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2006年1月の記事

2006/01/31

好きであり続けることって、難しいことなのかな。

「おでんくん」のDVD-Boxを買った。
おじさんの屋台の鍋の底の、おでんの世界の住人達の話。
リリーフランキー独特のタッチと色の、かわいくて、個性的なキャラクター達。

特筆すべきことは、彼らが皆、“当たり前のように食べられていく”こと。
いや、今まで誰かに食べられるキャラクターもいなくはなかったけれど…とにかくその自分全てを“食べられることを大前提”として存在しているキャラクター達が新鮮で、衝撃を受けたのであった(もちろん食べられた後は“おでん沼”から復活する)。


ある物語の中で、ケンカをしてしまったスージーとはんぺんくんを見て、主人公のおでんくんはこう思う。

「ふられる?
好きなひとを きらいになる?
好きだったのに?
なに それ?
わからないなぁ?」

今さらながら、私も「なんでだろう。」と思ってしまった。


人間はなぜそんなに、急に今まで好きだった人間を、好きじゃなくなるのだろう。
人間に限って、なぜ急にそうでなくなれるのだろう。

ラーメン好きの人はずっとラーメンが好きだろうし、猫好きの人はずっと猫が好きだろうし、地元を愛する人はずっと地元を愛し続けていると思う。
しかし人間の好き嫌いだけは時と場合によって、コロコロとまるで万華鏡のように変化することが多々ある。

不変という言葉など存在し得ないことはなんとなくわかっているが…短い短いその人の人生の中でなら、不変なこともあったりするのではないかと思う反面、なかなかそれに人間が当てはまらないような気がして、虚しくなる。


しかし、誰かが誰かを心の底から「好き」と思っている時、その人は、決して「嫌い」になることを考えながらそう思っていることはないのだから…だからやっぱり、今の「好き」という気持は迷わず大切に、ただ今を、前だけを向いて持つしかないのだ、と思うのであった。

(〈トラックバック〉●「おでんくんDVD-BOX 早速ゲット!!」→06・1・28『ほんじょクリップ。』
●「おでんくん」→06・1・27『気になるブログ 』
●「いい味でまくりです おでんくん」→06・1・24『京都てくてく 』

絵本も出ています

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2006/01/29

狙いうち

毎年この時期に必ず出ている、地元バドミントンの大会(ダブルス)に、友人strさんと出場した。

11月の横浜マラソン出場以来、運動らしい運動を全くしていなかった私と違い、strさんは“月2回のバドミントンライフ”を実践しているスポーツマンである。

ただ、血中コレステロールは高濃度。
医師よりの「要通院」診断も意に介さないところがまたサッパリ、スポーツマンなのだろうか…。
サラダもサッパリ食べないところが、またスポーツマンなのだろうか…。


さて試合。パートナーのおかげでサクサクと試合は進む。
どう考えても試合感の無い私が“穴”なのに、みんななぜかstrさんの方ばかりにショットを打つのだ。

ここ1週間家に帰れずに伸びっぱなしであったヒゲが、悪印象だったのだろうか…とにかくまぁ、余計な労力もかけずに勝てることはいいこと(パートナーは試合ごとに疲労感を増していた)だけれども…と、いうわけで予選リーグ突破!


しかし決勝リーグともなると、そうはいかない。
上手な人はやはり、相手の“穴”を見極め、そこを狙ってくるものだ。

(私がミスして)「おい〜、今のスマッシュ、狙われてたなぁ。」

「おい〜、今のスマッシュも、狙われてたなぁ。」

「おい〜、今のも…」

「おい〜…」

「おい〜…」

…試合は、あっという間に終わった。


やっぱりダメだった。
というか、速い球が、見えない。

あしたから電車に乗る時は、線路のまくら木を数えようと思うのであった…。

体育館極寒なのよ

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2006/01/28

おたく節全開

「電車男」などの大ヒットにより、“おたく文化”が今までより広く世間一般に認知されるようになり、“おたくの街”秋葉原などには今、“おたくでは無い人”までもが多く足を運んでいるそうだ。

と、いうわけでそれを確かめに…と、いうわけでは無いのだけれど、秋葉原と反対側にあるおたくもう1つの聖地・中野へ行ってきた。

中野はいい街だ。
懐かしさの溢れる街に最先端がちょうどいい具合で入り込み、その塩梅が非常に心地いい街である。
一件何でも大らかで無頓着なようで、そこにはものすごいこだわりや自我意識が強い部分が存在するような、そんな人…じゃなくて街。


そんな中でも、中野ブロードウェイは、やはりその中枢だ。

地下と1階には家族連れやお年寄り。
しかしそれが2階、3階と、階を上がるごとにその客層は変化を遂げてゆくのだ…

「おっ、おたくだけじゃなく、2階にもベビーカーのお母さんや、仲良し女の子グループが。きらびやかなお召し物の“お姉ギャル”系のお姉さんまでいるぞ!」

「…あれっ、3階にも。」

「…あれっ、4階にも!?」

休日だったせいもあるし、そう思い込んでいたからだけかもしれないが、やはりおたく文化は認知され始めてきている、そう思わざるを得ないなと私は思い始めていた。


しかし…

(近くにいたお姉さんがあるフィギアを指して)「えーっ!何でこんなもんがこんなに高いの!?」

「オイオイオイ…その価値がわからないのかよ!!」

…やはりおたく文化は、広く認知などされないものだろう。
いや、そうだからこそ、その存在意義があるのだ…。

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2006/01/27

おいしいものと、おいしいもの。

仕事柄か、お昼ご飯の時間はまちまちである。

今日のランチタイムは3時くらいで…ちょうどご飯を食べている時に、会社の人から、おやつをいただいた。

それはとっても高級そうなチョコレート。
たぶん、口の中に入れたらあっという間に溶けてしまうような、上品な甘さの、そうそう金箔が上にふりかかっていたなぁ…とにかくそんな、見るからにおいしそうなチョコレートであった。


後で食べようと、箱から1つつまませてもらい、机の上に置こうとしたら…さすがは高級チョコレート。
口で溶けるのならば、その指の体温でもあっという間に溶けはじめて…

「ポチャ。」

つるっと滑り、もう片方の手にあった食べかけの“日清シーフードヌードル”の中に!


