加齢は死を乗り越える
お葬式の際、亡くなった人の顔をカメラ付き携帯電話などで撮影する人が増えている。葬儀関係者には「人の死を悼む気持ちが荒廃している」と感じる人がいる一方で、「時代とともに葬儀も変わる」と受け入れる人もいる。あなたは、最期の顔を撮影されたいですか?
(中略)全国の葬儀社でつくる全国葬送支援協議会(総本部・東京都千代田区)の斎藤浩司理事長(34)は「月に1度は見ます」と話す。「中学生や高校生は『撮っていいの?』という雰囲気だが、30〜40代の人は当然のように撮影する」と話す。香川県三木町の三木・長尾葬斎組合「しずかの里」職員、長尾鉄夫さん(55)も「20〜30代の若い人が『記録に残す』という感じで撮る」と話す。(06・2・16『exciteニュース』)
「怖いものランキング」で「死」をトップに持って来るほど、訪れる死に今は恐れおののいている私だけれども、この恐怖はやがて必ず克服できるものだと信じている。
なぜなら世のお年寄りを見ていると、彼ら彼女らは確実に、それを克服していると感じるからである。
我が実家は古くからそこにあり、我が家も含め、周りにお年寄りが多い、そんな地域にある。
ある日、私が大通りの横断歩道を信号待ちしていると…
後ろから…
とてもゆったりとした足取りで…
お年寄りが…
私を抜かして…
目の前の信号を渡って行く…
…赤信号なのに!
当然のように走る車をストップさせ、クラクションを鳴らされながらも悠々と歩くお年寄り…よく見るこんな光景からは、それは死を克服しているというよりも…「どうでもいいや。」という思いさえも感じる。
未知のものは、恐怖のもの。
若いうちは、人は、「死」を恐ろしいものであったり、厳粛に受け止めるべきものであると重く重く考えがちであるけれども、年齢を重ね「死」が近くなればなるほど、人は当たり前のことだけれどもそれを身近に感じるわけで、そしていずれはそれを自然に・穏やかに享受できるようで…上記のニュースで「年配者のほうがケイタイカメラを使う。」というのも十分に納得がいくのである。
まだ「死」を遠くに感じている私には、なかなか理解し難い事例である。
しかし「死」は、人間の、いや生物の絶対であるからこそ、本来は何ともないことなのかもしれない。
こればかりは、時の経過のみが教えてくれることだろう。
(〈トラックバック〉●「カメラ付き携帯でデスマスク画像モブログに投稿・・・」→06・2・17『日本不経済新聞』
●「最期の顔 撮りますか」→06・2・17『すてきな奥さんなれるかな』
●「[お葬式]カメラ付き携帯で最期の顔パチリ」→06・2・17『ブラックティ7』)
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