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2006年10月の記事

2006/10/31

もうちょっと、もうちょっとなんだよ!ハマボール

お世話になっている横浜情報ブログ『横浜遊楽』さまで、衝撃的ニュースを目にした。

 横浜西口のアミューズメント施設「ハマボール」(横浜市西区北幸2)が来年1月14日に閉鎖され、36年の歴史を閉じる。経営は、LPガス、石油製品の販売や不動産賃貸業を手がけるミツウロコ(東京都千代田区)の関連会社。
 1970年にオープンした「ハマボール」は、敷地面積5,211平方メートル、地上3階建ての複合アミューズメント施設で、56レーンのボウリング場を中心に、スケート場、アーチェリー、ビリヤード、デジタルダーツ、ゴルフ、バッティング、卓球、カラオケなどを備える。同施設の閉鎖は、竣工より36年が経過している建物の老朽化が主な理由で、地盤沈下対策・耐震性向上策を施し構築物全体を建て替える計画。(06・10・20『livedoor News』

ハマボールといえば、横浜駅周辺で歴史を感じさせる唯一の建物、そしてハマっ子定番のプレイスポットである。
ボーリングはもちろんのこと、バッティングセンター、卓球、アーチェリーにスケートリンクまで備えた超複合型遊戯施設だ。
それがなぜ…。


そりゃ、川の向こうに“ラウンド1”ができてからは、たまーに浮気をしたことも正直、あった。
しかしキャピキャピ大学生などが多く、騒がしい雰囲気のそこに比べてハマボールは、初々しいグループ交際中学生や仕事帰りのサラリーマンなど、客層も穏やかな雰囲気で、広い1フロアに圧倒的な数で展開されるボーリングのレーンは明るく開放的で、とても居心地がよかったのである。
大昔…地元の同級生と夜中に飲んで、その流れで行ったボーリングがなぜか異様に白熱したのも、いい思い出だ。

何よりその古くさい建物は、後5年、いや3年も経てば、廻りに廻って「レトロ」と認識され、とても味のある場所になると思っていただけに…とにかく残念だ。

もうちょっと、もうちょっとだけ、がんばって欲しかったなぁ。


横浜では先日、マリンタワー氷川丸の売却が話題になったばかり。
古きよきハマの風景がここに来てどんどん変わっていくような気がして、寂しいのである。

(〈トラックバック〉●「36年の歴史に幕を閉じるハマボール−今後は建て替えへ」→06・10・23『横浜遊楽』

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2006/10/30

残されたランドマーク、消失

 渋谷区は6月27日、桜丘町の旧大和田小学校の跡地に、教育センターや健康センター、中小のホールなどで構成される大型複合施設を開設すると発表した。
 総工費は約120億円で、約5,000平米の敷地に、地上13階(地下3階)のオフィス棟と、地上1階(地下3階)のホール棟を建設する。オフィス棟には、教育センター、こどもども科学センター、図書館、健康センター、渋谷区医師会館、渋谷区医師会付属看護学校、介護予防センター、ケアコミュニティ施設、保育園が開設されるほか、公益的用途利用フロア(最大5,600平米)も設ける。また、ホール棟には、舞台、オーケストラピット、楽屋等を備えたクラシック音楽中心の中ホール(800席)や、舞台、花道、迫り等を備えた伝統芸能対応の小ホール(400席)を開設するほか、最上階にはプラネタリウムを新設する。渋谷区では、五島プラネタリウム(2001年3月閉館)で使われていたカールツァイス製のプラネタリウムや資料などの寄贈を受け、同小学校内に保存しており、新設するプラネタリウムではこれらの活用を図る予定。ドームの直径は約16メートルで、扇形に配列された客席定員は100〜150席を予定している。想定面積は550平米。
 同施設開設までのスケジュールは、2005年度中に設計事業者の選定を行い、2006年度に解体・建設工事に着手し、2007年の開設を目指す。同小学校は、統廃合により1997年3月に廃校となり、図書室やプールなどの施設開放を行ってきたほか、1999年からは「ケアコミュニティ・桜が丘」として、地域コミュニティの拠点として使われてきた。(05・6・28『シブヤ経済新聞』

渋谷桜丘のランドマークといえば、“インフォスタワー”でも“楽器のKEY”でもなく、やはり“大和田小学校”なのである。
かつての地名を唯一残す歴史ある小学校は、廃校になってからもかろうじてその姿を残し、図書館・体育館として地域住民と共にそこにあり続けた。

若かりし頃上京してすぐに暮らしたところが桜丘であったという、御年80を迎える我が家の祖母が、私に発した言葉が、
「大和田小学校は、まだあるのかね?」
であったことからも、それはうかがえる。

今この地で働く私との、唯一の共通の話題だ。


そんな大和田小学校が、東京都の「都市再生緊急整備地域及び地域整備方針」という理解し難いお決まりにより、あっさりと取り壊されてしまうのは、なんとなく哀しい。
渋谷でありながら泥臭く、しかし穏やかで、季節感もある住み良いここは、できればその時間の流れをこれ以上壊さずにしておいてもらいたい場所である。

上記の指針の、“緊急”という言葉に無性に焦燥感を駆り立てられる。
これは誰が、誰のために、何のために、急いでいるのだろう。

先週末をもって閉鎖された、そんな大和田図書館の前で、考えていた。

(〈トラックバック〉●「旧大和田小跡地に大型複合施設−プラネタリウムも」→05・6・28『シブヤ経済新聞』

サヨナラ

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2006/10/29

京都に行ってきたんどっせーい

京都の朝は、早い。
神社仏閣の開門はもちろんのこと、(それに合わせて)観光客だって朝早いのだ。

朝7時半。
「あしたの朝は早起きして、散歩に行くぞ!マイナスイオン!」
と張り切っていたのだが、深夜に及ぶ酒宴のせいですっかり床に伏したままであった。
ふと目覚め、もうろうの中時計を確認し、「もう1時間くらい寝ちゃおう…。」と再びうとうとし出していると、廊下から声が。

「それじゃ~行ってきます!お世話になりました!(颯爽)」

…早ぁ!お坊さん泊まってた!?
私も飛び起きたのであった。

二度寝は最高の贅沢です


〈本日、訪れたところ〉
○御髪神社
宿のご主人に車で送ってもらい、朝の奥嵯峨へ。
嵐山の喧騒が嘘のような、密やかないい場所だった。
清々しい空気を吸って、前までの空気を吐き出して、肺が浄化されたような気になる。