急いで箸で救出しようと試みたけれどチョコレートの姿はもう完全に無く、そこには鼠色に変色したスープだけが残されていた。

「とってもおいしいシーフードヌードルと、とってもおいしい(であろう)高級チョコレート、こりゃまさに一石二鳥だな!」

…というのはウソで、そこにはとってもまずいカップヌードルと、過失とはいえ後悔の念だけが。

悔恨

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2006/01/26

未熟者

 タレントのボビー・オロゴン(39)が25日、東京都渋谷区の所属事務所で大暴れし、警察の事情聴取を受けた。事務所社長や鈴木宗男議員の元秘書ジョン・ムウェテ・ムルアカ氏(44)ら数人に暴行し、事務所内も破壊したという。
 ボビーと専属マネジャーが無断で仕事をして約2000万円がマネジャーの口座に振り込まれたため、事務所側が法的手段を取ろうとしたことに、逆上したとみられる。聴取を終えたボビーは「誰も殴っていないよ」と主張したが、書類送検される見通しだ。(06・1・25『ニッカンスポーツ』

事務所に育ててもらった恩義を忘れたこの行為は、タレントとしてはあまりに未熟であるし、怒りに任せて年輩者に殴りかかったこの行為は、格闘家としてもあまりに未熟である。


バラエティ番組同様の調子で釈明会見をする姿も、滑稽にしか映らなかった。

かつて『週刊ゴング』誌上でターザン山本が、

「ボビーはなんで曙に勝っちゃうの!?空気読め!」

なんてコラムを書いていたけれども、リング上にとどまらず、彼はどうやらどんな場面においても、本当に空気が読めないようだ。


今後どういった方向性で芸能活動を再開するのか…おとぼけキャラなのに定着してしまったであろう、

「キレたら怖い。」
「金に汚い。」

というイメージをどうやって払拭できるのか、期待しないで注目しようと思う。


この件に関しては、格闘技界からもコメントが。

 ショックを隠しきれないのは、ボビーに総合格闘技を教えたジム「GRABAKA」の三崎和雄(29)。「いつも笑ってばかりいるボビーがそんな暴力をふるうなんて…」菊田は「どういう事情でこんなことに…。ボビーと話さないと分からないからコメントは控えたい」と沈痛。新日本プロレスの蝶野正洋(42)は「双方の主張を聞いてないから分からないが、プロならリングで暴れろ。リング外で人を殴るなんてもってのほか」と話した。(06・1・25『YOMIURI ONLINE』

蝶野の、的を得た、したたかさと優しさの同居した言葉が、暖かい。

“格闘技完全転向”しかないかな…。

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2006/01/24

あれば食べちゃう。人間って、低能よね。

 政府は20日、米国から輸入された牛肉に牛海綿状脳症(BSE)の病原体がたまりやすい特定危険部位の脊柱(せきちゅう)が混入しているのが確認されたと発表、米国産牛肉の輸入を当面、全面停止することを決めた。
 小泉純一郎首相は同日夜、中川昭一農相から米国からの輸入を全面停止するとの報告を受けたことを記者団に明らかにした。小泉首相は「国民の食に対する安全・安心を確保するのは極めて重要。米国にしっかりとした対応を求めると報告があった」と語った。(後略)(06・1・20『nikkansports.com』

中川農相の決断に、感謝したい。

全てを自国の主導で行おうとした上に、このように1度決めたルールさえも守らないアメリカに、もちろん全ての責任があることは明確で、こればかりは強い姿勢で臨んでもらいたい。


人間は、ものを忘れながら生きている。
これだけ話題になったBSE問題も、そのうち人々の記憶から消えてゆく時が来ることだろう。

「…そんなこともあったなぁ。」

などとうすうす覚えていながらも、そこにあるものがあれば、疑い無く手に取り、口にしてしまう。
人間なんて、そんなものである。


だからこの問題は、この問題が風化してもいいように、再びこのような問題が起こらないように、今のうちに両国間にしっかりとしたガイドラインを確立させる必要がある。

食を提供する側の職人意識、そしてそれを受ける側との信頼関係など全てにおいて、日本のそれはアメリカのものよりも上回っているはずだ。
場合によっては一連のこの件で、相手国を教育するようなことも必要かもしれない。

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2006/01/23

ウッツー

毎年、1月も下旬になると、なんとなく情緒不安定になりがちになるようだ。

今日はあれこれ考えをめぐらせてもなかなか頭が廻らず、いいアイデアが出ず、文章さえも出て来ず…イライライラ…そしてガッカリ…そしてまたイライライラ…そしてまた…といった具合で、とにかく落ち着かない、悪い日であった。


そんな時、こんな記事を見た(↓)。

 1月23日(月曜日)は1年で一番憂鬱な日—。英国の心理学者がこんな学説を唱えている。
 この心理学者は英カーディフ大学のクリフ・アーノール研究員(信頼醸成・ストレス管理専攻)。人が最もウツになるのは1月24日に最も近接した月曜日で、今年は23日がそのパターンに当てはまる。
 クリスマスから大晦日、新年に至るお祭り気分が終わり、日常の仕事に本格的に復帰しなければならいのがこの時期。気がつくと、祝日のパーティなどに掛かった経費の支払いがのしかかり、向こう数週間を眺めても、格段面白そうな出来事も期待できないというわけで、人は最もウツになりやすい。それに寒い気候が追い討ちを掛ける。
 アーノール氏は数百人を調査し、数式を使ってその結果を一般化、「23日は最悪の日」とする結果を弾き出したという。(後略)(06・1・23『AFP』

…はぁ…なるほど…はぁ。
とりあえず、早く春にならないかな…。

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2006/01/22

文化の違い、てんやわんや

地元民の意地か、せめて年に1回は行くことにしようと、横浜中華街に出かけてみた。

みなと総合高校のテニス部を横目に西門をくぐると…休日もあってかとにかく人が多かった。
あっ、“春節”が、近いのか。


お世話になったお店は、広東料理の「均昌閣」
味付けもさっぱりクドくなく、おいしかった。

それと、これは決して民族差別をするつもりではないけれども…お店のスタッフのほとんどが日本人で、安心してサービスを受けることができた。


やはり民族の違いは、“接客”というものに対する認識の違いにも繋がるようで、過去中華街のお店での接客態度に憤慨した経験はそれなりにあり、そしてその場合たいていは、民族の違いからくる文化認識の違いによるものだったように思う。

料理を持ってきてくれる人が笑顔か。
こちらのペースに合わせスムーズに料理や食器を提供できるか。
例に無いこちらのお願いを受けてくれるか、またはそれに丁寧に断りを入れられるか。

もしかしたらどれも他愛無いことなのかもしれないけれど、やっぱりどれも必要なことで、少しでもズレていると気になってしまうようなこと。
誰にも決して悪意は無く…原因はただ、私と店の人がそれらを気にする文化なのかそうじゃない文化なのか、その違いだけなのだろう。


しかし、わかってはいるけれども、目の前に自分とは異なる文化を突き付けられた場合に、なかなかそれをすんなりと受け入れられないのもまた事実である。

そもそも今回は違う文化の料理を食べに来ているのだから、それは本来あるべきこと・享受すべきことなのかもしれないけれど…どうも料理の内容と接客を同じにするのは、納得がいかないのである(おそらくこの意識も文化認識の違いなのだろう)。

もうすぐお正月

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2006/01/21

よっしゃーーーっ!雪降った!!

