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2006年9月の記事

2006/09/30

たまひろい

来月半ば、久しぶりにバドミントンをすることになった。
しかし気付くと、長年使っていた“体育館履き”の底がすり減って、ついにツルツルになってしまっていた。
滑る、滑るるる〜!
これでは運動どころではない。

それにしても、“バドミントンシューズ”というものはどうしてああ、なんとなくあか抜けない、なんとなく「ダッサい」ものばかりなのだろう。
YONEXのデザイナーが悪いのか…いや、同じYONEXでも、テニスシューズはそれなりのものがあるような気がする。

そもそも他の大手スポーツシューズメーカー…アディダスナイキもどこもどこも、テニスやバスケやバレーボールの靴はつくるのに、バドミントンには一切手を出さないのは、これどういうことか!
これがマイナースポーツの虚しさである。


なのでいつからか私は、アディダス製の“バレーボールシューズ”をずっと履いていたのだけれども、ついにそれが使い物にならなくなってしまった。

と、いうわけで、新しい相棒を求め、会社帰りに南大沢のアウトレットモール「ラ・フェット多摩」まで足を延ばしてみた。


ザ☆ニュータウンや〜西東京のこのあたり…多摩とか多摩川の流域に来ると、決まって色々な意味で、
「空が広いなぁ…。」
と思う。

南大沢も、広い空と、広い道と、とにかく小ギレイなニュータウンならではの雰囲気に溢れている町だった。

そんな中「ラ・フェット多摩」は、駅の目と鼻の先にあり、まるでこの施設と駅と、そしてもっと先にある巨大マンションの棟々と、この街の全てがまとめて“地上の楽園”のように突然建てられたかのようであった。
そして街の完全な一部となったここは、近隣住民の憩いの場所のようで、(おそらく)地元の家族連れがたくさん足を運んでいて、買い物をしたり、クレープの出店に並んだり、犬の散歩をしたりと、それぞれが楽しんでいた。

また、これもすぐ近くにある“首都大学東京”の吹奏楽団が定期コンサートをしていて、「サザエさんメドレー」などバラエティに溢れる演奏が好評を博していた。


お目当てのアディダスのショップもなかなか大きくて、さんざん迷ったあげく一番安いのを買ったところは何とも自分らしいけれども…いい買い物をしたと満足し、これまた広い夕焼けに見送られながら、家路に着いたのであった。

行きは渋谷経由、帰りは橋本経由

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2006/09/28

若者は苦悩する。

「なかなかオトナになれねーなー。」

「てか変わる気がない?昔のまま。社会性なし。」

「まだ描いてたんだねー、絵。」

「中途ハンパだ…」

「こんな毎日から抜け出して、もう一度…」

「27にもなってそんなことしてるから、売れない絵描きのままなんだろ、アイツは。」

「俺は俺だから俺の生き方でしか生きられない。」

「変わらなきゃ。」

「下水道以下、発見!!」

「俺は本当に…サイテーだ。」

「…都合よくね?」

「やっぱ、変わってないね。」

もがき苦しむ若者達…ここでいう“若者”とは、10代や20代前半くらいのまだ幼い、限られた経験と見識で日々を流している人達のことではない。
そこから少しだけ成長し、様々な関係をそれなりに経験しだし、ようやく1人の成人として考え、歩み出したばかりの、“若者”のことである。


6年ぶりの大学の同窓会から、物語は始まる。

生活、人間関係、仕事、恋愛…ある程度の経験を重ねることによりようやく見えてきた自分と、ようやく見えてきた周りを見比べて、自己の存在を確かめ、そして若者は苦しむ。
特に、現代アートの芸術家を目指す主人公は、ここで6年前の自分と6年前の友人達に出会い、そして苦悩が始まるのだ。

しかしそれは、主人公だけではなく…若者達の集まるそこには、互いに対する劣等感・優越感や虚勢、忘れえぬ愛情や焦燥など、様々な感情が渦巻いていて、それぞれが様々な気持を抱えながら、また明日から歩いて行く…。


『週刊ビッグコミックスピリッツ』連載中、信濃川日出雄『fine.』(ファイン)は、そんな“若者達”のリアルな声が、聞こえてくるようなマンガである。
理想と現実に悩む若者達の姿…ありがちではあるけれども、それがアーティストやデザイナーの世界という、一風変わったアプローチから描かれている。

売れない絵描きの主人公がサラリーマンデザイナーの友人に焦りや劣等感を感じる一方で、同様にその友人もまた主人公に、複雑な気持を抱いている。
このように様々な人間の様々な感情が絡み合って進んで行く、話題性は無いが心に響く、秀逸なドラマを見ているようだ。


何かにつけて人は定義をしなければ済まない生き物である。
特に自分の立場を、周りと見比べて確認し、そして安心したり、不安になったり。

「自分は、こうでなきゃいけないんだ!」
「自分は、こうしなきゃいけないんだ!」

こだわりや信念なんてものは、結局は自己満足である。
自分の存在意義に対して悩み続けることなんて余計なことで、自分が定まっていない、青く、まだまだ未熟な証明なのである。


「オレはもっと、仕事ができなくちゃいけないんだ!」
「私はもっと、かわいくなきゃいけないの!」
「もっと自分らしく生きなきゃ!生きなきゃ!」

…だーれが決めたの?
それは何のために?
まだ自分に自信が持てていないの?
君以上の人も、以下の人も、まだまだたくさんいるのに?
君の代わりなんて、いくらでもいるのに?
どこ見て決めたの?その自分の着地点。
その見てるところ、妥協点なんじゃないの?
そろそろ自分の限界に、気付いた方がいいんじゃない?
周りばっか見て…そもそもその行為が、自分の未熟さを証明してるんじゃない?