オマエラ髪気にしてんのかニャー年頃の男子が集まれば、そろそろ“髪の悩み”が話題を賑わす時期である。
と、いうわけでトロッコ嵐山駅そばの御髪神社へ。
神社の真ん中で「でーん。」とくつろぐ猫がいて、まるで神様のよう(たぶん神の遣いだった)…この子にお祈りしておいた。

○竹林の道
ここまで下りてくると、さすがに人が増えてくる。
竹林は思っていたよりも長く、朝の涼しさも相まって、ひんやりとしていた。
この美しいトンネル…絶えず手入れしている人がいるのだろうと思うと、頭が下がるばかりである。

○野宮神社
『源氏物語』にも登場する由緒ある神社は、恋愛成就を願う人が多く訪れるという。
確かにそう言われてみると、女性が多い。
道端に露店を出していたおっさんは「今日はやけに男が多いな!」とグチをこぼしていた。
…男4人で神頼みの私達…何だか色々と申し訳なく思った。

○天龍寺
男なら、この地で必ず、心に“サンダーストーム”が鳴り響くことだろう…そのままじゃん。天龍チョップ!

天竜寺といえば何といっても『雲龍図』であるが…入り口にこんな文字が。
「10月28日・29日は法事のため、法堂に入れません。」
この看板を前に、来る人来る人みんながショックを受け唖然としていた。


○東寺
嵐山を後にし、京都の中心地へ。
お陽さまもすっかり上がり、気温も上がり、ここに来て一行は“二日酔い”に悩まされはじめた。…何だか疲れちゃってグデグデ。

境内には樹齢120年という「不二桜」があった。
おそらく春の頃にはそれは美しい花を咲かせ、訪れる人を幸せにしてくれるのだろう。
しかし四方からワイヤーに支えられ、丁寧に丁寧に扱われながら立つその姿を見た時に私は、管につながれた延命治療中の老人を連想してしまい、何だか切なくなってしまった。

○清水寺
やはり観光旅行。
どうしてもせわしなくなる。
仲間内から突然「やはり清水に!」との声が上がり、バスに飛び乗った。

ザ☆京都写真さすが清水寺
嵐山にも劣らない人の数であった。
修学旅行生もいっぱい。
以前ニュースで扱われこのブログでも紹介した、“舞台のピンヒール痕”であるが、よくよく目を凝らして足元を見てみると…無数の丸い痕が。
やはりウワサは本当だった。

○そば処柴崎
清水にあるおそば屋さん。
「これが京風か!」というさっぱりおいしいそばだった。

しかしながら…「魂込められたそば!」「全品完全手打ち!」「湯桶はあの巨匠の作品!」「『美味しんぼ』でも紹介!」「小宇宙空間で至福の時を!」「全身全霊で美と食を堪能されたし!」など、とにかく能書きが多くて疲れてしまった。
味だけで勝負したほうが“ホンモノ”っぽいし、上品よ。


○本能寺
あの歴史的事件の後に移築されたお寺は、今や商店街の入り口に何気なくあって驚いた。
本堂の中には、何やら他のお寺では見ないような像が。
日蓮さんだったのかな。

そんな本道をお参りした際、友人のSTRさまがお賽銭を放ると…コインは見事に賽銭箱に弾かれて、本堂のずっと奥までコロコロと…。
隣のカップルに笑われながら帰った。

○京都繁華街
旅に行くと私は、「地元の人達は、どこで遊ぶんだろう。」といつも考える。
せっかく自分の土地とは違うところに行くのなら、その違う土地の、地元の人達の日常に少しでも染まってみたいと思うのだ。
店員さんが京都弁のマクドナルド京都の主婦が群がるユニクロ…それこそ定番の場所のほうが、おもしろい。

大きな市役所前から、歩いてみた。
京都の繁華街は、とにかく人が多い!
大小様々な通りに、脈絡無くお店と人がひしめき合って…その“ゴチャゴチャ感”は、大阪を上回っていると感じた。

フラフラしていると…とあるミリタリーショップの上にメイド喫茶発見。
京都のおたく達に見えてみるかと勇んだものの、お店は“ハロウィンイベント”のために大盛況。
泣く泣く店を後にしたのであった。


結局「おたべ」と、本屋で見つけたかわいい京都のタウン誌くらいで、これといったお土産が見つからなかった。

と、いうわけで、駅の切符販売機に駆け込んで、最後に買ったお土産は、“ICOCA(イコカ)”
コッチじゃ“Suica”さえも持っていないというのに。


京都はやはり、日本一の観光地。
古きも新しきも、何でもある、本当に何でもある!
そして深い、とにかく深い!
こりゃクセに、なりそうだなぁ…。

近江牛弁当を食べながら、新幹線
二日酔いはいつの間にか治っていて、またビールが飲みたくなっていた。

異コラボ

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2006/10/28

京都に行ってきたどす

紅葉前を狙い、土日をフルに利用した、男4人の京都1泊2日旅行。
行きは7時50分発、帰りは9時15分着、完璧だ!

ここに行くのは中学校の修学旅行以来。
大昔なのに加えて、中学生の心に神社仏閣が響くはずもなく…記憶に全く無いのが情けない。


京都の街は、さすが都だけあって、とにかく広かった。
他の観光市街の感覚で、「じゃあ次の目的地まで、歩いてみよう。」なんて歩き出すと…テクテク…テクテク…ずっと歩き続けるハメになる。

〈本日、訪れたところ〉
○伏見稲荷大社
永遠のようだ連なる千本鳥居を眺めに行くと…登山客?
そう、稲荷山は巡るのに2時間はかかるという、れっきとした山なのだ。
なるほど重装備の人もいるわけね~。

着の身着のまま山道を登り始めた我々は、ほうほうの体で途中で引き返したのであった…コーン。

○うどんと信楽焼の店・たわらや
名物、“たわらやうどん”をキチンと予約を入れて注文。

…太ぉ!
太過ぎるよこのうどん!
うどん2本とスープだけの光景に、「これで満腹になるのだろうか。」と心配していたのだけれども、いざ完食してみるとすっかりお腹いっぱいに。
ショウガで体も暖まり、ホカホカ…たわらやうどんは“出オチ”に止まらず。
おいしかった。

太ぉ!