降った降った!雪が降った!

もっそりとお昼頃に起き上がり、外を見てみると…銀世界!
決して天気予報を信用していなかったわけではないけれども、ここ数年、雪は降っても積もることがなかったので、今回も大したことはないだろうと勝手に思っていた。

しかし今日ばかりはこの雪で…おかげで出かけようとしていた予定はパーになってしまった。


だけれども、目新しいからか、それとも私の精神年齢が低いからなのか、雪を見ているとどうしてもワクワクせずにはいられない。
普段はあんなに寒いのを毛嫌いして、ずっとぬくぬくしているというのに…

今日は何だか…

外に…

出たくなってきたぞ…

ムズムズムズ…


「キャー!」

と、叫びながら、結局外に飛び出してしまった。


駆け付けた公園にはもうすでに、たくさんの子供の足跡が。
しかも一遊びし終えて、帰ってしまった、祭の後だ。

「先を越されたか…。」
昼過ぎに起きておいてなんだけれども、ちょっとガッカリした。


まだしんしんと雪が降り続ける夕暮れの町は、音も無く、ひっそりとしているけれど、いたるところに“祭の後”・雪だるまがあって、町全体がまるで静かにその雪を歓迎しているかのようでもあった。


人は季節を感じる光景に出会うと、しみじみと感慨深く、美しい気持になる。
それは四季と、そして自然への畏敬の念を持つ日本人ならではのものなのかもしれない。


あぁ美しい雪よ…私の悲しい思いも、愚かな罪も、醜い欲望も、何もかも包み流しておくれ…

「…グーッ。」

…お腹減ったな(朝から何も食べて無かった)。
…寒いし、焼肉屋寄って帰るか。

結局、こびり着いた私の煩悩は、流されることはなかった…。

店番

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2006/01/20

順番が違うと、おたくは怒るんだ!

何につけても、シリーズもののDVDを買う時に、決まって不安になることがある。

「これって…後で“DVD-Box”なんかにならないよな…。」


長いこと待ち望んでいたあの思い出の作品が、大好きな作品が、ついにDVD化!
ばんざーい!

もちろんファンなので喜び勇んで、発売日ごとに1巻、1巻、揃えてゆき…ついにコンプリート!
やったー!


すると後日、その作品についてこんなニュースが…

「発売済みのシリーズDVD全巻を、待望のDVD-Box化!Box特典もいっぱい付いています。(値段もお得)」

…フザケルナ!


“DVD-Box”をつくることでコレクターズアイテムの感が強まり、今まで購入を見合わせていた人も、手を伸ばすことだろう。

だけれども、今まで一生懸命単品で揃えていた、どちらかというとコアなファンはそんな時、一体どうすればいいのだろうか。
もう1回、買いたいのはやまやまだけれど…いくらおたくにだってなぁ…“経済的余裕”ってもんがあるんだよ!

と、いうわけで、DVDのシリーズを「単品→Box」の順でリリースするのは、マナー違反であり、その作品のファンへ対する冒涜である。


例えば円谷プロファンの方、お気持ち察します…(単品で持っていなかったので、Box買いしました、スイマセン…)。

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2006/01/19

週末に向けての決意

今週は、先週金曜日に“週末気分”に負けて仕事をサボってしまったせいで…日曜日から会社に出るや、“睡眠時間だけを4分の1に減らした本郷かまとさん”のような生活サイクルになってしまい、大変困った。

今週末は意味無く浮かれないようにがんばるぞー。
おー。

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2006/01/18

できちゃった

 結婚時、新婦が妊娠している“できちゃった婚”が急増し、ブライダル商戦が様変わりしつつある。
 妊婦の体形に合わせたウエディングドレスが登場し、海外に新婚旅行に行く妊婦を想定した保険を売り出した保険会社も。「世間体が悪い」「順番が違う」と親世代の戸惑いは根強いが、「妊娠後結婚」するカップルは、今や4組に1組。業界では「できちゃった、というより『おめでた婚』として受けとめる向きが増えている」と、新たな市場へのサービスを強めている。(06・1・18『読売新聞』

私も年が年なので、周りの人間の結婚報告を耳にすることが多くなった。
そしてその中には例のごとく、いわゆる、“できちゃった婚”の人もいるわけである。

しかしA型てんびん座の私は、絵に書いたような保守的懐古主義な性格のようで(先の血液型と星座の関連性は無い)、“できちゃった婚”にはなかなか理解しがたい部分が多かった。

人間が脈々と繋いできた、ある1つの順番・ある1つカタチ…すなわち“文化”を守っていないのが、どうもだらしの無い印象に映るのだ。
大げさに言えば、その場の欲望や快楽に溺れた結果であって…“できちゃった婚”を境に、人気が低迷する芸能人などを見るともう馬鹿にせずにはいられないような…とにかく毛嫌いしていたのであった。


しかし先日、上司の酒の席での、

「不景気などもあって、なかなか結婚という一線を超えられない男女が増えた今、

『できちゃった。』

という言葉は、そんな男女へのいい結婚へのスタートラインになっている。
これも真っ当な、結婚のカタチなんだ。」

と、いう話を聞いて、目から鱗が落ちた思いであった。


大切なのは、

「できちゃった。」

その言葉を聞いて、どういう思いで結婚するのか、そしてどういう思いでこれからを見ているのか、それであって、過去をとやかく問題にすることではないのだ。

“順番”を守っても、どんなカタチで結婚しても、不幸せになる夫婦がいるのはどの時代も変わらない。
だから逆に、今そこに、輝ける想いが存在しているのならば、“順番”はどうだってかまわないのだ。


この年になってまた1つ大人になった私は、今ならそんな周りからの報告も、ウェディングドレス姿の新婦も、心から、祝福できるのである。

(〈トラックバック〉●「できちゃった婚 」→06・1・18『菜っ葉の徒然日記 』

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2006/01/16

大人の中の大人

焼き鳥。

化粧。

東西。

黒船。

部屋。

………。


NHKのクイズ番組「連想ゲーム」は、他番組のにぎやかさとは真逆の、シンプルさと静けさで、見るものを虜にした。
幼い私にとってそんな番組の雰囲気は、まさに“大人”であった。

