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2006年12月の記事

2006/12/31

今年の十大重大ニュース

今日で2006年もおしまい。

当ブログもいつの間にか2年目を迎え、義務でもなく依存でもなく、趣味とも何か違うような…とにかくほどよい距離感で、ふがいない日々の記録を、そしてネットの世界でのおつきあいを、続けられている。

コメントやトラックバックで、ささやかな一喜一憂を…みなさま、今年も色々と、大変お世話になりました。


せっかくなので今年1年を振り返り…私事“今年の十大重大ニュース”!
<次々点:木村カエラ“sakusaku”辞職>→「木村カエラ『sakusaku』辞職に寄せて。」
神奈川県民に共通してあるのは、もはや彼女に対する親心ではないだろうか。

<次点:日本中で教育問題が論議される>→「教育委員会って何者よ!?」
“今さら感”を非常に感じて不快である。

<10位:“口笛ソング”ヒットする>
スウェーデンの“ピーター・ビヨーン・アンド・ジョン”という人達の曲らしい。
ここ半年毎日、1日に3回はラジオから流れてきてすっかり耳に馴染んでしまったのだけれども…それをラジオDJがヘタクソな口笛でマネするのが、とにかく不快だ。

<9位:日本のプロ野球、世界一になる>→「カッコいい日本代表、というかイチロー。」
されども止まらぬ、選手のメジャー流出…日本のプロ野球選手は、もっと自分の野球に誇りを持つべきだ。

<8位:“太田なわのれん”の牛鍋がおいしかった>→「横浜元祖、“牛鍋”を食す。」
大人になった2006年。

<7位:ダーツブームの波来る>→「接待だーちゅー。」
ここにきて伸び悩んでいることはナイショ。

<6位:久々に大阪京都に出かけた>→「大阪に、行ってみたで!」
新幹線ってホントにすごい。早くて。
土地はどこも同じところはなく、本当におもしろい。


<5位:新庄引退と日本ハムファイターズ日本一>→「頂点へ。」
初めて体験した、“スーパースター”という存在。

<4位:大河ドラマ『功名が辻』を見続ける>→「『功名が辻』、クライマックスへ。」
それからというもの、まるで流行に流されたように各時代劇を見るようになってしまった。
ゲームの“戦国無双”も買ってしまった。
まさにプチ戦国ブーム。
それにしても千代殿、あな美しや。

<3位:横浜マラソン大会惨敗>→「全部寒いのが悪いのだ(ウソ)」
2006年の、大きな大きな忘れ物。
来年は、肉体改造して参加しよう…。

<2位:小橋建太、腎がん見つかる>→「鉄人の復活を待つ(腫瘍より準のほうが手強くシブトイハズだ!)」
今年1番の衝撃は、日本…いや世界最強の肉体を誇る男を襲った、悲劇。
しかし今、こうして穏やかに話せるような状況になって、ホントによかった…。
「手術に時間がかかったのは、筋肉が通常の人間の3倍もあったせい。」という逸話もよかった。

<1位:“メイド喫茶”初体験>→「クロミ様「メイド・イン・ブラック」inアキハバラ!」
自分が体験したことのない文化というものは、往々にして頭から否定しがちなものである。
と、いうわけで実際に体験してみると…バーチャルシティから生まれたこの文化は、莫大なお金をばらまくわけでもなく、性的要素が強いわけでもなく、純粋な“趣味”のジャンルにおける需要と供給の元に立派に成り立った、コミュニケーションの昇華した1つの姿なのだと思う。
…と偉そうに語り擁護したくなるようなものであった。


…あ。私って、平和だなー。

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2006/12/29

感じちゃった、こんなこと。

若いつもりの私でも、世代間の“価値観のギャップ”を感じてしまうことが多くなった。
若い子(この言葉の時点でもう年寄り宣言であるが)に対して最近殊に感じるのは、男性誌などでもよく話題になる、いわゆる“会社でのお付き合い”への対処だ。


今日は会社の仕事納め。

午前中は通常営業。
午後が始まる辺りから、大そうじ。
そして日が沈み始める頃にはもう、お開きとなる。

でもここで終わらないのが、会社ってもんでしょ?


いや、どちらかといえばここからのほうがメインイベント。
普段浅い関係の、いわゆる上司や同僚と、お酒を交えてわいわいじっくり語れちゃう貴重な時間。
これが日常の円滑な関係と…いやいや何より純粋に楽しい年末の情景ではないか。

たんまりと残っている仕事は来年に廻し、今は記憶からその存在を消し去る。
今夜とあしたの午前中はスケジュールをしっかりと空け、さぁ準備万端!出かけるぞ!


…しかしこんな時、たいがいの若い子は、
「まだ仕事があって忙しくて…。」
「今夜はちょっと…。」
となるのである。

会社の最後の日くらい、全部空っぽにしとけYO!
それが会社員の仕事おさめじゃい!