○広隆寺
レトロで美しい北野白梅駅から嵐電に乗って(とても風情のある電車)ゴトゴト…私が「ここだけは行きたい!」と主張した広隆寺へ、絶世の美女に会いに。

国宝第1号の弥勒菩薩さまは、それはそれは折れそうなほど細く、それでいてしなやかで…穏やかさをたたえつつ、それでいて内に秘めたる強き思いを感じさせ…美しい。
今も昔も、私が一目惚れする女性は、こういう人のような気がする。


○嵐山渡月橋
空間駅に着くと、すごい人の流れ!
今までずっと人の少ないところにいたものだから余計にそう感じたのか…嵐山はすっかり“ザ・観光地”というカンジであった。
バスの通るメイン通り沿いのお店は、どこも同じように見えてしまって…1軒甘味処に入ったのに、すっかり記憶の彼方である。

そんな通りを人に揉まれながら進むと…高い空と高い山、広い川、広い橋、今までの喧騒がウソのように、ポッカリと口を開けた空間に包まれて、驚きと感動に襲われた。
突然自然に包まれる、というか何というか、なかなか筆にし難いこの感覚…おそらく不快にまで感じていた嵐山の商店街の喧騒との落差が、これを興す一因であるのかもしれない。

○嵐山さくら
夕飯だ!
阪急松尾駅から結構歩き、住宅街の中を迷いさまよいながら…ようやく、ようやく見つけた創作の割烹さん。

(本当に)閑静な場所にある、静かで落ち着いたお店。
おいしい料理とおいしいお酒で、いつもよりも昔話に花が咲いた。
大人の雰囲気だけれども、楽にしていられる、とてもいいお店だった。

○民宿嵐山
お安く泊めていただける民宿。
瓦屋根に縁側、障子窓…昔はごくごく当たり前だった建物に、懐かしさを感じてしまう。
まるで我が家のように落ち着くし、嵐山市街は近いし、文句無しである。

次の朝出発する時に、ご主人が奥嵯峨まで車で連れて行ってくれた。
お世話になりました。


京都はすごい。
全体的に時の流れが遅いのだ。
「そろそろおやつの時間かな。」と思って時計を見るとまだ13時だったり、
「夜もすっかり更けたなぁ。日付変わっちゃった?」と思って時計を見るとまだ21時だったり。
それを感じたのは私だけではなく、驚きのあまり友人同志顔を見合わせたほどであった。

いつもよりも時間を満喫できたというか、1日を満喫できたというか。
これが本来の時の流れなのか。

のんびりお酒を飲みながら、
「普段だったら今頃まだ、会社でシコシコやってる時間ですよ!」
などと、いかに自分達の日常が異常かを感じ、そのまま落ち込みそうな勢いであった。

さすがに今日は観光なので余計にそう感じてしまうのかもしれないけれども、こんな緩やかな流れの中で生活している人達も、いるのだなぁ。
羨ましいなぁ。

静かな夜

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2006/10/27

青い旅

NHK『世界ふれあい街歩き』再放送で、「モンマルトルの丘」。

この番組では、カメラ視点で疑似観光ができる。

ぶどう畑、サクレ・クール寺院前に広がるパリの風景…かつて観光旅行で訪れた時の光景を思い出した。

モンマルトル周辺を1周する子供用の汽車に乗ってみたものの、石畳による揺れに耐えきれなくて、乗り物酔い…なんて辛きことも、いい思い出だ。


夕暮れになると、パリジャンやパリジェンヌは、フラフラとこの丘のてっぺんをめざす。
暮れゆくパリの街並みを眺めるためだ。
人々は、お陽さまと街灯とに彩られ、表情変えゆくパリを、穏やかに見守るのだ。


このようなテレビで見られる地元ならではのゆるりとした時の流れは、観光旅行者にはそうそう味わえるものではない。

「さあっ!次はどこ行く!?」
「近い駅はどこだ~。どやって行こうか!?どやって!?」

観光旅行はせわしない。
きっとたくさんのことに損していると思う。


だけれどやっぱり、いざ旅行に出かけてしまうと、欲張っちゃうんだよな~。

まだまだ懐深くないというか何というか…これはまだ、若く青いうちはしょうがないことなのかもしれない。


と、いうわけであしたから、1泊2日の京都旅行に行ってきます。
おそらく落ち着きの無い、いそいそとしたものになることだろう…しょうがない。だって私は、青いから。

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2006/10/26

新庄引退

「危険なセーフティーゾーン」
「弱いストロング金剛」

と同義語に感じる言葉が1つ。

「等身大のスター。」


“スター”は、他の誰にもマネできない唯一無二の存在。
それなのに昨今は、「等身大」という真逆の言葉に守られた、中途半端な量産スターばかりのように思う。

そんな中、“新庄剛志”

この人だけは、本当のスターだ。


今の“SHINJO”が確立される以前の阪神時代、定まらぬ言動は物議をかもすばかりであったが…その素質はすでに咲き始めていたのは誰もが知るところ。
その野球センスは非凡であったし、いい悪い抜きにその存在はもはや誰もがマネできるものではなかった。

やがてアメリカに渡り、本場の野球を経験し、日本球界へカムバック。
それは日本のプロ野球界のため…いや、日本のプロ野球ファンのため。

多くの日本人大リーガーが、かつての自分や日本のプロ野球を批判したり、レベルの違いを暗に示唆し、アメリカの地に骨をうずめるような発言をしていたのに対し、彼は全く別の次元でプロの野球というものを捉え、「日本球界に恩を返す」と踵を返し帰ってきた。
そのためだけに、帰ってきた。


“SHINJO”になった新庄は、自分と野球に対する大いなる自信と、大いなる愛情を身に付け、正真正銘のヒーローになっていた。

つねにファンと対峙している意識…それはチームを変え、日本のプロ野球全体を変えたと言っていいだろう。

ここ数年のファイターズ、そしてオールスターなどでの選手達のパフォーマンスは、かつてのように新庄個人に止まらず、全ての選手がプレイで・ファンサービスで…見ごたえのある素晴らしいものだった。
彼の光の前に立つと誰もが、「プロとは何たるか」を考えさせられるからなのだろう。


そしてもちろん、その実力も。
強運と勝負強さ…彼が舞台に立つその瞬間に、舞台のお膳立てはなぜか整う。
彼だけが目論んでいても、決して整うはずのないものなのに。
「新庄劇場」という言葉がどこかで使われていたけれども、まさしく彼の周りで起こることは全てが劇的であった。

全てが彼にしかできないこと。
彼だからこそできること。


日本のプロ野球を、正真正銘のプロ野球にした男、スーパーヒーロー新庄剛志
プロ野球ファンとして、彼に感謝せずにはいられないのだ。
ありがとう!

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2006/10/24

萌え伏せよ!

