この年にもなると、もう2月14日なんて日常のうちの1日に過ぎないのであるけれども、思春期真っ盛りの男子にしたら、本日は年に1度の心に秘めたる一大イベントなのである。
そうそれは、思春期ならではの妄想力大解放による、「もしかしたら…」の波状攻撃。
彼らは24時間、常に、
「もしかしたら…。」
と思いながら、過ごすのである。
朝、家を出る時、
「もしかしたら…誰かがチョコレートを持って立っているかも…!」
学校も近くなると、
「もしかしたら…誰かがチョコレートを持って、校門で待っているかも…!」
下駄箱を開ける時、
「もしかしたら…誰かがこっそり、チョコレートを入れてくれているかも…!」
移動教室から帰ってくると、
「もしかしたら…誰かがこっそり、チョコレートを机の中に入れてくれているかも…!」
昼休みになると、
「もしかしたら…誰かがチョコレートを持って、やって来るかも…!」
放課後が訪れると、
「もしかしたら…誰かがチョコレートを持って、部室の前で待っているかも…!」
部活動中は、
「もしかしたら…誰かがチョコレートを持って、遠くで自分のことを見ているかも…!」
帰宅中には、
「もしかしたら…誰かがチョコレートを、家に届けてくれているかも…!」
なるべく常に冷静を装いながらも常に意識は周囲にあり、今日ばかりはなるべくたくさんの人目に触れるように、意味無く学校中を歩き廻ったり、放課後遅くまで残ってみたり…水面下で行われる、けなげな受け身の努力は、とても美しい。
しかし結局その「もしかしたら…。」は全て裏切られ、手ぶらで傷心のまま家に帰って、待っているものは…
“お母さんチョコレート”。
これがまた子供ながらに存在する男子のプライドをさらに切り裂き、しかしながらそんな母に悪気があるものではないとわかっているからこそ、複雑な哀しい気分にさせるのである…。
そう、バレンタインデーは年に1度、思春期真っ盛りの男子が、己のプライドを傷つけられ、その存在を確認する、大切な日だったのだ。
そしてこうして挫折をくり返しながら、男子は立派な男へ、成長するのである。
次の日…朝起きると同時に、彼らはこう思う。
「もしかしたら…誰かが(恥ずかしさで)渡しそびれたチョコレートを、今日こそ持って来るかも…!」
決して諦めない心も重要だ。
がんばれ青春真っ盛り!!
…えっ?
あぁそうですよ。
かつての私の姿ですよ。何か?何かっ!?
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