私も人モノ限らず好き嫌いが激しく、人見知りで、代わりにええ顔しいで、すぐに徒党をつくり他を排斥するような人間であるけれども、私より下の世代はもっとそれが顕著で…これは“ガマンしなくていいんだよ教育”の弊害なのではないかと思うのである。

一方で、だれかれ構わず今年も“プリキュア”のテーマ曲で深夜カラオケに異様に盛り上がる上司達は…やはり“いい大人”に見えるのである。

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2006/12/26

線のこと

今朝、例のごとく駅までの道をあくせくと走り急いでいると…道路の白線で「ちゅるん。」と滑り、転んだ。
きのうからの雨で地面はびしょ濡れで…「何事も無かったのですよ」オーラを発したり、冷たいおしりをカバンで隠しながら歩いたりと、散々であった。

そういえばこの道路は、日本の年末の風物詩“全国一斉道路掘り返し作業”により、キレイになったばかりだったのだ。
無論、白線も新たに引き直されたわけだけれども、とにかくこの“新しい白線”は、滑るのだ。

安全のためのものが時として事故を引き起こす。
何とも皮肉なものだ。


駅のホームを歩いていて、思う。

「電車が参ります。危ないですので、黄色い線の内側へお下がりください。」

…の、“黄色い線”が、目の不自由な人の”点字ブロック”なのは、このままでいいのだろうか。

おしりが冷たいだけで済めばいいのだけれど…そう考えると、私のこの散々も、安いものだ。

雨の日は走るの止めよう

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2006/12/25

ちょっぴり大人気分クリ

「クリスマスだし…いつもお客さんのいないあそこのお店、行ってみようか!」
と、街の外れにあるフランス料理のお店に行くと、
「今夜は予約でいっぱいです。」
のお返事が…クリスマス恐るべし。

と、いうわけでしょぼしょぼ歩きながら、
「クリスマスといえば…鳥、とり、トリ…。」
と考え、焼き鳥屋に寄ったのだった。


たまたま前を通りかかると、まるで老舗料亭のような小さな看板と灯り、極端にまで飾りを排除した構えのお店が。

せっかくなのでと意を決して、重厚な木の引き戸をガラガラ…入るまでにドキドキ。
店に入るとカウンターだけの静かな店内に、壁にかかった木製のお品書き(しかも鳥料理と串のみ)だけが…何とそこは、“メニューの無い焼き鳥屋さん”だったのだ…入ってからもドキドキ。

とりあえず熱燗を頼み…飲みながらもドキドキ。
食べながらもドキドキ。
会話をしながらもドキドキ。
ドキドキ…ドキドキ…はぁドキドキ。

ようやく落ち着いたのは、隣にいたお客さんのお会計をこっそり覗き見してからだ。
「…よかった。破綻はまぬがれそうだ。」


それがわかると、もうこっちのもの。
落ち着いてみると、時にはパチパチと炭の焼ける音だけが響く店内は穏やかで、居心地がよくなってくる。
店主も喋りの上手な、感じのいい人だった。

料理も、珍しい串や、何より“鳥さし”が、まるで高級マグロのようにおいしかった!


ちびちび食べつつ飲みつつ、ムダ話をしつつ、向かいにいた観光客らしきカップルと横浜の話をしたりしながら…ちょっぴり大人な感じの晩であった。

たまには 、ね、こんなこと。

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2006/12/24

“有終の美”にはしたくない

今年一番横浜市民を震撼させたニュースはというと、やはり「氷川丸とマリンタワーの売却」に尽きるだろう。
市の指定有形文化財に登録され、横浜の顔としてそこに当たり前に存在し、そしてこれからも永久的にそこに存在し続けると思われていたものが、突然「どうにかなっちゃう」と聞かされた時の驚きと喪失感は、筆にはし難いものがある。

と、いうわけで、あしたで最後の営業を迎えるこの“横浜のベテラントップ2”に別れを惜しみに、足を運んでみた。


午後2時。
寒空の下山下公園には長蛇の列。
「最後の乗船になるかもしれない。」と氷川丸へと続く列は、入船まで20分の時間を要した。

無機質なエンジンルームから、アールデコ様式の内装の客室へ。
ダイニングサロンや社交室の他に、“スモーキングルーム”や“キッズルーム”があるのは、氷川丸が昭和初期の客船としては非常に進んでいたものであったことを殊に表していると思う。
貨客船として以外にも、戦前戦後通じ様々な目的で働いた氷川丸は、日本の歴史を雄弁に語る船であり、港町横浜が誇るべきものだと思うのであった。


エレベータまで大行列午後5時。
日も暮れたマリンタワー前にも長蛇の列。
横浜一等の夜景を望むカップルや家族連れで、世界最高の灯台の展望台までは40分も時間がかかった。