しきたりは、無下に否定してしまえばそれまでのものである。

お祝の品にはのしを付けなければいけないとか、年齢が上の人には敬語を使わなければいけないとか…その成り立ちや理由のわからないそれを、

「どーだっていいじゃん。」
「くだらない。」
と言ってしまえば、それまでなのである。

しかしそれでも私たちは、それを守り続けている。
先人から脈々と受け継がれてきた、暗に守るべき大切な文化だからだ。
郷に入ってはなんとやら…しきたりを守ることとは、文化を受け継ぎ、それを守ることなのである。


そしてそれは、何も歴史の古いものに限ったわけでもない。

いわゆる“萌え”・“秋葉原系メイド”の文化は、その成り立ちはわからないけれども…とにかく女性をアイドル化はおろか、神格化さえしてしまうほどの男卑女尊の文化である。

「女中」だとか「家政婦」だとか旧来の意味とは180度異なるメイドさんを前にして、喜ぶ姿や、なぜか平身低頭する男性の姿を、土曜日夕暮れのとあるメイド喫茶で眺めながら…私はそう感じていたのだ。
…って、自分も行ってるんじゃないの。

と、とにかく…秋葉原の文化は臆病なほど女性に優しく、3次元世界での暴力は決して存在しないもの。
いつからかそうなっている、でもそこに訪れたなら無条件で必ずそうしなければいけない、“文化”なのだ。


しかし、このニュース(↓)。

 多数のメイド喫茶が集まる東京都千代田区のJR秋葉原駅近くで、メイド喫茶のアルバイト女性が男に刃物で脅され、体を触られる被害に遭っていたことが23日、分かった。警視庁万世橋署は、強制わいせつ容疑で男の行方を追っている。(06・10・23『時事通信』

萌えてるくせに…ナイフ出してんじゃねーぞっこのバカタレがっ!

秋葉原では萌えたら最後、男はその前に、ひれ伏さなければいけないのだ!
そういうしきたりなのだ!
バカタレがっ!

(〈トラックバック〉●「物騒な世の中です。」→06・10・24『馬鹿のご託宣』
●「秋葉原のメイドカフェで痴漢事件」→06・10・24『SUKIなこと』
●「緊急っっっ」→06・10・23『これがあたしのメイド道』

萌えて、嬉や、秋深まりし

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2006/10/22

熟せない私

今日は半年に一度の、バドミントンデー。
バドミントンの地元区民大会(ダブルス)に参加した。
そして地元なんちゃってサークル、「チーム・ザ・“バリアフリー”」久々の活動日だ。

まぁ…内容は特に、毎度変わりばえなく。
可も無く不可も無く。


プロアマ問わず、多くのスポーツ選手は、年々衰える肉体に併せて、そのプレイスタイルを変えていかねばならない。
それは基本的に、体力や筋力の低下をカバーするように、玄人ならではの技術力やかけひき・精神力でのプレイに変化させてゆくもの。

しかしごくたまーにしかラケットを握らない私は、己の肉体が衰えている実感がありながらも技術が無いために、そのスタイルはずっと若い頃のままである。

なので運動中は常に、意識と実際の体の動きの間に大きな誤差があり、
「おかしいなぁ。何で今の球に追いつけないんだろ…。」
「あの頃の自分だったら打てたのに…。」
などと、おぼつかない自分の体がとても歯がゆく感じるのだ。


私は精神だけじゃなく、全ての面で、ピーターパンなのだ。

宴の後

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2006/10/21

大手町で、火星人と、再会した。

ぼくらの小松崎茂展逓信総合博物館(ていぱーく)で行われている、“ぼくらの小松崎茂展”へ行ってきた。

例え彼の名前は知らなくても、彼の絵はきっとわかる。
特にかつて、“男の子”であった人なら、きっとわかる!
絵物語作家・SF口絵作家・そして特撮映画などでのSFデザイナーとして、常に業界のトップを走り続けていた彼の作品展である。

会場内に展示されているのは、未来への希望や夢と共に、子供の頃見ていた、あの絵。
そして周りを見渡すと…あの頃を懐かしむかつて”少年”だったお父さん達で、いっぱいだった。


私はやはり世代的には『地球SOS』などの絵物語や、『地球防衛軍』『モスラ』などの円谷英二東宝特撮映画のメカデザインではなく、サンダーバードやマジンガーZ、そしてゼロ戦などの“プラモデルのパッケージ”の印象が強い。
後は、『未来の東京』などのSF口絵。
とにかくすごい。すごい画力というか、迫力だ。


そんな数々の作品の中から私の目を引き付けたのは、少年サンデーに掲載されたという『火星エスパー星人』の口絵。
この絵、「未来の地球に超能力が使える火星人が襲来してくる」というイラストなのだが、私が物心つき始めたばかりの小さな頃、毎日のように小脇に抱え読んでいた『宇宙のひみつ』という大判本に転載されていた絵であったのだ!

なぜここまでこの絵を覚えていたのかというと、当時のかんげ少年はこの角が生え、口が割け、目玉の大きな火星人が怖くて怖くて…いつもここだけを飛ばしてページをめくっていたほどのものであったからなのだ。

しかしあれだけ大切にしていたその本も、時の流れに乗りいつの間にかどこかへいってしまい…これはまさに数十年ぶりの、恐怖の火星人との、再会だ。


「懐かしいっ!」
強烈な懐かしさだけで、あの頃感じていた恐怖は全く感じない。
すっかり私も大人になったものだ。しみじみ。

ふとその絵の下にあった解説文を見てみると…

「火星エスパー星人。超能力で地球を侵略しに来るが、ハチの毒に弱い。」

ええー!知らなかった!
ハチに弱いって…山歩き中のおばあちゃんかよ!

こんな火星人を怖がっていたなんて…まさに数十年ぶりの衝撃的真実であった。

(〈トラックバック〉●「ぼくらの小松崎茂展」→06・10・20『インドア派の冒険者』
●「ぼくらの小松崎茂展」→06・10・19『GAOの隠れ処「ムンダナ」』
●「 小松崎茂の展覧会」→06・10・12『リタイアしたら、あれがやりたい。これもやりたい。』

HPプリントアウト持参で100円引き!

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2006/10/20

罪深きクルトンさん

ハッピーサイズ最近の、私の朝ご飯(→)。


それにしても、“クルトン”はおいしい。
あの歯ごたえと、スープやサラダの中なのに「お菓子が入ってる!」お得感。
もう、最高です。

しかしながらスープの中に浮かぶ彼は、少しでも時間が立つと水分を吸い取ってしまい、すぐに「ふにゃ〜。」となってしまう。
これでは彼の魅力が完全に殺されてしまう!


