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2005年8月の記事

2005/08/31

132−69

ずいぶん夜が涼しくなった。
夏休みと同時に夏も終わったカンジか…。


先日の健康診断の結果が来た。

結果は…B(ほぼ正常)!
えっAじゃないの!?

「血圧が高めです。」
と言われてしまった。
成人病のはしりというやつだろうか。
まだまだ20代はおろか10代のつもりでいたのだけれども…。

血圧なんて今まで意識したことなんてなかったので、数字を聞いてもそれが高いのか低いのか普通なのか、全くわからない。
とにかく、血圧測定の際の先生の
「あぁ〜ギリギリだね〜。」
の意味がわかってよかった。

どうすればいいのかわからないのでとりあえず、梅雨に入ってからずっとサボったままだった走り込みを再開しようか…。

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2005/08/30

広島に行ったのじゃきー!…そのサン

選挙公示と広島6区で盛り上がるローカルニュースを見ながら起きる。

広島も3日目ともなると、慣れたものだ。
広島港行きの路面電車に乗って、「原爆ドーム前へ…。」なんて会話をしている家族連れに、
「そこのパパ…あなた…間違っていますよ。」
なんて諭したくもなるくらいである。

最終日の今日は、列車の時間ギリギリまで街中をグルグル…。
広島の若者はどこで遊ぶのだろうかと思いを巡らせながら、古着屋さんに行ったり、本屋さんで横浜には無い本を探したり。
そうそう、広島って、下着屋さんが多い気がした。なぜだろう…。


的場町駅から近い的場町は、洋服問屋の集まる、古くて小さな一角。
店の半分はシャッターが下りていて、少し寂し気なところ。
そんな的場町に、若いデザイナー・クリエイターのお店が、数店あった。
自分の好きなことがそのまま色に表れているそのお店達は、まるで無彩色の紙の上にポトリと落とした原色のインクのように、小さいながらもとてもキレイで個性的で、目立っていた。

“bien sur”は洋服、カバン、雑貨のあふれるお店。
地元デザイナーの個性がひしめきあっていた。
ゆっくりお店の中で品定めしていられる落ち着いた雰囲気は、お店だけじゃなくて、ご主人の丁寧な接客のおかげだろう。

“LIME.antinna shop”はオリジナル家具のお店。
東京には絶対無い、かわいくて、でも快適のために工夫されたオリジナリティあふれた家具。
家具屋さんで、家具を見ながら触りながら、それをつくった人の話を聞く…というのは、ありそうで無いことだ。
実際にお店で話をさせてもらって、デザイナーさんのこだわりやその思いがわかると、それは同じものでもずっと価値の高いものになると感じた。


宝石箱的場町のちょうど交差点のところに、まだオープン前で扉の閉まっている小さな雑貨屋さんがあった。
その名も“木村兄弟雑貨店”。

ショーウィンドウにはアナログな電話帳やホチキス、懐かしく暖かい文房具が並んでいて、文房具好きなのでつい見とれていると…中で準備をしていたご主人がお店を開けてくれて、まだオープン1ヵ月前なのにお店の中へ通してくれた。

まだ陳列もされきっていない店内は、他にもオリジナルのアクセサリーやヨーロッパの古いピンズなどで…まるで宝石箱のようだった。
何でも、ご主人は一念発起して独立したばかり。
これから、雑貨屋さんのオーナーとしてデビューするのだそうだ。

今はまだひっそりとしている店内だけれど、これからオープンして、いよいよこの宝石箱が開くぞという…何か希望にあふれた、穏やかさの中の高揚感をそこに感じて、私までドキドキしてしまった。

横浜からの観光客であることを告げると、せっかくだからと値段の決まっていなかった陳列しかけのピンズを売ってくれた。
いわば初めてのお客さんにしてくれたのである。
とても光栄で、嬉しかった。


自分と同じくらいの年代(目測だが)の人がこうしてがんばっているという目の前の現実が、自分もジャンルは違えど同じような職業の立場から見て、とても励みになった。

広島という遠い土地で、こんなことに出会えると思ってもいなかったので感激し、お店を出る時に、
「『ありがとう』って言ったっけ?」
「『がんばって』って言ったっけ?」
と覚えておらず後悔するほどなのである。

ありがとう、がんばれ、的場町。
ありがとう、がんばれ、“木村兄弟雑貨店”!


そしてありがとう広島。

帰りの列車では、お弁当を買うのを忘れ、もみじ饅頭を食べながら帰路についた。
お土産じゃなくなっちゃったよ!