そんな大人の番組に出演する、大人達の中でもリーダーを張る、まさに“大人の中の大人”…といえば、加藤芳郎さんである。

テレビの向こうの、まるで野口英世みたいなその人は、物静かで知的で、優しそうで、でも時折ジョークも見せる懐の深さもあって、まさにダンディであった。

 「まっぴら君」などで知られる人気漫画家の加藤芳郎(かとう・よしろう)さんが6日に呼吸不全のため都内の病院で死去していたことが16日、分かった。80歳だった。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は妻の敏江(としえ)さん。(後略)(06・1・17『日刊スポーツ』

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2006/01/15

学校×塾

 小中高で、授業や補習、進路指導などを予備校や進学塾に任せる「外注化」が首都圏を中心に広がっている。東京都港区の区立中や江東区の区立小では塾の先生が教える。高校の場合はさらに進み、大手予備校が大学進学向けの授業などに講師を派遣し、受験用カリキュラムづくりも請け負うところもある。(06・1・11『朝日新聞』

学校と塾は、相反する関係でなければならないと思う。
特に学校は、その自身の存在に、誇りを持たなければいけない。
極端な話、

「塾なんて、なんぼのもんじゃい!」

…それくらいであったって、いいと思う。


子供は学校という社会に組み込まれ、その中の日常で成長する。
たくさんの学校行事で、たくさんの経験をし、成長する。

私がまだ青い青い青い頃…教育実習生として訪れた、母校の高校の“2年1組”は、まとまりの無い、寂しいクラスだった。
1人1人はキラリと光る個性を持ち、よく喋り、よく感じ、よく考える、そんないい子達なのに、殊クラス単位になると、それがめっきり影をひそめた。
小さなグループ以上の交流や干渉は押さえ、憶測やウワサでのみの陰口を語り合うような、そんな学級で…夏を目前に控え、全く決まらない“文化祭の舞台の出し物”に、みんなが声を潜めながら頭を痛め、クラスの現状を嘆いていた。


2週間の実習を終え、私は後ろ髪をひかれる思いで大學に戻り…季節は移り…巡ってきた、文化祭当日。

久々に会った2年1組は、見違えるほど大きく変わっていた。
みんなが笑顔で、屈託なく語り合っている。
お互いを気遣いながらも、1つのことに全員で、一生懸命立ち向かっている。

その時、文化祭という1つのイベントを通すことで、たった3,4ヶ月の間でもこうも子供達が成長するのかと驚き、気付いたのである。
そして精神までも腐り切った私が、人生でイチバン“清らかな涙”を流した瞬間は、彼ら彼女らがその舞台コンクールで優勝した時に溢れたものであると、確信している。


子供は学校で、成長する。
これは決して偏差値教育ではできないことである。

最近は授業時間の減少により、学校行事を減らしているところもあると聞く。
生徒の輝ける時間を、そんな勉強ごときに割いてしまうのはあまりにもったいなく、愚かなことであると思うのだ。


自身が輝いている時、自身はそれに気付かない。
当の生徒ならばともかく、今は幼き頃を忘れた親までもが、学校よりも塾や予備校の存在を重要視する時代。
一体誰が学校の味方になるのか…。

その塩梅はもちろんあるにせよ、子供達にとって何が一番大切なのか、自身と誇りと経験を持って諭せる教師が、少なくなってしまったのだろうか。

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2006/01/14

も…も…

昨年末から続く歯医者通い。

午後イチの予約で出かけてみると…受付の横で、5,6人の歯科衛生士のお姉さんが、横一線に並んで、“ハミガキ”をしていた。

正直…萌えたね。

10分ハミガキ実施中!

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2006/01/13

手数料の罠。

私がよくお金をおろしに行く、「みずほ銀行桜丘支店」が今日をもって閉鎖。

夕方、週末なのにサイフが空っぽなのに気付き、急いで向かった時には、すでに遅し。
せっせと引っ越し作業に励む女性社員の後ろに、

「本支店・ATMは、13日“15時”をもって閉鎖されます。」

というポスターが貼ってあったのだった。


しかしポスターに、ついでにもう1文。

「お手数ですが今後は他支店、及び最寄りのコンビニエンスストアをご利用下さい。」

なるほど。不便かと思っていたら、今はコンビニでもお金が取りだせるのか…便利だな。


しかしさらに、もう1文。

「コンビニATMご利用には、手数料がかかる場合がございます。」

………。


私は今だにこの、“機械相手に払う手数料”が理解できない。
もちろん機械にも維持費をはじめ様々なお金がかかっていることはわかるけれども…大きな人件費の削減と便利さを手に入れておいて、これでは何のための機械だと、思うのである。

あのATMという箱の中に、小さな小さなおっさんがたくさん詰まっていて、一生懸命お札を数えたり、

「通帳をオイレクダサイ。」

なんて声を出しているなら、手数料は致し方ないのだが…おそらく、そうではないのだから。

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2006/01/12

ニュースに載らないニュース…その後

以前の日記でも触れた、JR中央線車内での“事件”。

簡略に述べると…走る電車内で裸の男が血を流しながら暴れ回り、車掌はそれを把握しながらも駅到着後、犯人を確実に確保するために…その不審者と一般乗客を同じ車内に閉じ込め続け、警察の到着を待った…と、いうまさしく“事件”である。

(くわしくはこちらより→〈リンク〉●「惨劇1歩手前(1)」→05・8・22『Barbaroi』


…実際に起こったといわれるこんな話を聞いて、普通ならどう思うだろうか。

強い憤りを感じながらも、「まさかね…。」と思うことだろう。


この事件を実際に車内で体験し、上記のブログにアップしたぱらむさまは、その後も事件の真相を究明するために、JR東日本に質問をぶつけ続けていた。

別にぱらむさまを信用していないわけではない。
だけれども、このニュースに載らないニュースは、あまりにも信じられないこと(そのほとんどが鉄道関係者の乗客に対する対応についてなのだけれど)が多くて、