「だから急いで食べなければ!」
「ずっ、ずずずず〜。」

と、いうわけで理想である、“朝のデスクでゆったりまったり朝食時間”は、未だに成功なし得ていない。

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2006/10/19

何か怖いよ。

最近めっきり朝晩が冷え込み、体調を崩す人も増えてきた。
そして会社には「インフルエンザ予防接種のお勧め。」の回覧が。

でも、や〜らない。
だって注射痛いんだもん。


最近私が最も怖がっているのは、“おたふくかぜ”。

 医療機関から報告された流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)の患者数が9月末までに16万3678人に達し、同期としては前年の約13万5000人を大きく上回り02年以降で最多となったことが国立感染症研究所のまとめで分かった。今年が流行のピークとみている。(06・10・16『ニッカンスポーツ』

私はコレにかかったことがないのでわからないのだけれども、とにかくこの名前が何か怖い…。
なんちゅーか、“読んで字のごとく”的なところが。
だってどんなにやせている人でも、どんなにひょっとこ顔の人でも、このカゼにかかると“おたふくさん”のようになっちゃうんでしょ…怖〜。


「狂牛病」も、まさに読んで字のごとくなので、怖い。
「イタイイタイ病」なんてもってのほかだ。
えっ、病気の種類が違う?

と、いうわけでここのところしっかり、朝うがいをしている。
健康は、健康な時には気付かない。
今年の秋冬は、健康なままで越したいものだ。

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2006/10/18

まとまらない〜06’秋

最近、考えがまとまらない。
いや、頭の中での考えはまとまっているのだけれども、それが最近殊に言葉に、文章になり難いのだ。

言いたいことは、書きたいことは山ほどあるのだけれども、何か筆が進まない。
今日もコンピュータの画面を前に、唸ったまま。


ここのところ活字を読んでいないせいかもしれない。

人がつくり出すもののほとんどは、その人が人生においてたくさんのものを見たり聞いたり、感じたりしながら頭の中に貯蔵した様々な事象を、自分なりに消化しながら応用・活用しているようなものだからだ。

この時この“自分なりに消化”する能力が長けている人は、「創造力に富んだ人」になり、これが無い人は、「パクりヤロー」と言われてしまうのだけれども…これはもう根本的に人間に海馬がある以上、しょうがないのである。


そういえば最近、絵のアイデアも出難い気がする。
考えるのが、辛い気がする。

イカンイカン!頭が堅くなっているような気がする!


何かを見ても聞いても、それを考えないと、頭を働かせ心まで届かせないと、それは自分に貯蔵されない。
…最近はこんな状態だったのかもしれない。

もっとゆったりじっくり、考えて。
吸収して、貯蔵して。
年齢的にスポンジにまではもうなれないけれど、あの、“ストロー包んである紙”くらいには、なりたいなぁ。
ほらアノ、水かけて、「うにょ〜。」ってなるやつ。


ちなみに、大學生時代の卒論に追われていた時、
「これが文章じゃなくて絵だったら、どんなに楽だろうなぁ。」
と思っていたけれども、

逆にデザインの専門学生で課題に追われていた時は、
「これがデザインじゃなくて論文だったら、どんなに楽だろうなぁ。」
と思っていた。

ハイハイ結局、何でももっと頭つかわなきゃダメよ〜。
うにょ〜。

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2006/10/16

“小指の謎”、これにて解決、か。

先日、当ブログでプチ議論になった、
“おじさんの小指はどうして伸びているのか”論

ついにその有力な情報がっ!


先週の『はなまるマーケット』のオープニングで、“恋占い特集”。
そこにこんな占いが!

「小指の爪を7ミリ伸ばして、それを好きな人を念じながら切ると、両想いになれる。」


…あのおじさんは、爪が7ミリになるまで、がんばってたんだ。
じゃあ今頃、強く強くスナックのママや社会人3年目の部下の女の子を念じながら、その爪を切っているのだな…。

と、いうわけで、“おじさんの小指はどうして伸びているのか”論、これにて一件落着、か!?


しかしこのネタの間、隣で千秋がずっと、
「小指の長いおじさん、いるよねー。おじさん…。」
と人類最大の謎に果敢に迫っていたのだけれど、ヤッくんと岡江さんは完全にスルーしていた。

やはりまだまだ謎は、続く、のか!?

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2006/10/15

確かに、確かに高齢化

きのうは、夜は友人の結婚パーティであったのだけれど、昼間は親戚のおじさんの告別式であった。

つい先日ニュース番組で、
「“ガーデニングブーム”により、脚立による事故が増えている。」
といった旨のニュースを見たばかりであったのに、それから数日後、突然、おじさんが脚立から落下して亡くなったのであった。


細やかな性格で昔から庭いじりが趣味、花を愛し、御年86歳ながら足腰はピンピンしていて颯爽と歩き、ついこの間も朝出会ってあいさつをしたばかり(近所に住んでいた)だったので、この訃報は衝撃的であった。

しかしながら自身が最も手入れし愛した菊の季節に、それに囲まれ眠るように逝ったことや、20年も前に他界した彼の兄(私の祖父)の命日と亡くなった日が1日違いであったことを考えると、それもすんなりと受け入れられてしまうような“何か”があったような、そんな気さえしてしまう。


と、いうわけで、久しぶりに親戚一同が揃ったのである。

小さな頃かわいがってもらったおじさんおばさんにも再開したのだけれど、周りを見渡して切に、
「(みんなまとめて)歳とったなぁ…。」
と思ったのであった。

昔怖かったあのおじさんが、今ではすっかり小さくなってしまっている。
昔は元気だけが取り柄のようだったおばさんが、今では足を引きずって歩いている。

寂しいというか何というか…私ももう「大きくなったねぇ。」と言われる年齢ではなく、そんなすっかり“歳とった”一員であることを忘れて、しみじみとしていた。

私のことを「歳とったなぁ…。」と思うであろう若い子は、我が親族には未だ無きに等しい。
元気な年輩者に比べ、怠惰な若年者、か。

「先短い」と言う年寄りほど長生きの妙

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2006/10/14

めでてぇなチクショー、お幸せになチクショー

以前マリンルージュでお祝いした、高校時代の部活動の戦友・sakoさまが、いよいよ本日ご結婚。

夜、日本丸のたもとで行われた、式の二次会にお邪魔した。


シアワセクウカン貸し切りのレストランながら、店内は人でいっぱい。
新郎新婦の交友の広さが伺えた。

たくさんの見知らぬ人に囲まれ、私は、戦友同志店の端で小さく固まりながら、しみじみと昔話に花を咲かせていたのであった。


このカップル…いやご夫婦は俗に言う“幼なじみ”でありながら、それはまるで“付き合って8ヶ月目”くらいに初々しい。
会の間中ずっと、新郎の一言一句に、子供のようにコロコロと表情を変える新婦。

パッと笑顔が咲いたかと思うと、突然感極まりそこに涙が光っていたり…別に私は枯れた夫婦の身でも何でもないのだけれども、それはまぁ清々しい気分にさせられた。
いわゆる“当てられっぱなし”であったのだ。


と、いうわけで、常に感じていた漠然とした羨望感…それは帰り際、みなとみらいの夜景に映える2人の姿を見て、一層強まるのであった。
「チクショー!何だか理由はわからないけれど、チクショー!」

これは人を誉めるのが苦手な私の、最高の賛辞である。
熱いな、チクショー!