〈本日訪れたところ〉
○ラーメン道八丁
「広島ラーメンって、どんなラーメン?」
…今だにわからない(誰か教えてください)。
佐野実の指導を受けたというラーメン屋さん。
“塩ネギラーメン”(700円)を食べた。
そういえば…かつて会社の近くに同じく「ラーメン道」ラーメン屋があったが…それよりおいしかった。

○bien sur
アミダくじ勝負に負けて、ウチの姉さんにハンドメイドのバッグをプレゼント(羽目に)。
ネクタイの生地や風呂敷の生地でつくられた、リバーシブルの和風バッグだった。
…自分のものにしたいくらいであった。

○LIME.antinna shop
ここと“bien sur”は、建物2階と3階のお隣…いや“お上下さん”なのだ。

○木村兄弟雑貨店
気になるそのお店の由来…。
9月25日オープン予定。

○にしき堂
星の数ほどあるもみじ饅頭のお店…どこがイチバンおいしいのー!?

知らなかったのに、懐かしい

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2005/08/29

広島に行ったのじゃ!…そのニ

この世で最も贅沢な料理は、カツカレーだ。
カレーとトンカツ、全く異なるこの2つを、いっしょにしてしまうのだから。
子供から大人まで大人気のカレーと、日本洋食の代表であるカツレツを、同時に味わえる贅沢!!
カツカレーを口に入れたその瞬間、その人は王に、食の王になるのだ!!

…そんな気分を広島でも味わった。
そう、日本の極上なる美しい景観の称号“日本三景”と、ワールドワイドに認められた世界最高の歴史価値“世界遺産”を兼ね備えた、“宮島・厳島神社”に行ったのである。


カンチョーJR山陽本線で行けばあっという間だろうに、それでもきのうから広電に夢中の私は、わざわざ路面電車(広島市外からは線路に入る)にゴトゴト〜揺られて宮島口へ向かったのであった。
ちなみに路面電車1日乗車券+宮島までの往復フェリー(松大船)パスは大人840円。
宮島口まで2通りの行き方があれば、宮島までのフェリーもJR経営と広島電鉄経営の2つがあるのだ。


宮島に降り立つと、たくさんの鹿がお出迎え。
だから当然足元には、フン。
足元を気にしたら1歩も進めないので、我は人なりとガンガン踏み締めて歩く。

宮島は思っていたよりもずっとずっと大きかった。
私は島というと、「江ノ島…」しか知らなかったので、はじめは「半島か!?」と思ってしまうほどであった。
島は観光地でもあるけれども、郵便局もあれば薬屋さんも交番もある、立派な1つの町なのである。

お昼過ぎは干潮時で、かの有名な厳島神社の大鳥居まで歩いて行け、そのたもとでヤドカリやカニとたわむれることもできる。
しかし島を廻って夕方(満潮時)に再びそこに訪れると…そこはすっかり海の中に!
当たり前のこととはいえ感動した。


ドキドキ☆ペンギン体験宮島には神社だけでなく水族館なんかもある。
宮島水族館(入館料1050円)は小さいながらも「アシカショー」や「ピラニア餌あげショー」など、色々なイベントでがんばっていて、好印象であった。
中でも「ペンギンのおさんぽ」では館内をペンギンが散歩し、ペンギンに触れることだってできて、近過ぎるペンギンの姿にドキドキしてしまうのである。


あまりに広い宮島は、私はあまりに快晴だったので断念したが、レンタサイクルを借りてフラフラするのが楽しいだろう。
地元の人に聞いたのだけれど、秋は紅葉で島自体がそれはそれは美しくなるそうだ。だってカツカレーだもの。


ヒロシマミッドナイトじゃけ日が暮れた頃に市街地まで戻ってきて、フラリと入った居酒屋が、パルコ近くの“永遠家825”というお店だった。
ありがちな個室の和食ダイニングという感じであったが、何よりお店の人が元気に一生懸命で、料理の質問にもサクサク答えてくれるし、コップが空いたらすぐ次を持って来てくれるしで、とてもいいお店だった。

広島の大学生〜20代くらいの子は、男の子も女の子もいい意味で健康的な、笑顔がステキー!な子が多いなと思いながら、広島地酒をついつい飲み過ぎてしまうのであった。ヒック。