「これは…事件の状況把握から、責任の所在とその証明が難しいぞ!」
と思っていたら…

(あっさり)認めちゃった。


全ては、ぱらむさまの記事が真実であったようだ。
暴漢を載せた電車が駅に到着するや否や、車掌は乗客をその列車に閉じ込めたまま電車を離れ駅改札に向かっていた。

いくら緊急事態でも、車掌が電車を離れてどこかに行ってしまうなんて聞いたことが無い。
一体、何を優先したが故の、この行動であったのだろう…。


ともかくこうして事件は、とりあえずの終着点を迎えた。

「謝ってすむことじゃない!」

なんてセリフがあるけれども、大きな過ちを犯した時、人は、ただ謝るしか術が無く…だからやっぱり、謝るしか無いのだ。


しかし、それにしてもJRの対応は“あっさりだ”。

ここから先は私のあまりにも偏見と憶測に満ちた考えなのだが…事件後の一連の、ぱらむさまとJR東日本とのやりとりを見ていると、

「事が大事にならず世間も騒いでいないこの事件なんて、さっさと謝って、さっさと終りにさせよう。」

的な雰囲気が漂ってくる、気がするのだ。


くり返すが…大きな過ちを犯した時、人は、ただ謝るしか術が無く…そして今回もこうして謝ったから、事件は解決。終わっているのだ。

だけれども…だけれども、こうして解決したこの“事件”が、今後の私達の何らかの糧に成り得ているのかと考えると…何かが足りなく、もっと多くの人にもこの“事件”を知ってもらいたく、こうしてネットの隅で叫んでいるのである。

(〈トラックバック〉●「惨劇1歩手前(12)」→05・8・22『Barbaroi』

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2006/01/11

筆暴力

事実の羅列に止まるならばまだしも、時にその的外れな文章から目が離せない、朝日新聞夕刊1面の由々しきコラム、『素粒子』。

昨日「成人の日」の風景に対しても、

 浦安の新成人。
 遊園地のネズミ踊りに甘ったれ顔をして喜んでいるようじゃ、この先思いやられる。
 (06・1・9『朝日新聞』

…と、述べている。


無事に成人の日を迎えたこのめでたい日に、市と実行委員会からの要請通りに、式場であるディズニーランドに行って、式に参加している…ただそれだけの浦安市の新成人をつかまえて、この暴言はなんたることか。

成人式という式典に、新成人は参加してはいけないのだろうか。
それとも、大人はたとえディズニーランドというテーマパークに行っても、笑みを浮かべてはいけないのだろうか。

朝日新聞のニュースサイト『asahi.com』には、成人式の記事と共に、浦安市成人式での新成人の写真が掲載されていたそうだが…その写真の人のことを指しているのだろうか。だとしたら、あまりにも暴力的だ。


それともこの文章は、毎年報道される“荒れる成人式”における新成人や、こうして税金を大々的に使用している浦安市、はたまた市の式典にまではびこる企業を、一生懸命皮肉っているつもりなのだろうか…それにしては、あまりにも的外れである。


思想や感情は決して制限するべきものではないし、私自身もこだわりは無いけれども、それを公として発する場合には、時に根拠や説得が、往々として必要になる。
特に、それがより多くの人の目に、頭に、届く場合は。

上記の文章は、あまりに筋が通っていない、幼稚なものに感じる。

新聞の権威などもうとうに堕ちてはいるけれども…仮にも日本を代表する報道機関の1つが高らかに発する文章が、こんな品格のかけらも無い、書きなぐったものであるのはおかしい、と強く思うのである。

(〈トラックバック〉●「今日の素粒子」→06・1・10『☆STO'S ATTIC☆』
●「ネズミ踊り」→06・1・10『biNNoMori』
●「★朝日新聞 「素粒子」 に思うこと」→05・11・15『雑記のーとVer.2』

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2006/01/10

デキない人。

“公共スペース”と呼ばれる空間は、人それぞれの気の遣い合いで成り立っている場所である。

誰か1人がそれを怠ると、そのおかげで誰かに、何かしらの被害が被り、何より不快な気分にさせられる。
それはまるで、“苦”と“楽”という意識が、この世の中には一定の数とバランスでしか存在していないのだと思わせるほどである。

そしてそんな空間にほとんど常に身を置いている人間は、いくら赤の他人でも、不特定多数の誰かを自分の手で傷つけたり、不幸にさせたり、不快にさせたりすることを嫌う生きものであると思うの…だけれども…中にはそうでない人も、意外といるものである。
そしてそういう人物は、とても醜い。


満員電車の車内で、どうにかして無理矢理にでも日経なんかを読もうとしているサラリーマンは、傍から見るとすごく、“仕事のできない奴”っぽい。

そこまでして…そんなに読みたきゃ、会社休んで、読め!

むしろ会社辞めて、読め!

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2006/01/09

セカンド詣

ホントに似てる元日に続いて、江ノ島神社へ、セカンド詣。

江ノ島入口の鳥居をくぐり、参道の坂道を歩く度に、

“モン・サン・ミッシェル”みたいだ…。」

と必ず思う。

今年の江ノ島も、参拝客でにぎわう変わらぬ様子であった。


埋め立てただ、島に続く弁天橋横の海を、たくさんのショベルカーがせっせと埋め立てていて、何ができるのだろうと心配になった。
そもそも江ノ島自体が、幾度かの埋め立てをくり返して大きくなっている島ではあるのだけれど…そのうちに江ノ島は、島ではなくなってしまうかもしれない。


江ノ島神社のおみくじには朱色が使われていて、境内に結んであるたくさんのおみくじは、白と赤のコントラストがとても美しい。
私も今年2回目のバッターボックスだと、勇んで運だめししてみたけれど…元旦同様“小吉”で、見事な小物っぷりを露呈してしまった。

しまいには、稚児ヶ淵で一生懸命下を向いてカニとたわむれていると上空のトンビからフンを落とされ…泣きながら帰路についたのであった。

今年1年、はたしていいことあるのかな…。

(〈トラックバック〉●「江ノ島と鎌倉と」→06・1・8『お散歩ライフ』

甘酒大人気

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2006/01/08

もっと光を!

実力はあるのに、出世のできない。
実力はあるのに、有名になれない。

そんな人だっている。


私がずっと気になっている、実力はあるのに、イマイチメジャーな存在になれない、そんなキャラクターがここに!