ベイブリッジみなとみらい横浜の若き夜景スポットが向こうで輝いている。
それらのでき上がる全てをマリンタワーは見てきたのだと思うと、感慨深くなる。


冬用ライトアップされる氷川丸マリンタワーの灯りと、輝くベイブリッジみなとみらいの灯りとには、確実に異なるものがある。
それは古きものへ込められる“思い”。
小さくても、明るさで負けていても、そこに加わる思い出が、何よりもそれを暖かなものに変える。

そりゃ普段は閑散としているかもしれないけれども…そこには密やかに、たくさんの思いが詰まっている。
もう手後れなのかもしれないけれど…だから「いざ」となると、こうしてたくさんの人が集まるのだ。


何事も古いものだけでもダメだし、新しいものだけでもダメで、事はうまく運ばない。
前市長の時代から、巨額の投資により次々と“新しいことへ”開発の進む横浜は、狂ったように古きを排斥しているように見えてしまうことがある。

他の土地に出かけてみると切に思う。
歴史的遺産とまではいかない、切なくなるくらいに古くて居心地のいい、穏やかに時の流れる街並…それが横浜には皆無である。

だからこそ、そんな横浜に、氷川丸マリンタワーを。

(〈トラックバック〉●「さよなら・ありがとう!」→06・12・25『人生いろいろ・・・』
●「氷川丸&マリンタワー」→06・12・23『SLOW WALK PRESS*』
●「マリンタワー&氷川丸のクリスマス情報」→06・12・17『横濱遊楽』

きっとすごく大切

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2006/12/23

ぱんつくったことある〜?

今日は姉さんの家で、毎年恒例“クリスマス会”。

しかし“会”とは名ばかりで、朝から買い出しに出かけてその日の夕ご飯をちょっと豪華に、そして年に1度この日だけ、ケーキつくりにチャレンジするだけ(これが街の人ごみが苦手な私のクリスマス対処法なのである。)なのだけれども…。

チーズケーキ、ショートケーキ、シフォンケーキ、諸々…毎年毎年微妙に失敗しながらなんとかケーキを焼いてきて
「とりあえずやってみたいものは一通りつくったかな。」
というカンジだったので今年は、“パン”をつくってみようということになった。


パンを焼くなんて学校の調理実習でしか作業の記憶が無い。
なので近くの本屋さんでレシピ本を購入してから、買い出しへ。
「つくるのは“イギリスパン”!必要なものは…“強力粉”、“イースト菌”、“砂糖”、“塩”、“バター”…これだけでいいの!?」

「♪なーんだ、簡単なんだ。」
コネコネ、バンバン、コネコネ…材料の少なさに油断しすっかり忘れていたのは、“菌の発酵”。
イースト菌君達が仕事のしやすい環境に生地を置いて待たねばいけないというのに、電子レンジに低温設定モードは無く、そのためにお湯を湧かしたり型の入る大きな密封容器を探したりと、“イースト接待”に四苦八苦であった。


くれぐれも言いますがロールパンじゃないのですよ「ちーん。」焼き上がり。
材料が足りなかったのか型が大きかったのか、それとも発酵が足りなかったのか、生地が型全体に広がらず、いびつな形に…ロールパンみたい。

しかし料理は見た目ではない、味だ!

…。
……。

…うーん、なんていうか、
「ふっくらしてない。」
周りはカリカリでおいしくできたのだけれども、中身がすごく詰まっていて、重たい。
空気が入っていないと言うべきなのだろうか。
パンのくせにお腹にもたれるこのカンジ…何か違うものができてしまったようだ。

生地のこねが足りなかった?
発酵が足りなかった?
失敗したのはわかるけれども、その原因がわからないので、全く次回に生かせない。
一体何がおかしかったのー!?
誰か助けてください!

もどかしさと共に、クリスマスはイブへの夜は更けゆくのであった。

焼き立てなのにカタ〜

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2006/12/22

ダメダメ大學生の思い出

年末も押し迫るこの時期になると、学生時代、卒業論文に四苦八苦していたことを思い出す。

母校では、大學3年生の春に“卒論計画書”を学校側に提出し、同年夏に指導教諭が個々に割り当てられる。
当時の私もそれが分かるや否や、自身の計画書を持ち、担当教諭の元へ挨拶に行ったのだけれども…その助教授がこれがまた“カタブツ”を絵に描いたような人物で、自分とは違うアプローチのものを全否定。
私の青写真もどうやらそれに合致していたために、全否定。

私はすっかりやる気を無くしてしまい、全てを放置してしまったのだった。


…その放置を思い出したのは、それから1年後の晩夏の頃。

「すっかり忘れてました~あはは~。(心の中)」と、久々に訪れた教諭の研究室でもらったものは、「絶対卒業させねぇ!」の言葉と“9月卒業制度”のパンフ一式であった。

そこからはもう、“いかにして自分の考えを、その教諭っぽく論述するか”に注がれる日々。
それは折衷案というか、もはやおべんちゃら…力注ぐ場所が間違ってるよ!
今考えると1つのちゃっちぃ論文ごときで、全てがふざけた話である。