〈本日、訪れたところ〉
○厳島神社(宮島町)
先の台風の影響か一部工事中であった。
拝観料300円。

○食事処まめたぬき(宮島町)
旅館「錦水館」内のお店。
麦トロに名物“かき醤油”をかけたらおいしかった。

○清盛神社(宮島町)
「天下の清盛の神社がこんなんでいいの!?」というくらいの大きさの神社であるが、厳島神社の西側からせり出した部分・大鳥居の真横に位置し、まるで島を見張っているかのようである。

○塔之岡茶屋(宮島町)
宮島にそびえ建つ五重塔のたもとのお茶屋さん。
シロップたっぷりのかき氷を食べて、昼寝をしたくなった。

○宮島水族館(宮島町)
他にも“うつぼ”“あなご”“うみへび”が見所。

○永遠家825
お刺身の“つま”が、大根ではなくズイキで初体験。
おいしい日本酒を飲ませてもらった。

〈トラックバック●「広島行ってきたよ。」05・8・28『ちきちき日記 』
●「宮島観光」05・8・20『clover☆今日の本音茶屋☆』
●「2日目・広島市内観光&厳島神社」05・8・13『風になる 』

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2005/08/28

広島に行ったのだ!…そのイチ

月曜日火曜日と夏休みがもらえそうだったので、思いついたように広島に行ってみた。
新幹線の運賃だけでも、新横浜から往復で4万円弱かかるのに、出発4日前に飛び込んだ旅行代理店のフリープランで申し込むと、2泊のホテル宿泊料込みで5万円代…この安さはどこから発生しているのだろうか…。


ともかく新幹線ヒューン!
4時間弱で広島に。朝ご飯を食べながら雑誌を読んでいればあっという間。
逆に近過ぎて、少し足りない旅行気分を心配してしまうほどである。

広島の空気を吸いながら新幹線のホームを降りて、駅の北口から外に出ると…

「げっ、何も無い…!」

…どうやら広島の繁華街は駅南側だったようだ。あービックリした。


ヒロデン広島の駅前(南口)からは、とても大きな通り(駅前通り)がまっすぐ伸び、そこに交差するように川(猿猴川)が流れている。
広島は、川の町だった。

そして八丁堀や紙屋町などいわゆる繁華街、そして平和記念公園市民球場など観光地は共にまとまって、広島駅からほんの少しだけ離れた場所にある。
だから路面電車が人々の足として今も活躍しているのだろう。
路面電車は新旧様々な車両が次々に駅に到着し、ほとんど待つことが無くて便利で、市内150円の一律料金で気軽に乗れてしまう。
気がつくと、電車好きでもないのに路面電車ばかりを写真に撮っていた。
レトロな車両が私のえせ写真家本能をずっとくすぐっていた。


世界遺産今日は平和を祈る日であった。
〈本日、訪れたところ〉
○原爆ドーム
広島の人は世界遺産と共に暮らしている、という事実。
町の中…高いビルのむこうから急に現れる原爆ドームに穏やかな今を感じ、常に戦争と平和の象徴と共にある広島の環境の良さを実感した。

○平和記念公園・広島平和記念資料館
川の中州にあり対岸に原爆ドームを臨む美しい公園。
いるだけで、なんとなく心が浄化される気がするのだ。
資料館(入館料50円)にはたくさんの人が。
地下の特別展を含めれば半日はここに時間を費やすことになる。

○広島市民球場
「これがあの“小さい”で有名な市民球場…グルグル周りを廻ってみよう…」
「グル」
「…小さい!」
球場周りの植物にはたくさんの使い古したジェット風船がひっかかっていた…こないだまでのタイガースファンだな…!

○福屋
横浜でいえば松坂屋、仙台でいえば藤崎、広島でいえば…福屋!の老舗百貨店。

○お好み焼き「みっちゃん総本店」(八丁堀店)
広島出身の上司に教わって(大阪のそれなんかよりもずっと「ぶちうまいけぇ!」らしい)訪れた。
そばが入っている広島お好みは初めて食べたのだが…うまいじゃない!
「ねぎかけ」がたまらんス。


駅でトイレに入ろうとすると、
「ピンポーン。右が、男性。左が女性です。ピンポーン。」
と、どこからか音声ガイドが。

町を歩いていると、
「ピンポーン。ここが、地下街入口です。ピンポーン。」
と、ここでも音声ガイドが。

広島は優しい町だった。
福屋のエレベーター内には「シルバーシート」があったし、やはりお年寄りが多いのだろうか。

また広島の繁華街は、他のどこの都市よりも東京に似ている感じがした。
メイン通りに面している食べ物屋さんや洋服屋さんなどのお店は私の地元でもよく見るお店が多く、街や人の雰囲気がおだやかで、その色の薄い、アクの無いところが、ヨソ者の私にはとても優しく感じられたのだ。
「これが広島じゃい!」という街ではなくて、おだやかに、訪れる人を受け入れてくれるような感じであって、何か、広島には、すんなり足を踏み入れることができた。
住みやすそうないい街だ。