“のど黒大好きトドクロちゃん”

あのCMの着ぐるみ、すごくかわいいのだけれどもな…。

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2006/01/07

青は藍より出で…。

家庭の中でも、職場の中でも、学校の中でも…様々な場所において、人は人から学び、関わり合って生きていくものであるから、そこに必然的に“師弟”という関係性が発生する。

知識や経験、そして食事やお金…人間としての財産を人は、“育てる”という言葉を使い、また人へ、タスキのように繋いでいくのだ。

タスキを受け取り、それをまた渡し…そしてその延々と続く関係の中で、やがて成長を遂げた人には、逆に、立派に育ててもらったその恩を、師を“超える”ことで証明する時期が訪れることがある。


殊にスポーツにおける“世代闘争”は、そんな人生におけるドラマチックな出来事を、“勝敗”や“力”というわかりやすい形で伝えてくれるため、心を打つのである。

追う者と追われる者の、意地と意地の戦い…人生の縮図であるプロレスのリングでも、多くの“世代闘争”が起こり、それはファンの語り草になっている。


大阪プロレス社長、スペル・デルフィン
我闘姑娘代表、さくらえみ

2人ともプロレス界を代表する名レスラーであり、今では独立し、団体を切り盛りする選手兼プロデューサーであり、まさしく“世代闘争”の真っ只中にいる、ベテランである。

しかし、デルフィンが同団体のエースであり弟子である、スーパー・ドルフィンに対戦を迫られた時、
「オレは第一線を退いてるから…違う目標を持て。」
と返したそうだ…。


大阪プロレス我闘姑娘も、プロレス界の中で独自の世界観を完成させ、成功している数少ない団体である。
それは両団体の創設者でありNo、1であったデルフィンさくらが、意図的にトップから退き、フロント業に力を注いでいるからに他ならないのであるが…このままでは、あまりにも悲しい。

師である2人には、弟子の高い高い壁であり続けるために、まだ己の弟子を何としてでも認めてもらいたくない。
弟子は師へ己を認めさせるために、師は弟子をまだ認めまいとする、絶対に負けられない戦い…それが“世代闘争”であるからだ。

そしてこの戦いを経るからこそ、レスラーはタスキを繋ぎ、団体は盛り上がり、繁栄していくからだ。
2人にまだ、リングの上での“親心”は、必要無い。


現役、そして第一線にこだわり続けるスポーツ選手は、美しい。
地を這いつくばってでも、誰に何と言われようともそこにある、“引き際”という言葉を超越した、確固たる意地を感じるからだ。

(〈トラックバック〉●「下からの突き上げ」→06・1・5『我闘姑娘旋風曲』

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2006/01/06

これ以上意味の無いことはない

 20年ぶりの豪雪に見舞われた福井県で、独居高齢者を狙い、見積もりも示さずに雪かきを持ちかける業者が現れた。偶然訪れた近所の人が不審に思い問いただすと立ち去ったが、高齢者の住所一覧を持っていたといい、地元の勝山市はホームページで「不審な雪かき業者にご注意を」という呼びかけを始めた。(06・1・6『毎日新聞』

広がる寒気。
止まらない降雪。

このニュースで初めて、“雪かき業者”という職業があるということを知って、それがまず驚きなのだけれども…姑息な考えを持った人物というのは、大雪の時さえも活動的である…ある意味、生命力に溢れているというか、ゴキブリよりもゴキブリのようである。


しかしそれよりも気になるのは、上記の事件を受けての、勝山市の対応。
“独居高齢者”を狙う犯罪への注意を呼びかけるのに、ホームページを使うとは何事か。

それとも、福井(の高齢者)は、インターネット接続率が非常に高いのだろうか。

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2006/01/05

時期尚早…そして哀しきレスナーへ

○〈第6試合〉永田×村上
ビッグマウス軍団がたくさんののぼりを掲げて登場。
しかしそこに書いてあった文字は…
「前田日明」
「上井文彦」
ビッグマウスもそう長く無いな…。

嶋大輔と共に登場した永田のテーマ曲を聞くと、大みそかを思い出し同時に、苦労人永田のレスラー人生が走馬灯のように頭の中をかけめぐり、涙が出そうになる。
アマレス三銃士、WCW時代、G1初制覇、秋山との戦い、IWGP防衛、大みそか、踏み台発言、そして前田日明…ウルウル…ずっとこのテーマ曲を使い続けて欲しい。
そして安定感ある永田の試合運び…今新日本でNo.1は、彼なのではないだろうか。貴重な存在だ。

対する村上のやられっぷりも、あっぱれ。
あんなにやられ役が似合う人材はいないと思う。
白目剥いて、アンダーテイカーみたいだしね…。

プロレスの試合としても、新日本らしい試合としても、しっかりと成立した、いい試合だった。

○〈第7試合〉金本×大谷
懐かしいテーマ曲で金本が登場。
しかしジュニアとヘビーの差は大きかった。

大谷新日本のリングで試合をするのは何年ぶりなのだろう。
しかしながら大谷に「おかえり!」という気になれなかった。
大谷のレスラーとしての“格”も、まだあの世代間で言うところの小島はおろか、永田や天山にも及んでいない気がするのだ。
橋本真也が亡くなって、ZERO-1を率いるようになってからまだ数ヶ月。
まだ団体自体も軌道に乗っていないような気がするし、まだ少し早過ぎたようなカムバックであった。

○〈第8試合〉タナ×柴田
途中、前田×藤波を思い出したけれども…柴田、最後まで蹴りだけ?
レスリングの幅の狭さを感じてガッカリした。
受けもさほど巧くないし、秋山戦をはじめ、相手に光らせてもらうレスラーなんだと思った。

2人は新三銃士から袂を分けてから、何年だろうか。
いや、何ヵ月?
お互いレスラーとして発展途上。
まだ再会するには早過ぎたように思う。

○〈第9試合〉ニシオ×バーナード
“初モノガイジン”といえば、中西。
そして負ける。

中西は、「さんまのからくりテレビ」効果で、もっとテレビ露出が増えればいいなと思う。
あの世代は実力以上に、知名度が足りない!

○〈セミファイナル〉蝶天×越中大森
全くもって魅力の無いチャレンジャーチーム。
それはお客さん全てが感じていたようで、
「蝶天負けたらシャレにならないよなぁー。」
といった会場の雰囲気。

それだけにフィニッシュ前の越中のスクールボーイ(だったかな)で、蝶野が「あわや」の場面は、相手が越中だけに場内から、
「まっ…まさかぁぁぁ!」
と悲鳴が上がった。
今興行中、最も盛り上がった場面ではないだろうか。

チャレンジャー2人が張り切っていたためか、いい試合だった。
フィニッシュになった蝶野のシャイニングケンカキックは、もっと精度が高まれば、ずいぶん説得力のある決め技になると思うのだけれど…最近イマイチ当たりが悪い。
あっ、G1の時はよかった、よかった。

○〈メイン前〉サイモン社長挨拶→猪木劇場
猪木の登場に、反射的に大歓声を上げてしまう悲しき新日本ファン…。
おなじみ「元気ですかっ!」から、浅草に鎮守されたという“闘魂神社”の宣伝、そして「猪木という名の傘から、飛び立て新日本!」という詩(?)、そして「ダーッ!」という一連の猪木劇場。