だけれども、人と、周りと、関わり合ってしまっている以上、その発生は必然で…しかしそれが時として・往々にして、大きな障害になってしまう。
人間ってのは、やはり弱い生き物なのだ。

私も同様で、そしてこうして自分を戒める。
無論私も、弱い人間だから(特に)。

(〈トラックバック〉●「信濃川日出雄 fine /第22話 本物なら」→06・7・26『本の海のアストロラーベ』
●「fine」→06・7・11『Milano Diary』
●「信濃川日出雄/fine.」→06・7・2『マンガ一巻読破』

信濃川日出雄『fine.』

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2006/09/27

諦めてんなよ!バカコノオレ!

あのシーズンはじめの“引退宣言”を聞き、
「まぁ今年の日ハムは、運良く3位に入って、プレーオフマジックで勝って、タイガースと日本シリーズなんて…夢だよなぁ。」
なんて言っていたら、この結果!

ダルビッシュに八木…恐るべき若手の大活躍、小笠原の復調、そして何よりあのお客さんの声援。
全ての歯車が噛み合(あっ金村は…)った、素晴らしいチームになっていた。


最近私は、あきらめが早いように思う。
「名古屋の人には悪いけど、日本シリーズはできたら…甲子園でやりたい。」
ニクイこと言ってくれるじゃないコノ〜!
あれだけこだわっていた背番号1をさらっと捨てて、“あの頃”の背番号にするなんてのも、しんみりとさせてくれるパフォーマンスだ。
“スーパースター”は、本当にカッコいい。

情けない!諦めていたのは私だけ。
バカコノオレ!オレノバカ!
タイガースナインも、新庄も、まだ全然諦めていないじゃないかぁ!
甲子園で、新庄と、坪井を迎えて、日本シリーズが見たい!
待ってくれている人がいるのだ。
見たい!
見たい!
見たい!

情けない今の私には、ささやかに「がんばれ…」という権利しかないのだ。
「がんばれ…がんばれタイガース…!」


それにしても大混戦のパ・リーグペナントを見ながら、これでプレーオフの存在がなかったら、間違いなくこれは歴史に名を残したシーズンであったと思い、改めてプレーオフ制度に疑問を抱いた。

それは日本シリーズの出場権がかかる短期決戦。
盛り上がるのは必然で、野球界の増収のためには必要なことなのかもかもしれないが…日本シリーズが、
セ・リーグ優勝チーム×パ・リーグ優勝チーム”
となっている以上、やはり優勝はプレーオフに勝ち残ったチームで、その影に隠れ、どうも今日のファイターズの“レギュラーシーズン1位”がないがしろにされている気がしてならない。


去年の日本シリーズを見て、そして過去のプレーオフを見て、長期決戦と短期決戦では全く戦法が異なることがわかった。
長期戦の中であれだけ勢いがあったタイガースが、日本シリーズでどうしても勝てない。
長期戦の中であれだけ強さを誇ったホークスが、プレーオフをどうしても勝ち上がれない。

それなのに、ペナント優勝も、日本一も、同様の短期決戦のみで決めてしまうのは、ムリがあるように思う。
「戦力を温存したままレギュラーシーズン3位に滑り込み、後は短期戦で本気を出せばいい。」
…そんな器用なことができるとは考えられないけれども、あながち間違ってはいないのでもないか。

やはり日本一の球団は、長いペナントレースをを勝ち残れるタフさと、その後の短期決戦を征することができる爆発力、その2つを備えた完全無欠のチームであってほしいと思うのだが。

<日本ハム4−1ソフトバンク>◇27日◇札幌ドーム
 日本ハムが今季最終戦でソフトバンクを下し、レギュラーシーズン1位を決めた。今季限りで引退を表明している新庄剛志外野手(34=SHINJO)はこの日、初心に返り阪神入団時につけていた背番号「63」でプレー。3打数無安打に終わったが、満員4万3473人で埋まった札幌ドームで1位通過を決め、試合後のセレモニーでは涙を流した。空前の混戦となったパ・リーグ上位は1位日本ハム、2位西武、3位ソフトバンクで決着。プレーオフは10月7日からスタートする。(後略)(06・9・28『ニッカンスポーツ』

(〈トラックバック〉●「新庄さんも応援!!日本シリーズで会いましょう!」→06・9・28『世界の片隅で、トロリんがつぶやく!』
●「優勝!!」→06・9・28『aiminamiの日記』
●「“北のハム”が1位通過、そして最高の舞台で・・・」→06・9・28『阪神タイガース党の雑記』
●「井川大泣き完投勝利!濱ちゃん自己新19号!トドメは金本!鳥谷パパに!新庄背番号63で再度甲子園!」→06・9・27『"記録" room / diary mode.』

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2006/09/26

と、いうわけでタコ〜。

と、いうわけで、「大・大阪博覧会」東急東横店「なにわうまいもん市」に行ってきた。

平日の昼過ぎにかかわらず、かなりの人出。
おばちゃん達をかき分けかき分け、たどり着いたのは“なにわの味元祖たこ焼・会津屋”である。


行列の最後尾に着くと、前にいたのはネクタイ姿の若い男性。
「ああ〜この人も会社抜け出して来たのかな。」
なんて親近感を勝手に湧かしていると…後から来たお客さんが、次々に私とその男性2人の前に割り込んでいる!