と、いうわけですっかり気をよくし、夜は遅くまで街をぐるぐる歩き回っていた…ってか半分道に迷っていた。夜目だ〜。

〈トラックバック●「広島じゃけん」05・8・31『MEET MEAT』
●「市内観光」05・8・17『clover☆今日の本音茶屋☆』
●「広島の観光情報☆」05・1・18『広島RAC ホームページ管理人の日記』

イカたまうどんねぎかけ〜

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2005/08/27

次期カントクぅー!

 巨人渡辺恒雄球団会長(79)は26日、来季の監督最有力候補としてリストアップしている阪神星野仙一オーナー付シニア・ディレクター(SD=58)について、長期戦を覚悟していることを明かした。(05・8・27『ニッカンスポーツ』

星野さん阪神優勝後、”体調不良”を理由に泣く泣くタイガースの監督の座を降りたのではなかったのだろうか。
「監督業は身体に悪い。」と本人が言っていたのも記憶にある。

だったならば、巨人側が現タイガースSDに次期監督の要請をするのはあまりに道を外れていて、なおかつ配慮の欠けたひどい話である。
星野さん星野さんで本当に巨人に行ったりなどしたら、タイガースにもタイガースファンにもしめしがつかないだろう。


シーズン中盤から始まった次期監督騒ぎは、ジャイアンツの内状を物語っている。
監督も選手も、グラウンド外からの騒音に巻き込まれて、心中穏やかではないだろう。

小久保やローズを見ていると、「前のチームにいればよかったのに…。」と哀れみさえ感じてしまう。
仁志や清水を見ていると、「他のチームでもっとのびのび野球をやらせてあげたい…。」と哀れみさえ感じてしまう。
矢野をはじめ若手選手を見ていると「他のチームにいれば、もっとチャンスに出会えるのに…。」と哀れみさえ感じてしまう。
清原は、存在自体が。

とにかく大きなお世話だけれども、ジャイアンツというチーム自体が、かわいそうでしょうがないのだ。

自らのチームの選手に、集中して野球に取り組めない環境を与える巨人のフロントは、もはや悪害でしかない。
素知らぬ顔で、渡辺恒雄を会長という席で呼び戻した時点で、おかしいとしか考えられない。

「これはもう、腐った球団自体を解体するしかないのだろうか…。」
と考えていると、
「もしかしたら星野さんなら…!」
といつの間にか思っていて、イカンイカン!!と思い直した。

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2005/08/25

新感覚遊具

先日、両国近辺をフラフラとお散歩した時。
亀沢は「緑町公園」というところに、こんなジャングルジムが(↓画像少々見辛いですが)!

“ジャングルジム”というと、四角くて鉄でできているものしか知らなかったけれど、これは三角形!しかも“縄”でできている!!

もちろん太くて固めの縄なのだけれども十分しなるため、フワフワ感と不安定感が新感覚で、とても楽しかった…っていい年して遊んでるのかYo!
真っ昼間の、猛暑で誰もいない公園は爽快だった…。


この“縄ジャングルジム”、東京の公園には多いのだろうか。
少なくとも横浜では見ないので、誰か我が地元にこの新感覚遊具をぜひ誘致してもらいたい。

くせになりそうだった

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2005/08/24

待ってくれ〜わたしのカリカリ…。

渋谷桜丘のてっぺんは、風が強い。
おそらくインフォスタワーを中心とする周りの建物による“ビル風”だと思うのだけれども、ただでさえ風の強い日のそこは、強風の吹きすさぶ油断のできない場所になる。


そんな最中、今日の昼下がり、

am/pmで買った私のお昼ご飯、「カリカリじゃこ大根サラダ284円(税込)」が…

桜丘を舞った!