他の学生同様、閉館時間まで大學の図書館に籠り、年末は開いている図書館を探し都心を徘徊。
また年明け早々はよく、桜木町の横浜中央図書館に通ったのものだ。
同時に通っていた専門学校の課題は滞り、そちらでも頭を下げまくる始末。

なので近頃のようにめっきり寒くなり、町に色とりどりのネオンが光る年末の情景を目にすると、当時の漠然とした焦りや突然襲われる虚しさを思い出し、ますます師走っぽくなってしまうのである。


ちなみに、こうしたすったもんだ大騒動の末完成させた卒論は、
『物語における“嫉妬”~『源氏物語』紫上を中心に~』。
私はこれで無事に、評価“優”をゲットしつつ、春の卒業式に滑り込んだ。

この論文が私の人生において役に立ったかというと…役に立っていれば今頃私は、“モテない男子”のままでいるわけがない。
いや、自身をもって、古代から平安時代の貴族と現代の女性とは心情が全く異なることを証明しているのだっ!
そうだ。そうに決まっている。

(〈トラックバック〉●「早速書きます!!」→06・12・22『Time Capsule』

適度にガンバレ大学生

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2006/12/21

誰が、誰もが。

関係者・専門家が必ず共通して言うことは、「これは運転士だけの問題ではない。」

昨年のJR福知山線脱線事故の「事実調査報告書」の公開によりJR西日本の、過密ダイヤの問題、ATSの問題、そして安全意識の問題など様々なことが掘り返され、また新たなことが発見されている。


現場では、小さなミスが焦りを生み、そこからのミスがさらに焦りを生み…最終的にこうした大惨事になってしまったという。

そこまで運転士を追い込んだのは一体誰なのだろうか。
もちろん上記の多くの問題を見ると、鉄道会社が責められるのは当たり前であるけれども…大手を振って私達乗客がそれをし続けられるかというと、疑問を感じる。

「事実調査報告書」では全駅で8メートルのオーバーランをし、2分弱電車が遅れてしまった際、車掌が乗客に、「遅れているのに謝らんのか。」とガラス戸を叩かれ謝罪を求められたことが記されている。
あの日、直接的に彼を追い込んだのは、もしかしたら乗客かもしれないのだ。


私達は、毎朝不機嫌な顔で駅のホームに立ち、1分の遅延に腹を立て、少しでも電車が自分の思い通りにいかないと子供のようにダダをこねる。
その日のイヤなこと全てを電車のせいにし、駅関係者を吊るし上げ、文句を垂れ流す。

私達は問題の1つとされている“過密ダイヤ”の恩恵を受け、ギリギリまで家で寝ていられたのだ。
それを棚に上げ、一方的に鉄道会社を糾弾することは、筋が通っていないように思えてしまう。

もちろん“事故”と“企業努力”、“サービス”とは量り比べることのできるものではないし、遺族の感情は重々に分かるのだけれども…鉄道企業の意識改革と同時に、私達の意識改革も行わなければ、この問題は決して解決できることでははないと思うのだ。

 国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調委)は、尼崎JR脱線事故の快速電車に乗っていた車掌=入院中=の詳しい証言を、初めて明らかにした。死亡した高見隆二郎運転士が、宝塚駅での非常停止について聞かれ不機嫌そうにしていたり、伊丹駅でのオーバーランを「過少申告」するよう車掌に求めたりするなど、運転ミスをかなり気にしていた様子がうかがえる。(後略)(06・12・20『神戸新聞webnews』

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2006/12/20

渋谷に底引網漁を見た

先日渋谷に、“つないだ手を絶対離さないカップル”がいた(前を歩いていた)。

年は20代前半。
2人で仲良く手をつなぎ、楽しそうに語り合いながら、大きく横に広がり歩く。

場所は繁華街。
そうなると必然的に、前から来る人の行く手を遮ることになる。
しかしそれでも、カップルはつないだ手を離さない。

向かう人々は次々と、2人の間で立ち往生。
それはまるで底引網漁のようであった!


そんな手と手の網に引っかかった魚達(おじさんが多かった)は、不快な顔を浮かべながら、しぶしぶ2人を迂回して通り過ぎるのだ。

そしてその度に2人の漁師は、「しめしめ。」「絶対この手は離さないもんね〜。」とでも言うかのように、見つめ合い、含み笑いを浮かべるのであった。


しばらくすると前から、30代半ばくらいのスーツ姿の女性が歩いてきた。
早足で、急いでいるようだ。

前には例の“底引網”が迫り来る。

獲物は網の存在に気付いているのかいないのか…その歩むペースを落とそうとはしない。

「あぁ、きっとこの人もトラップにかかって、怪訝な顔をしながら足を止めることになるんだ。」

そう思っていると、次の瞬間、女性は両腕を縦に前にかざし、ものすごい速さに自身を加速させながら網に突進!

