(きのうのつづき)
○〈特別試合〉馳浩引退試合・馳小島中嶋君×TARU諏訪魔YASSHI
両国国技館は、お祝の花でいっぱいだった。
健介・武藤の仲間達からのものや、永田や吉江の弟子達からのもの…しかしそれらのド真ん中で何より目立っていたのは、
「自由民主党総裁・小泉純一郎より」!
リングサイドに目を移すとそこにはなんと、小坂文部科学大臣。
かたやリング上には輝く金色のタイツで仁王立ちする、馳文部科学副大臣。
…プロレスって、すごいね(馳ピがすごいのか)!
このあまりの集権ぶりに、教育現場で働く連れの友人・マガさんは、目が眩んでいた…。
しかしプロレスがすごいのはこれだけじゃない。
試合前、全選手の入場が終わるや否や、エセラッパ−YASSHIがマイクを取って、こう叫んだのだ。
「オイ!コラ!そこの森!」
…会場が一斉にリングサイドに目を向けると、そこには森喜朗前首相が!
「森だー!森がいたーっ!」会場は驚きとともに“森コール”。
「カス野郎!お前、政治の黒幕らしいの。それにしてもお前のその腹、何かたんまり詰まっとるの~。…金か!」(不正確ではありますが、使用単語自体はほぼ完璧)
…プロレスって、すごいね(YASSHIがすごいのか)!
普段「先生」としか呼ばれない人間が一転、「カス野郎」と呼ばれてしまう…さらにはこうしたタブーな話題にまで切り込んでしまう、この無法空間…プロレスは、やっぱり、最高だーっ!
日本でキラ星のごとくデビューした馳であったが、“元高校教師”“アマレス五輪代表”の肩書き以外はごく普通の印象しか、初めは持っていなかった。
しかしそれが一変したのは、黄色のド派手なコスチュームを身をまとい、試合前にいつも“Tシャツ投げ”のパフォーマンスをするようになってから。
どんな相手にも合わせられる抜群のレスリングセンスやその頭脳がありながらも、バイプレイヤーに徹し、感情を露にしたファイトスタイル。
考えてみたら、馳のような選手が、自分にもダメージのあるジャイアントスイングを使うのは、おかしいよなぁ…。
美しいスープレックスや、コンピューターのような緻密な攻撃を繰り広げたかと思うと、今度はジャイアントスイングや逆水兵チョップなど、パワーファイト・ゴツゴツした攻めをする。
時には厳しく、時には明るく…そのまるで子供の表情ようにコロコロと色の変わるファイトスタイルは、とても魅力的であった。
そしてWARとの対抗戦や、闘魂三銃士に肉迫した一連のシングル戦、長州達との世代闘争で矢面に立って戦う彼には、本当に熱く、元気にさせられた。
私の中の彼のベストバウトは、以前橋本真也が亡くなった時にも書いたけれども、“93年G1クライマックス1回戦の橋本戦”。
“風車の理論”を実践した素晴らしい試合であった。
もう1つ挙げるならば、おそらく同年の“SGタッグ公式戦・武藤馳×橋本蝶野戦”。
この試合でも馳は相手の攻撃の矢面に立ち(過ぎて)、試合中に一時リタイヤ。
2人がかりで責められる武藤…「もう終わりか」…。
しかしここから馳が奇跡の復活→逆転の裏投げ!裏投げ!
最後は武藤のムーンサルトで大逆転勝利!
今日と同じ会場の両国は、そりゃもう大熱狂であったことを、今でも鮮明に覚えている。
そう。馳はいつも相手の攻撃を受け止める、プロレスラーの鏡のような試合をしていた。
つい話が回想に入ってしまった。
今日は10ウン年前に買って、今はタンスのこやしになっていた“馳「H2」Tシャツ”を応援用に持って行ったのだ。
第4試合後の休憩中、会場の人ごみの中に「馳+健」という自作のTシャツを着た、筋金入りのファンが歩いていて、
友人マガさんと「あの人すごいね~。」
なんて後ろ指さし感心していると…突然振り返ったその人に、
「そのTシャツいいですよね!」
と話し掛けられてしまった!