突然吹いた強い風に「あっ!」と思って後ろを振り向くと、50メートルは先を、まるで西部劇のならず者のごとく引きずられて行くカリカリじゃこ大根サラダ284円(税込)が…。

そこから追いかけっこ。
結構恥ずかしい思いをした。

か、か、かりかり…

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2005/08/23

続く暴力の論争

 全国高校野球選手権大会で57年ぶりの連覇を果たした駒大苫小牧(南北海道)に衝撃が走った。野球部長(27)が、6月と8月の2回、部員を殴るなどの暴力をふるっていたことが22日、明らかになった。この日午後10時から、同校で篠原勝昌校長(63)らが緊急会見を行い、暴力行為を認め、野球部長の謹慎処分を発表。同校長は優勝旗返還も含めた処分も受け入れることを示唆した。また大会前の不祥事で出場を辞退した明徳義塾(高知)は来春センバツへの出場が事実上不可能になっており、駒大苫小牧も夏春連覇への道が閉ざされる可能性が出てきた。
 (中略)同部長による暴力行為は2度あった。同校などによると、最初は6月2日の練習後、3年生部員1人を練習態度などを理由に平手で顔を3、4発殴った。部員はあごが外れ、かみ合わせが悪くなったという。2度目は甲子園入り後の8月7日。宿舎で食事ノルマの茶わん3杯を守らなかったとして、スリッパで頭を1度たたいた。香田誉士史監督(34)は暴力の際、その場所にはいなかったという。同部長は原正教頭らの事情聴取に対し「体罰的暴力をふるった。申し訳ない」と認めたという。この部員は甲子園ではベンチ外の選手だった。
 この2件に対し、甲子園開幕3日目の8月8日、暴力をふるわれた部員の母親から直接、学校に連絡が入り、篠原校長ら学校幹部も暴力を把握した。(後略)(05・8・23『ニッカンスポーツ』

日本で一番実力のある高校野球部だから、監督やコーチによる厳しい教育・統制は充分に予想できる。
プロではない普通の高校生から、勉強や遊びや、たくさんの“したいこと”“しなければいけないこと”を排除し、いい意味で“野球漬け”にし、統制のとれたチームをつくるには、やはり選手個々の自己管理などには任せておけず、厳しい指導が必要になるのは当たり前である。


「暴力か、体罰か、指導か。」
よく論議されることだ。

駒大苫小牧のこの状況までになると、その判断を下すことのできるのは他でもない、暴力(体罰?指導?)を受けた選手本人だけだろう。
決してその親ではなく、友人でもなく、高野連でもなく、この選手が自らの考えで、この事件に決着を着けるべきである。

それが自らが所属する部と仲間の栄光を捨てさせてまで追求するほどの、酷い暴力であるならば、徹底的に糾弾すべきだし、思い返せば自らにも否があったり、そこに愛情を感じたり、指導の範囲内であったと思い直すようなことがあったならば、水に流して胸を張って優勝旗を受け取ればいい。
外野ではなく、当の選手の冷静な判断が求められる。


1人の母親の電話が、なぜここまで大事になるのか。
学校内や当人同士で処理できることではないのか。
とにかく、最後に栄光を汚されてしまった選手達には罪は無いのでかわいそうだ。

(〈トラックバック〉●「駒大苫小牧高の件」05・8・23『なにをするひとぞ』
●「駒苫暴力発覚、優勝旗返還も覚悟…」05・8・23『ニュースつまみ食い』
●「高校野球のモラルとは?」05・8・23『Rin's Cafe』

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2005/08/22

破壊王追悼、その後。

27日土曜日深夜放送のテレビ朝日『リングの魂・橋本真也追悼スペシャル』は、非常によい番組だった。
決してしんみりとはせず、故人をファンが思い入れを込めて熱く語り合う…プロレスファンのよき姿がそこにあった。
華やかさを度外視し、本当にプロレスを好きな、橋本を好きなタレントを集めた結果だろう。
この番組はかつての“リン魂”スタッフの熱意だったのだろうか。


テレビ番組で、プロレスラーと、プロレスを全く知らないタレントが絡むと、すごく危険である。
ファンタジーの世界に惑わされて、トンチンカンなことを言うタレントが出てくる可能性が高いからだ。

レスラーに手加減して技をかけられたアイドルが、
「あんま痛くなぁ〜い。」
など…(ならば、殺されろ)。

かつての忌わしき格闘技バラエティ番組『ギブアップまで待てない!』での、
「そんなに流血して、すぐ血は止まるんですかぁ〜?」(山田邦子
「止まるわけないだろ!(怒)」(馳浩
などもその典型だ。

だからテレビを付けて、そんな出演者の組み合わせがあると、プロレスファンはとてもハラハラしてしまう。
そんなハラハラは、どうやらレスラー当人も同じ思いだったようで、普段テレビでは寡黙な蝶野が、先日の“リン魂”ではずいぶん饒舌に橋本のことを、楽しそうに懐かしそうに話していたのが印象的であった。
これもこの出演者達のおかげだろう。