「こりゃ〜そこのおじじ!おばば!横入りはイカーン!」

と憤慨していると、前の男性の胸に、キラリと光るものを見つけたのだった。
東急百貨店の名札(社員証)。

5分も店員さんの背後霊になってしまっていた。
っていうか気付いて案内しろよ店員!


10分(+5分)後、ようやく1箱(500円)購入し、早速帰って食べてみた。

この会津屋の初代が昭和8年に焼いたのが、肉やこんにゃくが中身の“ラジオ焼き”。
その後これが、中身がたこになり、ころも自体に味が着き、“たこ焼き”が誕生したのだそうだ。

「たこ焼きとはソースをつけない、手もよごさず、さめてもおいしいの(当店のもの)が本物です。」
老舗のプライドたぎる一言である。


…ポコポコ。

控え目に味つけられたころもはたこ本来の味を活かし、ソースが無いためくどくない味。
そして小さめのサイズは手軽に食べられ、ポコポコと次々に口に入る。
うん、おいしい。
ポコポコ。

今までたこ焼きって、「ご飯なの!?おやつなの!?」とそのポジションが分かりかねていた部分があったけれども…改めてたこ焼きは、大阪庶民に根付いたスナック菓子なのであると、認識させられた。
こうして確かにたこ焼きの原点を、見せつけられたのであった。

(〈トラックバック〉●「会津屋」→06・9・26『大学生活の喜怒哀楽。』
●「大・大阪博覧会 in SHIBUYA」→06・9・24『“もも”の思いつき日記』
●「東京で味わう大阪 (大阪小吃食べ歩き)」→06・9・23『Tomotubby’s Travel Blog』

ちょっとしなしなしちゃった

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2006/09/25

F-Cawaii!

今日は、25日。

やったーっ!給料日だーっ!
ブラボー。
ファンタスティック。
サンクス、ミー。サンクス、ミー。

それにしても9月は、体感期間は短かったけれどもお財布の中身だけは辛く長い日々が続いたな…何に遣ったかは覚えていないけれど。
10月は、がんばって節約しよう。


というわけで早速お昼過ぎに銀行へお金をおろしに行くと、案の定ATMは大行列であった。

みずほ銀行では最近、全国銀行協会制定のICチップが搭載されたキャッシュカード、「みずほICキャッシュカード」をさかんに宣伝していて、今日もたくさんの職員がATMに並んでいる私達に向かって、
「もうお切り替えは済みましたかー!?」
と声を掛けていた。


「ハイハイ。済みましたよー。」
「ありがとうございます!」

なんて空返事をしていた私であるけれども、実は私のキャッシュカードはいまだに、“富士銀行”のままなのである!

こだわりというか何というか、「デザインが〜」なんてカッコつけた言い方はしたくないけれども、とにかくこの富士銀行のキャッシュカード、レトロでかわいくて、とても気に入っているのである。

緑色がかわいければ、この富士山のロゴもかわいいし、何より片隅に載る「みなさまの、富士銀行」って言葉の響きがいい!昭和だね!


何でも“ICキャッシュカード”は生体認証機能が付き、偽造もされにくく、大変セキュリティの高いものらしい。
物騒なご時世、そのこだわりで痛い目見なけりゃいいが。

さすがに一部修正

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2006/09/23

「あきといえば…あき竹城」は禁止ー!

こどもワッショーイ秋です。
今日は渋谷も秋祭り真っ盛りだった。

例年特に理由もなく突然寂しくなる季節なのだけれども、今のところ人間的に狭い、余裕のない毎日を送っているためか、その訪れを感じることができていない。

季節を迎え入れ、同時に思いを巡らすことは、人として大切なことなのだと思うのだけれども。
まだまだ自分は小さいな、と思うのである。


と、いうわけで今日も仕事に出てきていたのであったけれども、昨年に続き渋谷東急百貨店「大・大阪博覧会」が開催。
東横店で行われている「なにわうまいもん市」にちょっくら足を運んでみた。

桂三枝プロデュースの元、今年は去年の“ビリケンさん”に代わり“えべっさん”が渋谷にやって来ている。
他にも大阪ビジネスの展覧会や、上方落語の大御所達の競演、そしてうまいもん屋。
今年も大阪大集結!である。


去年は、私にとって大阪は遠い町で、海のものとも山のものともつかないものであったのだけれども、先月の大阪旅行とその予復習により私も成長。
特に「うまいもん市」にはずいぶんと唾液線が刺激されることとなった。

「くしかつ~けつねうどん~たこ焼き~。」
グゥグゥお腹を鳴らしながら行ってみると…すごい人!
どこも「最後尾ココ」看板の出る大行列だ〜。

そういえば去年も人が多くて、スゴスゴと逃げ帰ったのを忘れていた。
スゴスゴ…平日に行こう…。

実は「くくる」の明石焼きはきのう食べたんですけどね

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2006/09/20

愛情も風化する

毎年決まってこの時期だけ、イラスト描きのお仕事をしている。
今夜も徹夜で、紙と鉛筆と、にらめっこ…学生時代みたいだわ。

とある企業の、とあるノベルティグッズに載る、とある売れないキャラクターを描いているのだけれども…さえないやつながらも長い間付き合っていると、さすがに“愛着”が湧くというものだ。


「ど~れ今年は、サラサラっと描いちゃおうかな。」
と思いつつはじめるも、
「う~ん、こんな顔だったか…これでよかったんだけか…。」
「そもそも去年はどんな風に描いていたんだっけ…。」

