてなせばいいのか、全然わかりません。
「親父が定年になったら、なんて声かければいいんだろう。」
とか、
「調子が悪そうな母親に何をすればいいんだろう。」
とか、何だか告白前の中学生みたいです。う~ん。

不自由なく適当に育ててもらった分、不自由なく適当に老けさせてやりたい気は十分にあるのですが…。

投稿: かんげ | 2006/12/22 18:38

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