手造りのドレスなんだって、すごい!

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2006/10/13

医者と患者、男と女。

フジテレビ系ドラマ『Dr.コトー診療所2006』が始まった。

変わらない島。
変わらないおじじやおばば。
一方で、子供達にはその成長ぶりに驚かされる。

変わらないでほしいものと変わってほしいもの、この絶妙な塩梅が郷愁をくすぐる。
『コトー』は、『北の国から』を踏襲しようとしているのか。


モテない男子特有の、“髪切った女の子を突然好きになっちゃう大旋風”で、今私は柴咲コウさまにドッキドキである。
まぁそれは、置いておいて…そんな彼女の演じる彩佳による衝撃的な告白で、物語は始まった。

彩佳の病気を知り、それを問いただすコトー先生。

そこで彼女が見せた涙と、「自分の気持が分かってない!」という叫びは、言葉を必要とする者と心を汲み取って欲しい者…医者と患者、そして男と女の、すれ違う様をうまく現していたと思う。

(〈トラックバック〉●「ドラマ「Dr.コトー診療所2006」第1話」→06・10・15『タッチミーの日記』
●「コトー先生」→06・10・15『ある旅人の〇×な日々』
●「秋ドラマ始まりました「Dr.コトー診療所」」→06・10・15『文系人間のひとりごと』

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2006/10/12

頂点へ。

<プレーオフ第2ステージ:日本ハム1—0ソフトバンク>◇12日◇札幌ドーム
 日本ハムの、そして新庄剛志外野手(34=SHINJO)の夢がかなった。王手をかけていた日本ハムが、劇的なサヨナラ勝ちで25年ぶり3度目のリーグ優勝を果たした。0−0で迎えた9回裏2死一、二塁から稲葉の二塁左への内野安打で二塁走者森本が判断よく決勝のホームをついた。本拠地を東京から北海道へ移して3年目。今季限りでの引退を表明している新庄に象徴されるニュー・ファイターズが、北の大地で4万を超える大声援を受け、頂点に立った。21日から中日との日本シリーズで44年ぶりの日本一を目指す。
 あごをがくがくと震わせていた。鋭かった目尻は垂れ、まぶたの下は光っている。新庄が男泣きした。優勝ペナントと一緒に収まった全員での記念撮影。右手人さし指を突き上げた。チームメートに同じポーズをするよう連呼した。「イチバン! イチバン! イチバン!」。みんなで一斉に人さし指を掲げた。「(ポーズは)1番になったことで自然と出ました」。自分がプレゼントし続けたサプライズ。何倍以上にもされ、お返しされた。(後略)(06・10・13『ニッカンスポーツ』

「一番頂点に立てたら、死んじゃうかも。」

世界を見てきた男・新庄が今見ている場所こそ、日本シリーズの優勝。

世界一である日本プロ野球の、最高峰のシリーズこそが、頂点。
しごくまっとうな話、である。

松坂、岩村井川…どこを見ているのだ?
これから始まるのは、頂点へ通じる世界最高峰の戦いだというのに。


スーパースター、いざ頂点へ!

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2006/10/11

悩める季節、到来。

きたきたきたきた…!
きたきた!今年も来ました

“(ブタクサ)花粉症”!

早くももう、ティッシュが手放せない。


夏はエアコンによる乾燥で、鼻がフガフガ。
秋はブタクサにより、鼻がフガフガ。

休まる季節は、春だけかぁ。
フガフガ。

私の愛人・ティッシュカエルのミルキィちゃんです。チャームポイントは、おしり

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2006/10/10

人間の快楽への欲求は、止まるところを知らない。

「虫に刺されちゃった。」

ボリボリ…。

ボリボリボリ…。

ボリボリボリボリ…。


(数日後)
「イタタ…掻きこわしちゃった。」

自らの身体を傷つけてまで…こんな時、人間の快楽への欲求はすさまじいものがあるな、と思う。

“孫の手”な!

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2006/10/08

流れてよいとこ

アニメ2作目の放送が始まったばかりの『地獄少女』、その世界観をテーマにしたメイドカフェ…ならぬ、“冥土カフェ”が、期間限定でオープン。
渋谷スペイン坂入り口、「@shibuya PARCO ZERO GATE」へ行ってみた。

エスカレーターで3階へ…するとすぐさま、
「地獄へようこそ!」
の声が…ここは同フロアに地獄があり、オシャレな洋服屋さんがあり、韓流スター専門店があり、異世界がひしめきあっている不思議な空間であった。


あいちゃんです決して広くはない店内に、グッズやポップがビッシリ。
人形師さんがつくった主人公・閻魔あいの人形は…怖っ!
その目の前に座ったものだから、店にいる間はずっと、彼女に眺められているような気がしていた…怖っ!


店員さんはみんな、『地獄少女』のキャラクターのコスプレ(やっぱり骨女さまがステキ)。
その姿で、お客さんを案内する時は、
「お客さま、(地獄へ)お流し致します!」

メニューを受けた時は、
「聞き届けたり…!」

と、作品中でおなじみの台詞を、サービス業ならではの爽やかなトーンで回すものだから、なんともおもしろかった。

メニューも、中身こそよくあるものだけれども、そのネーミングが…。


特筆すべきは、発売中のDVDやサントラCDなどにそれぞれ1セットずつ細々と封入されている、“憂鬱カルタ地獄あわせ”の、このお店限定版をいただけること。
私はDVDだけ持っているので、今のところ9セット+今日いただいた分、所有。
カルタはいろはに…全部で48セット!?
これを完成させられる人は、いるのだろうか…考えただけで、優うつ。


とっとにかく、丁寧な接客、(“一目連”さんによる)ほどよい盛り上がり、なかなかいい“地獄”であった。

(〈トラックバック〉●「冥土カフェにいってきました。」→06・10・9『兎の物置』
●「地獄巡り推奨中。。。」→06・10・8『地獄日記』

ノットフォオセール!