私も筋金入りか!
どうやら彼もこの時期の馳ピが一番好きらしく、このTシャツを探していたようなのだ。
「どこで売ってたんですかっ!?」
と聞かれても…「アンティークです。」と答えるしかなかった。
さて。試合はチームワークに勝るブードゥーマーダーズの活躍により、一進一退の攻防。
しかし無念の欠場により、セコンドとして大歓声で迎えられた健介(彼の登場時の歓声はすごかった!)の活躍もあり、馳組が勝利!
健介の登場に、「1チョップくらい見たいですね~。」なんて言っていたら、2ラリアット(しかも1つはダブルだ!)まで見られて大満足。
鬼嫁の竹刀も見られたし、コジの「行っちゃうぞ!」も聞けたし、中嶋君はやっぱり爽やかだった。
諏訪魔はパワーもあり自己プロデュースも上手く、いいレスラーになるだろう。
バックドロップの連発を食らい、馳も嬉しそうだった。
1本1万円の“TARU水”も、今日は大盤振舞い。
YASSHIの“やられっぷり”は、昔の村上和成のようなスカッと感があり、すごくいい。
彼もいいレスラーだ。
そして馳は…裏投げ!裏STF!逆水平チョップ!ジャイアントスイングは年齢分!腰振りもあったぞ(リック・ルードとのWCWインタ戦を思い出した)!そして最後は、ノーザンライトスープレックスホールド!
今日引退するレスラーのものとは思えない人間橋が、最後の時を描いたのであった。
馳と健介と小島が並ぶ姿を、全日本で見ている…人の人生ってものはおもしろいものだなぁ。
もし馳ピが新日本に残っていたら…プロレス界の勢力図はきっと変わっていただろう。本人が語るように、中西をもっと指導したかったと思っているなら…今からでも遅くなーい!
その後は引退セレモニー。
師匠ミスター・ヒトの登場時と、泣きながら花束を持つお子さんの姿を見た時は、グッと来ずにはいられなかった。
10カウントゴングはしめやかに。
そして黄金の紙吹雪とボーカルの入った彼のテーマ曲『TWO HEARTS』、レスラー仲間達に囲まれ、馳は最後まで明るくリングを去って行ったのであった。
片付けが始まった会場にはいつの間にか、山口百恵の『さよならの向こう側』が流れていた。
しんみりと余韻に浸って、ホールを出ると、ちょうど恭子夫人が娘さんを連れて会場を後にするところだった。
私を含めた、たかがプロレスファン1人1人に丁寧に挨拶をしている夫人に、「さすが副大臣夫人だな~。」と大いに感激したのであった。
「高校教師」「アマレス日本代表」「プロレスラー」そして「国会議員」。
次々と新たなフィールドに活躍の場を移す馳は、過去を次々と捨てている人なのだと思っていた。
「過去は忘れる。振り返らない。」と本人も言っていたし、馳は議院になったらプロレスの事なんてすっかり忘れてしまうのでは、とプロレス村の住民として不安に思っていた。
同じレスラー議院でも、アントニオ猪木や大仁田厚と異なり、彼はずっとずっと器用であるし、プロレスを取ってもたくさん残るものがあるし、よりそう思っていたのだ。
しかし彼は、今でも古典を愛しているし、今でもレスリングの為に尽力している。
そして“プロレスラー馳浩”として選挙戦に勝ち、今では“プロレスラー馳浩”として強く国政に参加し、戦っている。
彼は、プロレス界の誇りだ。
パンフレットにあったGK金沢の手記、『彼はきっと狙っている、現職総理大臣としてプロレスのリングに帰ってくることを』を読んで、
「まっさかねぇー!?」
と思っていたのだけれど、本人がマイクで同様にそう宣言してしまった!
(やっぱり)プロレスラーに引退は無いんだ!
“プロレスラー馳浩”、プロレスファンは、待ってるぞ!
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●「阿部誠のラブリー全日本プロレス!!」→06・8・28『Funky-Kの考えごと』
●「8.27プロレスLOVE in両国」→06・8・28『満退者の素浪人日記』)

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