と、1年前の記憶はすっかり忘却の彼方。
全然「愛」が、「着」いていなかった。

結構めんどい

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2006/09/19

その境界は確実に存在する。

朝、出社してみると、隣のビルの外壁各階に、大きな“落書き”がしてあった。

“グラフィティ”っていうやつだろうか。
スプレーで、大きなロゴを、書きなぐっているやつ。
夜中にこっそり忍び込み、勇んで描いた本人は、そのつもりなのだろう。


しかし、東中野に住む何の知識もないおっちゃんがマネしてつくったフランス料理は、ただのフランス“風”料理である。

ここは渋谷。
ニューヨークでもなければロンドンでもない。
そして今朝見たそれは、芸術性も品格も全く感じさせない、グラフィティ”風”のただの“落書き”であった。


好きな子にする猛アプローチも、それが迷惑と取られれば“ストーカー行為”になってしまう。
“グラフィティ”というやつも、1人でもそれを不快に思う人がいたのなら、ただの“落書き”なのではないか。

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2006/09/18

エビ。

きのうの帰り。

ちょっと足を伸ばして、海老名へ。
TVKでギュンギュンCMが流れているショッピングモール、“ビナウォーク”へ行ってみた。


横浜に住んでいる者としては、同じ神奈川県の仲間といえども、海老名はちょっと遠い未開の地である。

初めて降りた海老名駅。
「ビナウォーク、コチラ→」
のやじるしに従って歩いて行くと…突然広がる巨大要塞!

街を見下ろしても…道が広い!駐車場が大きい!
全ての規模が一回り大きなカンジがした。
海老名でけぇ~。


夕方から降り出した雨にもかかわらず、たくさんの人が足を運んでいた。
お店は全体的にお手頃価格のお店が多く、そのためか部活帰り(だろう)の制服姿の学生さんが、たくさんいた。

もちろんご飯屋さんやシネコン、クリニックなども併設。
「エビ…。」のキャラクターもかわいいし、なかなかいいところであった。


日も暮れ、慣れない相鉄線に揺られ、帰ってみた。
疲れていたのか、いつの間にかグーグー…気付くと横浜に着いていた。

急行乗ると、意外に近いな、海老名
少し行動範囲が広がった気がした。
たまには、下ってみよう。

あの五重(?)塔は何ぞや

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2006/09/17

わっ、ピグモンだ(はぁと)!

向ヶ丘遊園「岡本太郎美術館」へ行ってきた。
企画展「ウルトラマン伝説展・ウルトラマン誕生40年の軌跡」が行われていたから(本日はコッチが目的)だ。

太郎がいた!岡本太郎ウルトラマン、一見全く関係性がなさそうに思えるけれども、芸術家のみならず文筆家であり、人類学・民俗学者でもあり、様々な分野に精通していた氏は、1956年の大映映画『宇宙人東京に現わる』で宇宙人の造形を担当するなど、当時流行していた“SFモノ”にもたずさわった経験があるというのだ。


美術館では常設展と企画展のブースが併設されている。
常設展で“明日の神話”の原画を見て、「~爆発だ!」のCMで鳴らしていたあの鐘を見て、年表により岡本太郎という人は“サラブレッド”であったことを初めて知り、様々な分野における彼の活躍の記録を見ていると…後ろからやってくる子供達が、次々と私を抜かして突然走り出してゆく!

なぜだろうと、その行く先を見てみると…向こうに、ウルトラマンとレッドキング(着ぐるみ展示)がっ!

「うゎー!」
私も一緒に、走ってみた。


メフィラス星人がスキ「ウルトラマン伝説展~」はその名の通り、『ウルトラQ』『ウルトラマン』を中心に、その成り立ちまでを当時の社会背景や貴重な史料などと共に紹介している。
円谷英二・一、飯島敏宏、金城哲夫、成田亨…特撮ファンなら誰もが知っているだろう名前が並び、企画・監督・脚本・デザイン・造形…各ジャンルに分かれて当時の様子が詳しく解説されていた。

やはり史料に目が行く。
『ウルトラマン』の原案『べムラー』の原画や、撮影風景の写真。
当時の台本や、告知ポスター。
怪獣造形の際のスケッチ、若くして死去した脚本家の遺品。
こうして見ると、当時はただの子供番組だったのかもしれないけれども、ウルトラマンは今や伝説で、それは優秀なスタッフによる、最高のパフォーマンスによるものだからであると、再認識させられた。


…でも、そんな博学ぶって見ることにあらず。

目の前にある科学特捜隊のユニフォーム(当時のもの…これがまたカッコいいのだ)。
目の前に仁王立ちの、ウルトラマン(着ぐるみ)。
目の前に居並ぶ、怪獣達(着ぐるみ)。

眼前の、小さな頃からのヒーローの姿に、私はそれだけでもう大満足であった。


連れてきてもらったおばあちゃんに、一生懸命“キングジョー”の強さを力説する少年。
そして、チンプンカンプンのおばあちゃん。

隣で繰り広げられていた光景に、暖かな気持になった。

ウルトラマンは、やっぱり永遠のヒーロー。
すげぇや!