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2006/10/07

幻のポテトフライ

一人秋模様毎年、横浜市民として足を運ばなければいけないような気になってしまっている「横浜八景島シーパラダイス」へ、今年も。

地方の野菜直売所があったり、寂しいお土産屋さんがあったり…相変わらずいい意味な言葉に変換すると、“アットホーム”な園内は、お天気もあってかにぎわっていた。


しかし今年はやけに、ワンコ連れが非常に多い!
島の入り口でも愛犬家対象のフリーペーパーを配っていて、島内では“犬グッズ”のフリーマーケットが。
この島は愛犬家に支配されてしまったのかと思っていたら…どうやらドッグスポーツのイベント、“イヌリンピック”というものが開催されていたようだ。


このシーパラの隠れた名物が、ドルフィンファンタジー横売店の“フライドポテト”。

普通のファーストフード店のフライドポテトは、ジャガイモを切って→揚げるだけだろうが、
ここのはペースト状のジャガイモに、卵白やら調味料やら何やら…とにかく色々なものを入れ(材料名表記もあったけど、忘れた)て→ところてんのように機械で形をつくって→揚げている。

これが他にはない、それでいて懐かしく、チープな味(褒め言葉)!
いや、おいしいの!

これはおそらくかつて、お祭りの夜店で売っていたような、懐かしいフライドポテトの味。
私の場合は小学生の頃に夏になると毎日のように通っていた地元町民プールの、今は無き売店のポテトの味で、とにかく郷愁を感じさせる幻のそれなのである。


「ポテトは食べたし、水族館は去年と変わらないだろうし、乗り物は怖くて乗れないし…今日はそろそろ帰りますかっ。」

散歩して、ポテト食べて、それで満足し、お陽さまがてっぺんに来る頃にもう、そそくさと帰路に着いたのであった。

シーパラは家族の味方

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2006/10/06

小っちぇ!小っちぇ!小っちぇ!オレ!

「ご結婚オメデトウ〜!ハイコレ、結婚祝い!」

「会社で出世したんだって?オメデトウ!今夜はオレのおごりだ!」

決して少なくないこんな時、後々になって必ず一瞬、頭をよぎることがある。

「ナンデ?何で寂しいオレが、幸せな人にプレゼント渡してるの?」
「ナンデ?何で平社員のオレが、偉い人にごちそうしてるの?」

いや、友人知人を祝うその気持ちの発生は必然だし、理屈は分かるのだけれども…
物理的なものは、逆じゃね?


「この度結婚しました!いやー、これどうぞ幸せのおすそ分け、“結婚しました祝い”!」

「この度昇進しました!今の自分があるのは君のおかげ。今夜はおごるよ!」

なんて…えっ負け犬根性丸出し!?


今日は学生時代の友人・姫さまと、近況報告会。
すると姫さまはつい先日、20歳年上の恋人と別れたばかりだという。

「と、するとここは…私が払うべき…なのかな…こないだ自分の誕生日だったし。」


他人の浮き沈みを気にしたり、自分との優越をつけたがるのは、弱く小さな証拠。
小っちぇ!小っちぇ!小っちぇ!オレ!

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2006/10/05

美女とカブトムシ

季節はすっかり秋。
寒いのが苦手な私は、今からユウウツである。

ただしかし、寒くなることで1つだけ嬉しいことが。それは…
“昆虫の活動が鈍くなること”。


私は大の“虫ギライ”である。
小さい頃は例に洩れず、虫カゴと網を手に外を走り回り、カブトムシやクワガタの存在に胸躍らせ、カマキリのどう猛さに憧れを抱き、草原ではバッタと共にとび跳ねて遊ぶような子供で、虫は大の友達であった。

しかし年をとりいつからか突然、無条件で昆虫に嫌悪感を抱くようになってしまっていたのだ。
なんちゅー手のひら返し!
今ではもちろん上記含めたどんな昆虫にも触れられず、見るだけでもゾゾ〜ッと鳥肌が立つほど。
理由は何なのだろう…うーん、たぶん一般的に「虫がキライ。」という人と、同じものなのだろう。


とある夏の、暑い夜。
日付も変わるかという深夜、近所の大通りを家路を急いでいると、歩道の真ん中に立ち尽くす1人のキレイなお姉さんがいた。

長い黒髪でカジュアルな格好ながら清楚な雰囲気の女性が、じっと下を向いて直立している…私がいぶかし気ながらその横を通り過ぎようとした時、
「…あのー。スイマセン。」
突然その彼女が声をかけてきたのだ。

「えええ!?スイマセン!駅ですか、駅の場所ですかっ!?」

あまりに突然のことで慌てふためく私に、彼女はそれまで凝視していた地面をゆっくりと指差した。
…するとそこには、でっかいカブトムシ(オス)。

「このカブトムシ…このままだと誰かに踏まれちゃいそうで…でも、私、虫が…虫がダメで…。」


「いえ!私も虫が大キライなんでね!触れません!それじゃあ!(キッパリ)」

…なーんて言えますか!?
言えるわけないでしょ!ねぇ?(理解してくれる方を切望しています)


「ハ、ハイ…。」
集中し、自己流自己催眠により、右手の全神経をマヒさせ感覚を鈍らせる。
思考回路をストップさせ、“虫に触れている”ということを考えないように、カブトムシをひろい上げる。

「わら、わらわらわらわら…。」
せっかく助けてあげようとしているのに、カブトムシは分かってくれない。
激しく抵抗し、私の手にその鋭い爪を突き立てる。

「ゾ〜クゾクゾクゾク…。」
うわぁ鳥肌!
しかし悟られないように、顔は(ひきつった)笑顔。


精神の格闘の末、なんとか無事にカブトムシを道路横の草むらに放すと、
「ありがとうございました!」
お姉さんはスッキリとした、美しい笑顔で去って行った。

「よかった…お姉さ…じゃなくってカブトムシ。」

これが私がここ近年、最も勇気を振り絞った瞬間である。

虫のお腹とかもうダメ〜

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2006/10/03

人は悔恨と苦悩を繰り返し、生きるのか。

奇遇だなぁ!運命!?

何と私の誕生日は、あの仲間由紀恵さまの誕生日とちょうど…27日違いなのだ。
ちょうど…?


