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2005/11/19

見られない、ヨコハマ。

現代芸術の国際展、「横浜トリエンナーレ2005」へ行った。

場所は山下公園・山下ふ頭。
普段は一般の人間が入れない岬の、先の先のイチバン先の、大きな倉庫が会場だ。

公園端の入り口からその倉庫までは、歩いて行くと約10分弱。
夕暮れの寒空の元肩をすくめて歩いてみたが、真横に広がる風景と、頭上に広がる芸術作品のおかげか飽きることは無かった(会場倉庫までの無料送迎バスも運行している)。


芸術作品は、基本的に“わからないもの”といったイメージがある。
そもそも芸術だとか美術だとかいう言葉自体がカタチの無い、あいまいなものなのだから、決して誰もが全てを理解できるものでは無く、だからこそ芸術家は死ぬまでそれを追求するのだろう。

しかし、だからといって私のように、
「芸術なんてオレには理解できないよ!」とか、
「わからんものつくれば、何でも芸術作品になるんだよ!」
なんて斜に構えて鑑賞するようでは、その良さのこれっぽっちも理解できないことだろう…だって“否定”や“拒絶”から入るんだもん。


そして少なくとも芸術を理解しようとするそれ以前に、芸術に触れようとするにはまず、このような特に現代芸術の会場には、“1人で行くべきでは無い”ということを思った。
展示されていた作品の中には、鑑賞する側が参加体験してはじめてそれを“鑑賞”とするものが多々あったからだ(中には“待ち時間”まである作品さえあった。)。

いい歳したヒゲ顔男子の私が1人で、
「いっぱいのおっぱいクッションの部屋へようこそ!座ったり、抱きしめたりしてね。」
なんてところに、カップル子供を押し退け飛び込み、そのおっぱいに座ったり抱きしめたり…なんてできやしない…。

と、いうわけで、今日私は芸術の何に触れ、何を理解したのだろうか、わからない。


…ブルブル。会場の倉庫は底冷えする。
しかし外に出てみると…そこには普段決して見られない横浜の海と町の風景があった。
左にはみなとみらい大さん橋の向こうに真横から見、後ろには氷川丸の見たことの無い角度の表情を見、右を向けば働く男達の集うレトロな港湾の倉庫街(『シェンムー』を思い出した)、そして目の前には今まさにベイブリッジをくぐろうとする輝くロイヤルウィング…寒さを忘れるような美しい風景を見て、満足して帰って来たのであった。

地元に感激

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