(〈トラックバック〉●「ウルトラマン伝説展(当日の模様が映像で見れます。)」→06・9・14『ポール星人のぼやき』
●「ウルトラマン伝説展」→06・8・31『冒険野郎マクガイヤーの人生思うが侭ブログ版』
●「岡本太郎美術館ウルトラマン伝説展 ~ウルトラは爆発だ!~」→06・8・26『シランゲの第三惑星生活雑記』

太郎美術館では9月24日まで!その後広島を巡回するそうです

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2006/09/16

今年が終わった。

 中日山本昌投手(41)が16日の阪神18回戦(ナゴヤドーム)で無安打無得点試合を達成した。プロ野球史上84回、73人目。41歳1カ月での無安打無得点試合達成は、95年のオリックス佐藤の40歳11カ月を抜く史上最年長記録。中日は阪神に連勝、優勝へのマジックナンバーを「15」とした。(後略)(06・9・16『nikkansports.com』

あの絶妙な制球と、何より首位決戦という大舞台でのこの偉業。
敵ながら、あっぱれである。
おめでとう!


…なんて大人な台詞、吐くかーっ!

かーっ、悔しい悔しい悔しい…。
何でいつも中日に勝てないの!?何でいつも山本昌を打てないの!?


これにて今年は終戦か。

タイガースドラゴンズの間に、大きな戦力の差があるのはわかっている。
鉄壁の守備力、大砲の存在、頼れるエースの存在…。
だけれども優勝した年のタイガースには、そんなことをものともしない、大きな“勢い”が確実に存在していた。

今年は結局、波に乗れそうで…乗れず、を常に繰り返していたシーズンのように思う。
とにかくストレスが溜まったシーズンであった。


イライライライラ…しかしこんなにも続けて首位争いに参戦できている今のチーム状況は、10数年前から見たら、とにかく幸せなことなのだ。
このイライラも受け止めなければ、いけない…のかなぁ。
イライラ…。

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2006/09/15

ライバルはmixi

ブログが有名になってから何年経っただろうか。
例に洩れず人並みにブログを知り、人並みにブログを始めた私には、同じような時期から共にそれを始めた同じような環境下の、“ブログ同志”がネットの世界にいて、私は何となく一方的に仲間意識を持っていたものだ。

だけれども、1年くらい前からそんな仲間達に、異変が起きる。
あれだけ更新されていたブログが、突然停止してしまったり、閉鎖してしまったり。
そしてそんなブログの最後の記事には、大体こう記してあるのだ。

「これから記事は、mixiで書くことにします。」


先日会社でも、会話の途中でさらっと「ミクシィで日記書いてるんですよ〜。」と言う人がいた。
何かこう言われてしまうとIDの持っていない私には、「日記書いてるけど、お前には見せねぇよ!」と言われているような気がして、気持ちがよくないのである。

せっかく時間を割いて文章を書くのなら、限られた世界の中でコソコソ書くのではなく、不特定多数の読者に耐えうるものを書きたいと常々思っている(理想)私には、どうも理解しがたいことである。
狭ぇ!


またこのサービスの、“出会い系”的な雰囲気がどうも苦手だ。
飲み会の席などで、「マイミクで友達が〜。」「mixiにハマっちゃって〜。」と言っている人を見ると、人のコミュニケーションのカタチもここまできたかと哀しくなるのである。

多くのカテゴリーやあしあと機能の罠を張り巡らし、そこはたくさんの人が出会いを虎視眈々と待ち続ける、狩りの巣窟。
そして共通趣味の人との出会いが、労力かけることなく成立してしまう。
何でもこんなに簡単で、いいの!?
気持ち悪い。


と、いうわけでライバルはmixiなのである。

…え?
ここまで書くと、「招待状」が来ないただのやっかみにしか聞こえないって?
いやいやいや…来てますよ?来て…ますよ。

ただハッキリ言えることは、“私がもしmixiを始めたら、大ハマリしてしまうことが目に見えている”ということだ。
それを一日中気にしていて、パソコンを開くと真っ先にお客さんを確認し、今まであれだけ毛嫌いしていた「mixiが、mixiが〜。」というセリフを、自分が吐いてしまいそうで、怖いのである。

 東証マザーズ上場のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)運営会社「ミクシィ」の株式は15日、公開価格155万円を約9割上回る295万円の初値がついた。初値を元に計算した時価総額は約2080億円で、マザーズ市場で第2位に躍り出た。午前の終値は275万円。
 14日に上場した同社株には買い注文が殺到、初日は売買が成立しなかった。相場の過熱を防ぐため東証は、証券会社が顧客から買い付け代金を即日徴収するなどの規制を実施していた。(06・9・15『asahi.com』

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2006/09/14

「コンビニ弁当」買うのに全然歩くことが無いから、「コンビニ弁当は太る」って言われちゃうんだ!

渋谷桜丘に新しく、「ローソン」ができた。
職場の、すごく近所。

でもそこからまたすごく近所にも「ローソン」があり、そこからまたすごく近所にも、「ローソン」がある。
つまり「ローソン」3軒目なのだ。

ちなみに桜丘という小さな区域に、
セブンイレブン:2店舗
ローソン:3店舗
ファミリーマート:1店舗
am/pm:3店舗
ミニストップ:1店舗
サンクス:1店舗
ココストア:1店舗
新鮮組:1店舗

…こーんなに(たぶん)コンビニがあるのだ!
もはや何の町だよ!
こんなに競合している場所でも、次々と新規でお店を開くのは、コンビニくらいのものだろう。


しかしこんなにできてもなぁ…お客側から見るとコンビニなんて、お店の種類が変わろうが何だろうが、それはあまり気にならない。
つまり、どこだっていいってことだ!