そして決して切れないと思われていた網をつきやぶるや、そのままの勢いで町の喧騒に消えて行った…。
すごい迫力!それはまるで、ダブルクローズラインをはね退ける、佐々木健介のようであった。


さて。自慢の網を破られた漁師、ことカップルはというと…同じように見つめ合い、「負けちゃった。えへへ。」とでも言うかのように含み笑いを浮かべるだけ…やっぱり勝者は結局、この2人だったのかもしれない。

猛進!

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2006/12/17

哀情

いわゆる“団塊の世代”である私の両親を見ていると、最近殊に、「年とったな。」と思う。

事のはじまりは、両親の見るテレビの音量が、ずいぶん大きいことに気付いたことだった。
それから、みのもんたをはじめテレビの言うことを一元的に信じ、それを自分の言葉のように使うようになった。

故郷が遠くないので久しく会わないわけではないため、シワとか白髪とか、そういうところではわからない。
でも上記のようなフィルターを通して見ると、確実に実感することがある。


体調だってそうだ。
ヘビースモーカーだった父は、数年前からぜんそくにかかったのと同時にタバコを止めたが、今でも薬が手放せないでいる。
リウマチの母は朝陽が昇りはじめる頃から、病院の予約をしに出かけてゆく。


夜も10時を過ぎる頃には眠たそうにしはじめる2人を見ていると…うっすらと井上陽水の『人生が二度あれば』が流れてきて、哀しさや暖かさや感謝や、色々なものが混ざった複雑な気持ちになる。

私はこの先何をすることが、彼らの喜びに、恩に報いることに、なるのだろうか。
何となく漠然と、悩んでいる。

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2006/12/16

こまつり

制作決定から1年強
じっくり、のんびり待ったかいあって、先週からいよいよ『こまねこ』の長編映画が公開された。

と、いうわけで、今日はこまねこ祭り、略称“こまつり”。
前売り券をにぎりしめながら、シネマライズへ出かけた。

こまさんた!映画館はもはや『こまねこ』一色。
受付のお姉さんの傍らに、こまちゃん。
階段を下りたショーウィンドーには、クリスマスツリーとこまちゃん。
ホールの柱に張ってあったポスターには、ひっそりと監督のサインが記されてあった。


「長編映画」なんて聞くと、2時間とか3時間のものを想像してしまいがちだけれども、“こま撮りアニメーション”はそうはいかない。
新作4話+すでに公開されている短編作品1話で、1時間くらい。

しかしその1時間に、スタッフの莫大なる労力と想いが詰まっていることは容易に想像でき…じっくり時間をかけてつくってくれたその分、こちらもじっくり噛みしめて見よう、という気にさせられる。


「にゃにゃー。にゃにゃにゃ、にゃー!」

…喋った!
短編でも1言だけ、「にゃー!」と喋っていたこまちゃんだけれども、今回はかなり喋る(変わらず「にゃー」だけだけれども)。

アニメの“声”というものが本当に難しいなと思うのは、人によって「これだ!」という声のイメージの差があまりにも大きく、そしてそれが作品全体の印象に大きく影響を与えるからだ。
また声の印象で、そのキャラクターの印象もガラッと変わる。

ここで違和感を感じてしまった人も、いるかもしれない。
私の場合も、短編での無声映画のような、そんなシンプルな雰囲気が好きだったので、少々残念だった。


だがしかし、やはりこまちゃんは抜群にかわいかった。

空を見つめながら足をフラフラさせたり…すごい顔してスネてみたり…細かな仕種と豊かな表情が、よりそのキャラクターを膨らませていた。
乙女的なかわいさと、無邪気なかわいさと、より魅力的な子になっていたのだ。ぽっ。


映画のテーマは、「ともだち」。

親友と呼ばれる関係なほど、「アレ?なんで仲良くなったんだっけ?」ということが多い。
それはただ記憶の問題だけではなくて、もしかしたら友達って、見た目や、言葉や、性格など様々なことを超えたものにより、必然的にできてしまうものなのかもと思った。
たとえ今寂しくても…自分があれば、いずれきっと「できてしまうもの」なのだと。
プログラムも、かーあいー

あっという間に上映時間は終わり、映画を見た後は、原宿KDDIデザイニングスタジオで開催中の、“こまねこ展”へ。
ここでは撮影に使われた人形・セットが展示してあるのだ。

「テレビで見るよりずっとおキレイですね!」
目の前で見る実物こまちゃんは、5割増しのかわいさだった。
この市販のぬいぐるみでは出せない独特の暖かさは…造型美と、フェルトの質感?
まさに職人の技。

また細かなところまでつくり込まれた部屋を見ると、映画を見ただけではわからないところも。

こまちゃんのおじいはヒットに恵まれない映画監督だそうだが、部屋にはドカンと“オスカー(と絵コンテに描いてあった)”が置いてある。
階段の壁には自身の肖像画の他に、『キャットVSオクトパス』や『大怪獣どーもくん』(正式タイトル忘れた)など、子供が喜びそうなポスターが…あぁ円谷英二みたいなんだ。

うっとり…じっくり…その前からなかなか動けなかった。


会場ではスタッフさんがプリンタを使って、ポストカードをプリントして配っていたり、会場前には手づくりの看板があったりと、ここも映画に負けず暖かい展覧会であった。


『こまねこ』を見ると必ず、“クリエイティブ欲”が満タンにされる。
実のところここ数週間、私は生地屋東急ハンズに足しげく通いながら、こまねこをマネして人形をつくっていたのだ!