20代になったばかりの頃は10代を振り返り、
「あの頃は…青かったなぁ。」
と、後悔ばかりしていたけれども、

今度は20代後半になり、その前半を振り返ってみるとやはりそこには、
「あの頃は…青かったなぁ。」
と、悔恨の念しかないのである。

あの頃は…見識も懐も狭くちっぽけで、そのせいで私は、たくさんの人に迷惑をかけ、たくさんの人に助けられ、たくさんの人を傷つけて、そして今ここにいる気がしてならない。


はたして私は、40代になった時も、そして還暦を迎えた時も…“あの頃”という名の過去を振り返り、この思いを繰り返すのだろうか。

…今は大丈夫?
今の私は、未来の私に、「青い」と後悔され嘲笑されてしまうような人間に、なってはいないだろうか。
今の私は、誰かにおぶさって、生きてはいないだろうか。


同じような思いを来る日も来る日も抱きつつもただ1つ、ただ1つだけ、あの頃の私と今の私が違うところは、そんな後悔を重ね、このように“少しだけ多く考えるようになったこと”か。

かつての、けじめだとかこだわりだとか理想論だとか…「こうしなきゃダメなのに!」という一言論的苦悩は多元化され、様々な選択肢を前にし、ようやく“本当に悩む”ことができるようになった、そんな気がするのだ。


“ブログ同志”である新橋オヤジさまの言葉は、
「(40代の)オヤジだって、まだ苦悩しているよ。」

そうか…そうなのか…人は悔恨と苦悩を繰り返しながら生きるのか。

ならばなおさら、(少なくとも)考えることを、止めてはイケナイ。

物理的に年齢をまた1つ重ねた日、されどもそれに着いて来られない精神年齢に、喝を入れてみた。

実際は…大して悩んでいないのだ

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2006/10/02

『功名が辻』、クライマックスへ。

時代はチャンバラの時代から政治の時代へ。
秀吉の天下統一後の、影で様々な野望が渦巻く…政治的駆け引きの存在する、新しいカタチの世である。

NHK大河ドラマ『功名が辻』が、盛り上がりを見せている。


10月はじめの放送は、長くこのドラマの中心であった、秀吉の時代が終わる時。

これこそが長い放送期間を有する大河ドラマならではの楽しみだろうが、ここ最近の大河ドラマを支配していたのは、天下統一後変わってしまった、秀吉への不信感や恐怖感、そして近江派へのやっかみと尾張派としての疎外感である。
長くドラマを見続けているうちに、自分こそが共に闘い、秀吉に仕えてきたという思い…一豊と千代の抱く思いを、視聴者も共有してしまっているのである。

今日の放送での秀吉の最期の瞬間、若き日の彼が一瞬だけ見える。
その時に感じた懐かしさと、「あの頃はよかった…」という懐古。
まさに大河ドラマと、役者・柄本明の妙!
ドラマを見ながら歴史に自分がリンクしている錯覚に、ハッと驚かされたのである。

ハラハラ…ドキドキ…ドラマの中にグイグイと入り込んでしまう数カ月であった。


そしてあれだけ貫禄ある演技を繰り広げていた浅野ゆう子…ねねが、秀次の一件で夫を見限ったと宣言しながら、臨終の際には必死に看病をし、そして夫亡き後にはその辞世の句を、見違えるように小さな肩を震わせ詠み上げる…最高の演技を見せてくれた。

その後彼女が、大坂夏の陣まで必死で豊臣家の存続に尽力することを考えると、“夫婦のあり方”というこの長い長いドラマの大意が、今回で見えた気がするのだ。

これから先の時代、一豊と千代はどのような“夫婦のあり方”を見せてくれるのだろうか。

(〈トラックバック〉●「「功名が辻」 秀吉の時代、終焉か。」→06・10・2『アタシの世界。』
●「功名が辻—日輪の子闇に没す」→06・10・2『森の中の一本の木』
●「功名が辻 秀吉死す」→06・10・1『soramame』

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2006/10/01

川崎、変わった!

川崎駅を通りかかったら、人人人の波。
まぁいつも川崎駅構内・改札口のところは人が多いのだけれども…今日はやけに多いのだ。
しかもいつもの人の流れとは全く逆の方向に。

川崎の、開けていなかった方。
工場だけが建ち並んでいた、何もなかったところ。
そこが大規模再開発され、“ラゾーナ川崎プラザ”という大きな複合商業施設ができたばかり(9月28日オープン)であったのだ。

と、いうわけで、そんな人の波に、乗ってみた。


駅徒歩10秒!この日は2分!川崎駅の改札を出て、ちょっと左に進めば(もちろん今日は人ごみでちょっととはいかなかったけれど)、そこはもう“ラゾーナ川崎”
円形の大きな建物の中庭に出て、居並ぶ店舗にぐるりと取り囲まれる。

しかしそのまままっ直ぐ進み中庭を突っ切ると、お店はそこだけではなくて、その奥にも広がっていた。
中庭だと思っていたところは、“丁字”に展開する建物の、まだ下の部分だったのだ…広い!


こういう新しく大規模なショッピングモールができると、テナント料の問題なのか雰囲気づくりの問題なのか、ちょっとお高目な服屋さんとレストランばかりが並び、家族連れやお父さん、若い子や、細々とした雑貨好きはあまり楽しめないことが多いように思う。

しかしここでは上記のようなお店に加え、スーパーマーケット、ユニクロ100均ショップから、更にはビッグカメラロフト無印良品、そしてカフェなども多く併設され、幅広い客層も受け入れられるようになっていた。
そこはもはや、1つの町のような空間であった。

…いや、町ではない、もはや国、国だっ!
「ラゾーナ、開国。」
台詞に偽り無しっ!
だって…桜の木や、“縁結びの神社”まであるんだよ!


しかし何よりの魅力は、やはりその立地条件。
駅から直結、雨に濡れずにあっという間にもう1つの“国”に移動できる、この大きな存在は、確実に川崎の人の流れを変えるだろうと実感させられた。

少し経ったら、また出かけてみたいと思った。

(〈トラックバック〉●「ラゾーナ川崎」→06・10・2『てげてげてげ』
●「ラゾーナ川崎」→06・10・1『赤い電車に乗っかって〜ずくなし日誌〜』
●「ラゾーナ川崎プラザはひとつの街でした。」→06・10・1『横濱遊楽』
●「ラゾーナ川崎に行ってきました!」→06・10・1『☆みーやんの扉☆』

雨知らず

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