しかし“どこだっていい”ってことは…コンビニに買い物に出かける時大多数の人は、1メートルでも近くの店舗に足を運ぶ、ということ。
ならば、お店はたくさんあった方が有利か…。
コンビニは、無個性こそが、1つの個性なのか。

(〈トラックバック〉●「誘惑」→06・6・7『八城クナイのヨコシマな目で世の中を見るblog』

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2006/09/12

ばんごーう

実際は、顔にはそんなに出てないですやっぱりカゼをひいたようだ
普段ならば鼻やのどの痛みなどからくるカゼの諸症状が、今回だけはなぜかヒフに発病。
そんな全身の、「プツプツ」らしい。

体温が高くなるとかゆくなってしまうので、しばらく走るのは中止…靴、買ったばかりなのに。


今朝は先生の勧めもあって、念のため血液検査に出かけた。
大きな病気もしたことなく、おらが町医者にしか行ったことがない私にとって、“大学病院”初体験なのだ。

建物の外観からその規模に驚かされ、案内嬢がいる受付にどぎまぎし、受付機という名の機械にカルチャーショックを受け、早くも「紹介患者受付」が見つからず途方に暮れる。
2個以上受付がある病院なんて、あったんだ!
っていうか病院の中に地図があるよ!

…そりゃあ迷うさぁ。


なんとか見つけた「紹介患者受付」で診察券を発行してもらい「ヒフ科受付」に行き、先生に診てもらう。
その後に「採血受付」。痛っ!
そして脱脂綿握りながら、「外来計算受付」から「外来会計受付」でお会計。突然の出費は正直、病気よりも痛い。いやかゆい。
最後に「薬剤科受付」で処方せんをもらい、薬屋さんへ。

すごい!たらい回しだ!いや流れ作業か!
大きな病院すごい!

しかし、作業効率のためもちろん仕方ないことなのかもしれないけれども、番号で呼ばれるのは、ちょっと寂しかった。

よりによって119番とは

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2006/09/11

平穏じゃない月曜日の朝。

バッドモーニング!明け方の雷が怖くて眠れなかったかんげです。

小学生の頃よく、「雷が光ってから、5秒以内にゴロゴロ鳴ると、それはどこかに落雷した証拠なんだ…!」というウワサに恐怖していた覚えがある。

しかしそんなことを言っていたら今朝の雷は、5秒以内どころか3秒毎でゴロゴロとピカピカが絶え間なく繰り返され…全部落雷じゃん!
さらにその音は「ゴロゴロ」ではなく「バリバリ」と「ドカーン」で…まるで雷雲が我が家だけを取り囲んで脅かしているような錯覚にさえ陥り、全く寝付くことができずに、同じく恐怖におののいていた我が家のブサイク犬と寄り添いながら不安な時を過ごしたのであった。
それにしても、すごい雷だった…ドキドキ。


5時も過ぎるとそれもようやく穏やかになり、何とか寝付き、そして朝。

雷に続いて寝ぼけまなこの私を襲ったのは、真っ赤に染まった“全身の発疹”であった。
…病因直行。

どうやらそれは、疲れ+カゼから来た症状らしい。
確かに先週末から首筋のリンパ腺がキュリキュリ痛んでいたけれども…。

はたしてその引き金は、先週の仕事によるものなのか、休日のプリン体過剰摂取によるものなのか、あるいはつい先程の雷による恐怖なのか、誰にもわからない。

オニダー!

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2006/09/10

変化

土曜日夜のTBS系情報番組『ブロードキャスター』での、久保純子アナウンサーのいつもの一言、

「ハイッ、次は(山瀬)まみさん(の“お父さんのためのワイドショー講座”)です。」

が、いつの間にか、

「ハイッ、次はまみ“ちゃん”です。」

に変わっていた。


同番組の進行に抜てきされて約2年、彼女に何か、大きな心境の変化があったのだろうか。
いや、いい意味で。

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2006/09/09

スポーツはカタチから。

年に1度の超健康優良Day“横浜マラソン大会(ハーフ)”に、今年もエントリーした。
今年で4年目の出場


と、いうわけで去年まではずっと、高校時代に履いていたボロボロの運動靴で走っていたのだけれど、今年はちょっと違うぞと気を引き締めるために、共に出場する友人のstrさんとランニングシューズを買いに出かけたのであった。

鳥浜行ったり、横浜戻ってみたりしながらあれこれ…結局桜木町アディダスショップで、通気性を重視したそれを購入した。


ドッキングオーン!
帰って早速、履いて走ってみると…軽い!一瞬で私は、風になった…気がする!
行ける!これなら行ける…気がする!
流れる汗までも今までより軽やかな…気がする!
そして去年なんかよりも、ずっといい記録が出そうな…気がする!
今なら誰にも負けない…気がする!
これなら日本一周くらい軽く達成できそうな…気がする!

うんうん。スポーツはやはりカタチから。
もう後戻りできねぇな!

ニュー!