しかし全然かわいくならなくて…半ば諦めていたのだけれど…「とりあえず最後までやってみよう!」という気になって、帰路に着いたのであった。
こまちゃんには負けられん!

(〈トラックバック〉●「こまねこ展について!!」→06・12・16『こま撮りえいが『こまねこ』公式ブログ』
●「Do you know『こまねこ』?」→06・12・16『☆こぶたの生活☆』
●「可愛すぎるっ 」→06・12・14『みち草日和』
●「こまねこをみた。なぜか泣いた自分がいた。」→06・12・11『マコトナソナタ』

みんなてづくり

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2006/12/15

ニシオ!

「中西学こそ、プロレス大賞MVPにふさわしい。」

これは先週号『週刊ゴング』での、ユリオカ超特Qの言葉。


もちろん冗談だけれども…あながち冗談ばかりでもないようなこの言葉。
TBS『さんまのSUPERからくりTV』により、一般の人への浸透も広まりつつある今、中西にはぜひ来年、今年以上のリング内外での大暴れを期待する。


プロレス大賞の鈴木しかり、丸藤しかり、最近のレスラーはみなクレバーになり過ぎてしまっているのかもしれない。

そんな中中西は、アマレスでは全日本選手権連破、そしてオリンピック出場を果たすほどの実力者でありながら、プロ転向後はド直球のパワーファイターに。

見るからに“プロレスラー”という肉体、そして破天荒で周りを巻き込むその天然ぶり、勢い任せの方言喋りは、かつてよくいたプロレスラーの姿…晩年の猪木、大仁田に続く、“笑われる”タイプの古き良きレスラー像を思わせる。


しかしだからこそ彼のひたむきな姿・純粋さに、斜に構えていたものを超越し、心うたれる時がある。

IWGPシングルのベルトやG1クライマックスなど、第一線から退いて結構経つが…今またこの世代が円熟味を増し、ようやく盛り返しを見せている現状を見ていると、彼にも期待せずにはいられない。

そしてプロレスは、常に世間との戦い。
プロレスという特殊なスポーツを、格闘技を、世間に認めさせるための戦い。
だからこそプロレスラーは、政治家になったり、タレントになったり、経営者になったり…リングを下りても様々な活動をする。
プロレス界だけに収まりきらない彼のキャラクターは、もっともっと優遇されるべきである。


中西学、“対世間”のリーサルウェポンとしての復活を!
そして武藤を破って夏を獲った、あの時の感動をもう一度!

(〈トラックバック〉●「【プロレス】中西学、からくりBBQ相談亭」→『ふたりdeぶろぐ』

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2006/12/13

誠実なる復権を

 WBA世界ライトフライ級1位ファン・ランダエタ(28=ベネズエラ)が敵地を「ホーム」に変えた。同級王者亀田興毅(20=協栄)との再戦に向けて12日、パリ経由で来日。韓国人俳優のソン・スンホン(30)と来日が重なったこともあり、早朝の成田空港で約800人の女性ファンの大歓迎を受けた。8月の初戦では微妙な判定で同情票を集め、日本のファンを取り込んだランダエタが、KO勝利で完全決着をつける意気込みを見せた。
 再来日ではなく、凱旋(がいせん)帰国のようだった。ランダエタが到着口に現れると、数百人の女性から握手、サイン攻めを受ける。女性たちの真の目的は韓流スター、ソン・スンホンの来日とはいえ、亀田と戦ったランダエタの名は一躍、日本中に知れ渡った。ホームのような熱烈歓迎に「遠い国の人間を温かく迎えてくれてうれしい」と笑みを浮かべた。(後略)(06・12・13『ニッカンスポーツ』

「この空港での女性達による握手責めがTBSによる“仕込み”で、全てはランダエタのハングリー精神を削ぎ、亀田を勝たせるために行われていることだったりして…。」

なんて、ボクシング全てが(少なくとも私からは)斜に見られてしまっている現状。
この一戦の関係者全てに言いたいのは、こんな考えを吹っ飛ばすような“真っ当な試合”をしてもらいたい、ということだけだ。

(〈トラックバック〉●「亀田興毅 対戦相手ランダエタ」→06・12・13『nozawa22』

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2006/12/12

全ては海に還る

 「世界一性格の悪い男」鈴木みのる(38=パンクラス)が、日本一のプロレスラーになった。06年プロレス大賞選考会議が11日、東京・千代田区の日本プレスセンタービルで行われ、鈴木が最優秀選手賞を初受賞した。
 今年は3冠王座を戴冠した全日本を含め、10以上もの団体や興行に初参戦するなど、幅広く活躍した。女子や色物選手とも対戦した。
 将来的には小橋建太との3冠戦も目標に掲げ、愛されるヒールとして新境地を開拓し続ける。授賞式は25日、都内のホテルで行われる。(06・12・12『ニッカンスポーツ』