○〈メイン〉レスナー×中邑
「見てやろう、アメリカトップの実力を!」
と勇んで見たレスナーは、やはりパワー・スピードに溢れた、素晴らしいレスラーであった。

ただ1つ、足りないのは、人気だけ。
ゴングが鳴るや否や次々と席を立ち、会場を後にするお客さん。
ベルト授与式が終わり、高々とベルトを掲げアピールしても、ほとんどのお客さんが背中を向け帰路に着いている…すごく哀しい光景であった。
「レスナーを見に、プロレス行く!」
なんていう人は、まだプロレスマニアしかいない。

実力は申し分無い。
地方巡業をも廻り、彼が日本のプロレスに骨を埋める覚悟であることを示し、ファンがそれに理解を示した時、IWGPの“絶対王者”として存在し得るレスラーだと思った。

「プロレス部門」レスナーと、「格闘技部門」ジョシュのニ枚看板で行けば、新日本は安泰だと思うのだけれども…どうだろう。


“時期尚早”、この言葉がピッタリのカード編成であった。
金本×大谷も、棚橋×柴田も、レスナー×中邑も、後数年寝かせれば、もっともっといい試合になったであろうものばかり。
レスラーをもっと大切に思っていれば、もっとカードも変わっていたと思う。
お客さんも、もっと熱くなれたに違いない。

十数年続いた、“1・4新日ドーム”も、どうやら今大会で幕を下ろすらしい。
新日本はまだまだ変われる…いや変わらなければいけない要素が、十分にある、そう思った。

(〈トラックバック〉●「ちょい遅観戦記(1・4東京ドーム大会) <from こい>」→06・1・6『越境者』
●「新日本東京ドーム観戦記」→06・1・5『萬屋日記』
●「最後の新日東京ドーム」→06・1・5『ヘルズ・ガーデン』

開始後

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2006/01/04

時期尚早

新日本プロレス東京ドーム大会に行ってきた。
最後に新日本の興行を見に行ったのは…そうそう、横アリ大仁田×長州”以来だからウン年ぶり。
なぜ今になって新日本を見に行く気になったのかというと…お仕事先で招待券をもらったからであった…スマン、サイモン…。

平日、仕事はじめの人もいるからか、開始は6時。
しかしこれでは興行が終わった後に飲んで帰る気になれない(あしたも仕事だし…)。
プロレス興行は、試合後に“己が語る”ことによって、それが終わるもの。
これでは完結しなく、もどかしい気がした。


5時過ぎに会場に入ると、すでに照明は落とされ、激しい音楽が大音量で流されていた。
これでは買ったパンフも読めないし、友人と話もできない。

また、試合中にもかかわらずグッズ売店の人が、

「パンフいらんかね〜。グッズいらんかね〜。」

なんて大声で売り込みをしていて、かなり興醒めであった。

こういうところが新日本は不親切で、できていない。
業界の盟主と呼ばれているのだから、しっかりして欲しいと思った。


会場を見渡すと、やはり寂しい入り。
去年の夏のNOAHドームと比べるのは酷かもしれないけれど、1階席のところどころの席の上に大きく覆い張られた、“ユークス”のロゴシートは、決して広告目的ではないだろう。


開始時刻まで、まだ15分。
トイレに行って、売店に並んでいると…

「♪パーパラパッパッパッパッパ〜。」

突然、“ザ・スコア−”が流れ出し、選手入場!

「も、もう始まっちゃうんですか!?」
と、驚き思わず、なぜか売店のお兄ちゃんにたずねてしまった。

それにしてもこの曲を聞くと、やはり“これぞ新日本”という気がして気持ちが高鳴るものである。
と、いうわけで5分早く試合開始である。

○〈第1試合〉山本×催
張って、蹴って、半失神、場外でセコンド乱闘、と新日本らしさ満開のオープニング。
でも、見飽きた展開だった。
第1試合くらいは、ヤングライオン同士の試合を見たかった。

○〈第2試合〉ライガー邪外×田中金ちゃん非
邪外に臆することなく向かって行った非道に感激。
金ちゃんはすっかりインディーの盟主で、新日本ファンからも暖かく迎えられていた。

外見ではなかなか分かり辛いけれども、あのライガーも、衰えてきているのかなぁ。
フラフラになりながら退場する姿が印象的であった。

○〈第3試合〉稔タイガー×高岩石井
「♪ゴーゴー!タイガー!」が聞けて嬉しかったけれどもそれにしても…稔、カッコいいー!
何か、とにかく、稔がカッコよかった。その一挙手一投足、全てが。

○〈第4試合〉藤波西村飯塚矢野後藤長尾×長州耕平宇和野神風義人関本
もう、誰が誰だかわからん。人数が多過ぎて。
その中でもやはり、長州の存在感が際立っていた。
がんばれドラゴン!

期待していたのは関本…やはりあの体格は、メジャーでも通用する。
眉山を決めた関本、そしてリキラリアットで倒れなかった長尾が、目立った。

○〈第5試合〉吉江曙×マシーンヒロ
気になる曙の入場…歓声少なっ!
どんな顔して出てくるかと思ったら、堂々と入場してきた…。

しかし、彼がハイアングルのチョークスラム出した時は、冷々としていたお客さんが一瞬にして盛り上がったのであった。
やはりあの体格から出されるプロレス技は、規格外だ。
曙に必要なのは、“前に出る姿勢”。
もっとガムシャラに、突っ込んで、突っ張って…そうすればあんなに説得力のあるレスラーは他にいなく、きっとプロレス界で大成するはずだ。
まぁその前に、それに耐えうる体力は必須なのだけれども…。(つづく)

(〈トラックバック〉●「危機感ゼロのラスト・ドーム〜新日本、やっちまったな」→06・1・6『ブラック・アイ2』

開始前(暗い!)