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2006/09/08

生みの苦しみ。

普段、本ブログの記事は、大抵夕方に、会社で書いている。

“ネタ帳”代わりのケイタイメールを見ながら、
「何書こうかな。」
と考えること10分。

そこからメモ帳代わりのoutlookに下書きし、「ココログ」の新規作成画面にコピペ。
単語にリンクを張ったり、イラストを描きたいと思ったら描くし、写真がある場合はそれをリサイズ&容量を軽くする。
まっとうな記事を書いた自負がある時は、「goo」の検索を使って、トラックバックしていただける記事をネットサーフィンしながら読み探す。

その記事の内容や量にもよるけれども、大体所要時間は1時間程度か。


きのうの話

ワガママな自分のケイタイに業を煮やし、誰かに共感していただきたかったのか、それを記事にしようと決め、いざ書き始める。

しかし肝心な言葉が出て来ず、筆は止まったまま…出て来ない、あの単語…
「ケイタイの電波が届いてない状態、何て言うんだっけ?」

いつも何気なく使っている言葉なのに、今日の、この時に限って全然出て来ない。
「何だっけ…あっ非通知!いや非通知じゃないんだよなぁ…“バリ3”の逆だよ。何だったっけ…。」

しまいには「yahoo!」で、「携帯 アンテナ」とか、「携帯 バリ3」とか、「携帯 アイコン」とか検索し出す始末…でも思い出せない、あの単語。
「何だっけ…バリ3の逆だから…あっ充電!いや電気の問題じゃないよ!何だったっけ…。」


結局、自分の携帯電話にしっかり“圏外”と書いてあることに気づくのに、1時間もかかってしまった。
それまで、ずっと苦悩。

最近こういう様な、“何気なく使っていた、当たり前の単語が出て来なくなる”ことが多い。
やっぱり咀嚼が足りないのかなぁー。
活性化、活性化。モグモグモグ…。

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2006/09/07

もう最期かYo!

携帯電話の調子が悪い。

私の携帯は、auの“A5403CA”。
カシオ製で、購入当時最高の“200万画素”のカメラを備えた、「ナウい」ものだった。

あまり携帯電話に興味のない私は、とにかく見た目でコレを選び、説明書を読んで、はじめてその機能に驚いたのであった。


で、その“当時”はいつだったっけ…。

おそらくそれは、2年ほど前。
そのわずかの間に、最新鋭の携帯もあっという間に、次々に登場する新機種の後塵を排し、すっかりカタログから姿を消し…盛者必衰。

そして私の携帯は今、「圏外病」に悩まされている。
地上にいてもどこにいても、「バリ3」から突然「圏外」に落ち込み、電話やメールを厳しくシャットアウト。
1度電源を切って再度入れると、また「バリ3」に戻るのだけれど…気がつくといつの間にかまた「圏外」に。オールシャットアウト!

あまり使わないからまだいいけれども、ここぞという時にこの病状が現れていると、さすがにプチイラッとしてしまうのである。


我が家の冷蔵庫は15年近く働き続けている。
たぶんまだ、向こう10年は働けるだろう。
茶の間のテレビだって10年は働いている。
私が初めて買ったデジカメでも、7年経った今も難なく動いている。

それらに比べたら、携帯電話の寿命って、短くない?圧倒的に。

「最新、最新。新機種、新機種。」
と聞くのも、何か虚しい気がしてしまう。

しかしそれでも、次から次へと新しいデザインのものを生産し、あっという間に前のものは「古くさく」感じさせてしまうメーカー側のその手腕に、見事にハマってしまう自分が、もっと虚しい。

ずーっと次元

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2006/09/04

わからない。小指がわからない。

民族と民族の紛争。
親から子への虐待の連鎖。
男の浮気。

人間の行為に不思議なことや、理解できないことはたくさんあるけれども…それらは長きに渡り(正誤はわからないが)多くの人々により、その歴史や精神のメカニズムの調査や研究、そして解説がなされてきている。


しかし今日、何よりも全く理解できない、そして誰もその謎を解明できていないであろう人間の行為を、私は見つけてしまった。

それは…

“小指の爪だけを伸ばしているおじさん”。


帰りの電車で前に座っていたおじさんが上記の人で、気にして車内を見回してみると…何と帰りの電車だけで3人も同じ様な人(おじさん)を見つけてしまったのであった!

ねぇなんで?切り忘れちゃったの?
ねぇなんで?おじさんばかり?


人は“わからないもの”に何より恐怖を覚える。
ある意味国家間の紛争や、男女の情事よりもわからない、この恐怖の“小指の爪だけ伸ばす”行為…一体これには、どういった意味があるのだろう…。

ホントコレ意外に理解を見出せない

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2006/09/03

ベイクォーター、みなとみらいへの掛け橋となるか。

日曜日お昼前先々週の木曜日に横浜そごうの向こう側(そごう駐車場だったところ)にできた、複合型商業施設「横浜ベイクォーター」へ行ってみた。

「あの辺、何かできるらしいよ。」
とはずいぶん前に聞いていたものの、なかなか足を運ぶ場所ではないのですっかり忘却の彼方。
いつの間にかこんな“クルーズの街・横浜にふさわしい、豪華客船をモチーフにしたショッピングモール”なんかができていたのだ!?

と、いうわけで、ここはそんな辺境の地。
そごうが横浜駅から結構歩くのに加えて、「ベイクォーター」は、そのそごうの2階からさらに歩く。
ゾロゾロと人の波に乗りながら、ようやく着くと、なかなかの人出。
でも、オープン2週間と聞いて気合いを入れて出てきた(死ぬほどこんでいると思っていた)割には、思っていたよりも空いていたか。


海(というか、川)に面した造りはたしかに港町の建物らしくて雰囲気があった。
お店もあまり他では聞かない名前のお店(洋服と雑貨のターゲットは20代半ば〜くらいか)が多かった。

それでも、思っていたよりも敷地面積は広くなく、こじんまりとした(大きければいいってものじゃないが)印象。
各ショップの方向性も、バラエティに富んでいるというよりは、偏った雰囲気。
それと、レストランがやけに多くて、ショップの数とのバランスが悪いような気がした。
買い物する場所というよりも、犬連れてエステに行って食事して…今さら感のある“ありがちプチセレブライフ”のための場所か。