異論無きMVP。
歯に衣着せぬ発言は好きではないけれど、しかし彼の言うことはほとんどが正論で、とてもわかりやすい。
ブログもとてもおもしろいし、すごく頭のいいレスラーだと思う。

しかし船木の、高山のと、常に“ナンバー2”であったみのるが、ここまでビッグになるとは…。


この鈴木みのるをはじめ、一時期U系・総合系の闘いに身を投じていたレスラーの、“純プロレス回帰”が進んでいるように思う。
あの熱狂的な総合ブームも去り、ファンも含め、ようやくプロレスの純粋な強さ・楽しさ・素晴らしさが見直されてきた証拠なのだろう。


“総合ブーム”真っ只中の頃、私はとにかく、「プロレスと総合は全く異なる格闘技だ。」として自分を慰めていた。
相次ぐプロレスラーの総合リングでの惨敗、プロレス界の客離れ…目も当てられないほどの冷えきった状況に、こうするしかなかったのである。

しかし現在の状況を見てみると、結局はプロレスが一番で、結局はプロレスに戻りおさまってゆく…いや、全てがプロレスというものの掌の上のような…。

かつての「シューティングも含めたものが、プロレス。」という馬場さんのセリフは、こうして歴史が証明し、本当に深いものだったのだなと実感したのである。

(〈トラックバック〉●「今年のプロレス大賞」→06・12・13『フギン@ムニン』
●「プロレス大賞」→06・12・12『俺が鈴木みのるだ!』

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2006/12/10

功名が辻

NHK大河ドラマ『功名が辻』が最終回。
実は残念ながら1回だけ、放送を見逃してしまった(しかも関ヶ原の回の次)のだけれども…1つのドラマをこれだけじっくり見たのは、久しぶりだ。

日本でいえば『古事記』の時代から奥方の存在は、まつりごとには欠かせないものであった。
放っておくと私欲にまみれ暴走しかねない夫を、時にたしなめ、時に叱咤し、計らずともよりよい方向に導くのが妻の役目で、常に夫婦は共にあるものであった。
逆にいえば、お嫁さんのいない男には政治はできないというわけだ。

しかしそんな歴史的背景がありながらも、どの時代でも男は、妻をないがしろにするものだ。
男は同時に、自尊心や好色を持ち合わせているからだ。


しかし、山内一豊という人物だけは、違ったようだ。

前話で、仲違いしていた千代に対して、一豊が発した言葉。
これこそが彼の人生の全て。

そして一国一城の主に、夫に、男に、そこまで言わせた千代の存在というもの。

夫婦はやはり対であり、欠けた己を補完し合い、共に歩むものなのだと感じさせられた。
そしてこの夫婦や、“いい夫婦”というものは、何よりもこのことを理解している二人なのだと思わされた。


歴代の天下人に使えた山内一豊という人物と共に歩みを進めると、より、常に歴史は流れていてその中で様々な人が生き、そして死んでゆくということを実感する。

全ては流れに流されるがまま…無常である。
「人は、何のために生きるのか。」…考えると結局、人は、穏やかに畳の上で死ぬために、今を頑張って生きているだけなのかもしれない。
いや、それさえあれば、いいじゃないか。

物語の中で様々な人物により繰り返された、「死んではいけない。」の言葉は、決して戦国の世にだけ通用する言葉ではないはずだ。


一豊臨終の際に、夫婦のキスシーンがあった。
1年間ドラマを見てきて、ようやく現れた、夫婦の契り。
それは日本文化の奥ゆかしさと、夫婦の歴史、そしてドラマの歴史の重さ。

その直後見た、『ラストサムライ』のキスシーンの軽いこと、軽いこと…。

(〈トラックバック〉●「『功名が辻』第49回「永遠の夫婦」」→06・12・12『浄心』
●「功名が辻〜最終回〜」→06・12・11『ガヴァドンなボログ』
●「功名が辻 最終回」→06・12・11『い〜かげんに行きましょう』

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2006/12/09

かめかめ

最近、色々と生地屋さんにばかり足を運んでいる。

今日行った吉祥寺のユザワヤで、カット台から店員さんの怒号。
どうやら生地を持って来て、「短かめで…。」と頼むお客さんがいたようだ。

「『短かめ』と言われましても…『何センチ』とご指定くださらないと。」

「イヤ、『短かめ』でいいんですけど…。」

「『短かめ』では人によって差がありますから…。」

「イヤホント、『短かめ』でいいんですよ…。」

「で・す・か・らっ!」


キレたー!
カット担当だけに。

…どっちもどっちだ。

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2006/12/08

女子高生の後ろは歩けない

だって…

突然ストップするんだもの!