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2006/01/03

風車の理論だ!小川直也

去年の大みそかは、久しぶりにテレビをよく見ていた。
そして生まれて初めて、紅白歌合戦のオープニングを見たのであった。

紅白K−1、そしてPRIDEを、“超ザッピング”。
基本を紅白に置きながらも他局の動向を確認、そしてプロレスラーが出る時だけ素早くチャンネルを変える。
手にはリモコンを持ちっ放しの、大みそかの夜であった。

P…というか、フジテレビの番組の盛り上げ方は相変わらずだ。
アイドルや著名人をリングサイド席に座らせて、試合中に抜き撮る。…本当にもう、節操が無い。

対するKも、“永ちゃん”をリングに…視聴率の飽くなき追求は、視聴者にはもう滑稽に映りはじめている。


と、いうわけで、大みそか格闘技特番(見た試合だけ)の感想

○〈Pの第1試合〉近藤×中村
終止攻めあぐね続けた近藤が、不可解な判定負け。
とにかく残念であった。
“判定”というわかりづらい制度は、“わかりやすさ”で人気になったといわれているPRIDE自身の、首を絞めることになるような気がする。
しかし中村という選手は無名の人かと思ったら、後で調べたところ吉田道場の人だそうで…なるほど納得。

○〈Pの第2試合〉トンプソン×シルバ
ガイジンレスラーは、お金で上がるリングを選ぶのを止めるべきだ。
そう切に、プロレスファンは願っている。

○〈Pの第3試合〉瀧本×菊田
「柔道五輪金メダリストのPRIDE転向」というニュースも、同じような人が多過ぎるのと、“大みそか特番”の影に隠れて全く目立っていない。
「柔道だった人」というイメージしか無く、非常にもったいないと思う。
瀧本選手は確実に、PRIDE参戦の時期を間違えて、その格闘技人生を損している。

○〈Kの第4試合〉永田弟×モリカビュチス
一番見たかった試合だったのに…見逃した!
でも勝ったようで一安心。
将来の新日本プロレスの在り方として、「プロレス部門」「格闘技部門」と二本立てするのがイチバン正しいやり方だと思う。
永田弟がその「格闘技部門」の先駆けになってくれることを願う。

○〈Kの第5試合〉ボンヤスキー×プレデター
プレデターには、シウバと全く同じ言葉を送ろう。
明らかにボンヤスキーの再起への踏み台…グローブを着けたプレデターは、自身のその魅力を10分の1も出していないけれど、「それでいいの!?」と本人に聞いてみたい。

○〈Pの第8試合〉サク×美濃輪
プロレスラーと、プロレスラーが、PRIDEのリングで戦う、違和感と不必要感。

サクの試合になると必要以上にアナウンサーが小池栄子に話をふるから、その
「私、普通のアイドル解説者とは違いますから」
的コメント類が気になってしょうがなかった。
だから試合内容は覚えていない。

○〈Kの第9試合〉曙×オロゴン
今世紀最大の大凡戦。
どちらも疲れて動けない3ラウンドは、セコンドの
「最後なんだから前に出なきゃ!出て!!」
という必死の声がおもしろかった。

プロレスラーに必要なのは、肉体と精神のタフネスさ、そして何よりお客さんを満足させようと思う気持ち。
お客さんを冷めさせてしまった曙には、まだ上記のどちらも備わっていなかった。
Kにおいての曙の価値は、とうに地に落ちているが、これでプロレスではどうなるのか…4日に新日本ドーム参戦が急遽決定したが、その時のプロレスファンの反応で決まるだろう。
ブーイングも含め、何らかの歓声が客席から起これば、まだプロレス界ではやっていけるだろう。
ただもしその時、お客さんの反応が何も無ければ…彼の格闘家人生は終わることだろう。

○〈Pのメイン〉吉田×小川
完全なる小川の勝ちであった。
試合後のリングはまさに小川ワールド。
「負けちゃったけど…ハッスルしてもいいかな?」
まさかそう来るとは…師匠猪木の姿がダブって見えた。
共に“ハッスル”を要求され、ニヤけ顔でやんわり断った吉田の姿は、完全なる敗者だった(格闘技をあまり見ない友人が、「吉田はノリが悪くてつまらんな〜」と言っていたのが印象的であった)。
あの時、吉田が勝つには、無言でリングを後にするか、もう1本小川の足でも腕でも折ってやるか、そうするしかなかった。

最高の大逆転劇を見せてもらった。
小川はやはり、プロレスラーだ。

(〈トラックバック〉●「小川と吉田、曙とボビー」→06・1・4『お父さんに役立つ情報ページ』
●「大晦日を締めたのは誰?男祭り・小川は吉田に完敗」他→06・1・2『ブラック・アイ2』
●「今年もハッスル!」→06・1・2『私のお気に入り』

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2006/01/02

正月に武田鉄矢を語る

正月は家にいることが多いので、昨年末にTSUTAYAで『刑事物語』シリーズを借りて来て、ずっとひきこもって鑑賞している。

舞台の街並みにも、役者にも、全てに時代を感じる。
でも、いい映画だ。
思わぬ大物が出演していたりする発見も、また楽しい。


テレビの向こうの“和製ブルース・リー”は、容赦無く強いのはもちろんのことであるが、暖かくて、そして哀愁に溢れている。
普段はその強さをおくびにも出さず、どこまでもお人よしで、ドジで…。


当時の武田鉄矢に“フラれる男”を演じさせたら、右に出るものはいない。
“フラれる男”もなかなかカッコいいものだと思わせるほどである。

きっとそれは傷ついても、地面をはいつくばってでも、前を向いて進み生きようとする、タフで、器の大きい…本当の意味での“強い男の様”を演じているからなのだ。


片山刑事は、

「悲しみが多いほど、人には優しくできる。」

という鉄矢イズムの体現者で、そしてまた傷ついて、そしてまた優しくなり、強くなるのである。


そして彼は、打たれ弱い自分に喝を入れてくれる。

♪ええかげんなやつじゃけ~。

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2006/01/01

あけましておめでとうございます。

「NHK紅白歌合戦、お別れです!それでは来年も、よいお年をー!!」

「…ゴ~ン…。」

テレビから突然の静けさが流れると、ハッとする。
大みそかは決まって、我が家でじっくりと“ゆく年くる年”を見ながら、じんわりと1年を回想するのだ。


朝7時の鶴岡八幡宮今年の元旦は、こうしてそれぞれじんわりし終わった友人達と、日付が変わってから集まり、お酒とおせちと、「ことばのパズルもじぴったん」で夜を明かし…明け方になって、いざ鎌倉へ。

元旦に鎌倉でご来光と初詣に行くと、“お願い事が叶う”が私の中の定説である。
そんな人を私は3人、知っている…その中の1人は、ささやかなお願いをした私なのだけれど。


元旦はいつも混んでいるイメージの八幡様も、お陽さまが顔を出す時間は空いている。

今年は残念ながらくもり空で、お陽さまには出会えなかったけれど…日本人らしく八幡様高徳院の大仏様を折衷お参りし、さらに今年はお賽銭も大奮発し、クタクタになって帰りの横須賀線で眠りこけるのであった。


今年1年、よい年でありますように…本年も宜しくお願い致します。

大仏様も

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