もうしばらくすればすぐに、遠いのも相まってもっと人がまばらになることだろう。
その時にまたじっくり廻ってみたいと、帰路についた。

あっそういえば、このベイクォーター横のみなとみらいに通じる橋は、私のマラソン仕上げの際のお気に入りランニングコース。
夜に浮かぶこの施設は、おそらくとても美しいのかもしれない。
今度見てみよう…。


みなとみらい、近づいてきた…!もしかしたらここは、ちょうど横浜駅高島駅の中間地点。
一方は横浜方面から、一方はみなとみらい方面から、だんだんとさまざまな施設が立ち並び、今、遠かった2つの街は近づいてきている。

また特筆すべきことは、かねてから存在し常に閑古鳥の鳴いていた“シーバス乗り場”がここの1階に併設されるようになり、ものすごい人が利用していたことだ。
「いつもあんなにヒマそうにしていた従業員が、あんなにテキパキと仕事を…。」
“ブランド力”をまざまざと見せつけられた瞬間であった。

何年か後に、横浜の新しい人の流れの要になる建物。
「横浜ベイクォーター」は、そんな場所になるのかもしれない。

(〈トラックバック〉●「YOKOHAMA」→06・9・4『☆お洒落とお笑いとおいしいもの大好き☆』
●「『横浜ベイクォーター』 8月24日オープン♪」→06・9・4『勝手にチェック!』
●「ヨコハマ新名所、横浜ベイクォーター」→06・9・4『癒しを求めてどこまでも・・・』

シーバス乗り場にこんなに人が並ぶなんて…

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2006/09/02

ありがとう!プロッキー1号!

ラストステージここ2年近く仕事に、そして何よりこのブログのイラストに、常に私の相棒であった三菱“プロッキー”が引退の時。

先々月末くらいに、「アレ…インクがかすれてきた…。」と思ったら、あれよあれよと病状は悪化。
長いストロークを請け負う仕事が困難になり、ついに今日、第一線からの引退が決定した。


と、いうわけで、近くの伊東屋へ…プロッキー1号の意志は、弟子である(今買ってきた)“プロッキー2号”が立派に継いでくれることだろう。


これから1号は、メモ書き等のカンタンな仕事を請け負いながら、平穏な余生を過ごすことになるだろう。
お疲れさま!プロッキー1号!

新しいからインクが出過ぎる

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2006/09/01

その挫折、取り上げちゃっていいの?

 高知県などの公立中学9校の女子バレー部が同県香美市で行った合同合宿で、3校が深夜1時ごろまで練習試合をしたことが30日、分かった。
 顧問同士で飲酒中「練習が足りない」という話になり、午後10時半から翌日午前1時までに3試合したという。「非常識な時間で、飲酒して指導したのも問題」と批判があり、高知県の2校は保護者に謝罪した。
 高知県教育委員会によると、合同合宿は8月4〜8日で約100人が参加。昼食などをはさみ、午前9時半から午後5時ごろまで練習や試合をした。
 6日の練習後に顧問らが施設で飲酒し県外校の教諭が提案。高知県の2校が加わり試合をした。7日も朝から練習したが、体調不良を訴える生徒はいなかったという。施設内は飲酒禁止。県教委は「事実関係を明らかにし、厳正に対処したい」としている。(06・8・30『nikkansports.com』

私が高校時代に在籍していたバドミントン部は、“普段の練習は生ぬるいが、夏合宿だけは鬼のように厳しい”部活であった。

学校に泊まり込み、朝からの練習の疲れからのどを全く通らない夜ご飯をムリヤリ胃に押し込めるや否や、体育館に集められ、毎日日付が変わるまで絶叫しながら練習していた。
体育館には卒業生や、彼らが様々な場所から連れてきた勇猛なプレイヤー達が雁首揃え、練習相手をつとめ、まるで殺さんばかりの勢いでコートの中を、外を、走り廻されたものだった。
選手達の中には泣き出す者、過呼吸になる者、逃げ出す者…体育館は、それはもう阿鼻叫喚の図であった。

そこでは先輩からの不条理な命令も、厳し過ぎると思える指示も、当たり前の事であったし、またもちろんそこで教師や卒業生が練習後にお酒を飲むのも知っていたし、それらは全て当たり前のことだと思っていた。

選手を支えていたのは、「卒業して、早く逆の立場になってやる!」という思いだけ。
毎年毎年世代は代われど繰り返される、同じ光景…つまりは全ては、伝統であったからだ。


上記の件は中学校で、また教師達のただの思いつきで起きたことのようなので、確かに問題はあるだろう。
振り回された選手達はたまったものではない。

しかしながら…ただの部活動の指導法の問題・教師と生徒の問題・コーチと選手の問題なのに、そこに教育委員会の指導や、学校の謝罪が必要なのであろうか。


学校の部活動というものは“精神の成長の場”である。
成功と挫折を、多くの仲間達と繰り返しながら、身をもって学ぶからだ。
特に挫折…悔しい思いや理不尽な思い、緊張や萎縮…精神的な痛みは、子供達を謙虚で、相手の痛みを知ろうとする大人へと成長させる。

それなのに、そんな子供達の貴重な“挫折”という経験を、親や、学校や、教育委員会がジャマをしていいのだろうか。

この問題を解決できるのは、当事者だけである。

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