下がる靴下気になるのね~

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2006/12/07

肉食

昔、おらが町には1軒の、小さな小さなレンタルビデオ屋があった。

ネコ好きの気のいいおばちゃんが1人で切り盛りしているそこにはいつも、飼っているのだかいないのだかわからない小汚いネコ達が集り、店の床は常にネコの毛に埋もれていた。

当時我が町にはビデオ屋さんはそこしかなく、当然私もそこの会員になっていて、貸出の手続を待ちながら、赤の他人にもかかわらずお客さんみんなで寄り合い、そのネコ達をグリグリしていたことを思い出す。


そんなおばちゃんのビデオ屋は7,8年前、近所への“某中堅レンタルチェーン店”の出店により、閉店を余儀なくされた。
よりよい品揃えは確かに嬉しいことではあるけれども、その時とても複雑な気持になったのを、覚えている。


そして月日は流れ…つい最近、そんなおばちゃんのお店を追いやった、“某中堅レンタルチェーン店”が閉店したとの話を聞いた。
原因は、半年前に駅前に突如できた、“某国内最大手レンタルチェーン店”の存在である。

この圧倒的な弱肉強食の図式…なんだか切ない。

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2006/12/05

人はみな、中頃。

上を見ればキリがない。
下を見ればキリがない。

人は常に何かと何かに挟まれているようなもの。
だからみな、その上下との格差で辛い思いをする。


例えば仕事で…

上から下りて来た非情な命。
それをそのまま受け取って、それをそのまま下へ流す。
なるべく自分は、ベルトコンベアーのように流れるままで、考えないようにしながら。

それでいいの?
それはきっとそのまま下りて行って…誰が傷つくか、わかっているのに?
その傷が大きくなる前に、自分がここで受け止めなければいけないんじゃないの?


上を見たらキリがない。
下を見たらキリがない。

だけれども、各々がその場所で、その場所を全うしようとしなければ、全てのことは廻らない。
“真ん中にいる自分”をどう捉えるか、人は常に、その立場の自覚を迫られているのかもしれない。

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2006/12/02

ギャップ

今日は仕事でお世話になっているゲーム会社のイベントへ。
ゲスト…んなわけはなく、スタッフで。

場所は渋谷の、いわゆる“クラブ”。


男子たるもの、誰しも何かに傾倒しているものだ。
これぞ、“日本男児総おたく論”。

その場合、やはり場所が場所だけに、手伝ってくれていたクラブのスタッフさん…ドレッドヘアやヒゲピアスのお兄さん達には、“レコードおたく”や“DJおたく”な人が多い。
そしてもちろん、普段相手をしているお客さんも、そのような人ばかり。


だがしかし、今日だけは訪れるお客さんが違った。
会場前では彼らが、訪れるお客さんとの「おたく間ギャップ」に衝撃を受けている、その様子がおもしろかった。

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2006/12/01

トラウマ星

何度も言うが、私は、節足動物が苦手だ
とにかく全般的にダメなのだ。

だけれどもそんな中で、特に苦手な虫がいる。
それは、“テントウムシ”。


木々に囲まれている我が家には、虫がよく出入りしてくる。
夏はもちろんのこと、冬にだって、暖かい部屋を頼りにするかのように、小さな虫達がどこからともなく、寒さをしのぎに入り込んでくる。

多いのは“テントウムシ”だ。
部屋に帰り電気をつけると、蛍光灯にピシピシと当たる、黒い点。
夜寝る時に何気なく天井を見上げると、ジワジワ動く、赤い点。

そんなテントウムシを、「またか。」とつぶやきながら、触れないように触れないようにティッシュに包み、外に逃がして(機嫌の悪い時はゴミ箱へ)やる。
それを毎冬、週に1度はしているのだ。


いつぞやの冬のこと。

その年はやけに部屋の“テントウムシ発生率”が高かった。
週1だった彼らとの遭遇が、その冬は毎日のように。

しかもその全てが、部屋を右から左へと通行している。
まるで、みんなどこか同じところから入って来ているように…。


彼らの歩く道をたどれば、その始まりがどこかはすぐに判明した。
“本棚の裏に隠れ開けることのない、出窓”だ。
と、いうわけで本棚を動かし、意を決してその出窓を開けてみると…

縦に延びる窓サッシにビッシリとくっついた、無数のテントウムシがっ!

「ナナホシ…ニジュウヤホシ…ナミ…わぁここはテントウムシの博物館だね!」
なんて言えるかっ!
ゾ〜クゾクゾクゾク…!(鳥肌)


まるでシダ植物の胞子かのように連なる点の群れ群れ…このこうして今思い出すだけでも寒気が走る、まさに“トラウマ”のせいで、今や私はテントウムシが特にダメなのである。
ゾクゾク…。

今やテントウムシのおもちゃなどでも寒気が走ります

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