テレビ番組はやはりプロレスと似ていて、出演者の組み合わせやその間の少しの違いによって、おもしろくなったりそうでなくなったりする。
今回のリン魂は、かつての橋本のIWGP戦くらい素晴らしく、噛み合った番組であった。


追悼橋本逝去から各雑誌が“追悼特集号”を出していて、私も主なものは買っていたのだけれども、白夜書房の『漫画パチスロパニック7・9月号増刊・橋本真也追悼特別号』がなかなかよいデキで、驚いた。
橋本が巻いた各タイトルマッチ、そして武藤蝶野・長州・天龍など橋本の各ライバルとの全記録など、データベースとしては納得の内容であった。
追悼インタビューは永島勝司。座談会と言う形で竹内×ターザン×吉田のゴング方面仲良し隊も。
しかし何より私がこの本に惹かれたのは、裏表紙の穏やかに微笑む三銃士の写真であった(昨年の“三銃士サミット”での一枚)。

ベースボールマガジン社『週刊プロレス別冊秋冬号・橋本真也緊急追悼特集』は、橋本のレスラー人生を3期に分けてプレイバック。
どこも記者の思い入れの強い、熱い文章が書かれていて好印象であった。
特筆すべきは前夫人のインタビューが掲載されていたこと。しかし…何か読んでいて生々しいというか…辛かった。
他のインタビューは、坂口・藤波の新日本社長コンビ。

日本スポーツ出版社『週刊ゴング8月2日増刊・さようなら破壊王橋本真也追悼号』は、文字の量が多く、読ませるスタイル。
ゴング金沢・ターザン山本他ゴングファミリーももちろん寄稿している。
しかし何よりも問題なのは…裏表紙に広告が載ってしまっているところ。
いくら新日本の携帯サイトの広告でも、前者2誌に比べると、かなりゲンナリしてしまう。
おまけに表紙裏・裏表紙裏にも広告が…橋本の横にいる魔裟斗の姿にさらにゲンナリ(ちなみに『週プロ別冊』では、武藤・蝶野経営のブランド広告が、追悼文入りで、よく考えられて掲載されていた)。
ある意味ゴングらしい増刊号であった…。

(〈トラックバック〉●「爆勝宣言!!」05・8・21『26』
●「爆勝宣言よ永遠に。 」05・8・21『Tomorrow is another day 』
●「破壊王のこと。」05・7・12『その日その日。』

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2005/08/21

「プチュ。」

フラリと秋葉原へ行ってみた。
久しぶりの秋葉原はすっかり様変わりしていて驚いた。

「あぁっ!“オノデン”がキレイになってるよー。」くらいならまだしも、元々そんなに空が広い街ではなかったのが遠く近くに更にガンガン巨大ビルが建って、ますます空が狭くなりそうだ。

有象無象の店舗や商店、そして人々が集まって集まって、街を形成している…という秋葉原には、これ以上の新しい巨大なビルや巨大企業店舗の存在は、秋葉原という街特有の美感を損ねるカンジがしてならない。


話は変わるが、大手デジタル商品小売企業「ソフマップ」に突然登場した“祖父地図”なるキャラクターが、個人的にとっても気になる。
妙に生々しいクチビルに、つぶらな瞳。
そしてどの広告にもしっかりと書かれている、「プチュ」という文字…あの「プチュ」は、祖父地図くんの発する音声なのだろうか、それとも何か企業からのメッセージなのだろうか…うーん、気になる…。

空が狭い

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2005/08/20

オレはまだまだ青二才。

後々になって、「あの時、ああ喋っておけばよかった…。」と後悔することが多々ある。

例えば、新人の営業さんが、外廻りから社に戻ってきて、ふと一日を振り返って、こう思う。
例えば、二世帯住宅に住むお嫁さんが、旦那に姑との一日のいざこざをグチりながら、こう思う。

私などはよく、素敵な女性が話をしてくれた時に、どうしても緊張し舞い上がってしまい、その日の夜に
「あぁ…もっと気の利いたこと言えたのに…。」
と毎度のように後悔ばかりしている。

また他人からカチンとくることを言われた時などに、感情に任せて反論してしまい、
「もっと大人の対処の仕方があったのに…。」
とその瞬間のカッコ悪い自分にムカムカしたりする。

だから私は、用意したものでは無く、その瞬間やその空気を読み取って矢継ぎ早に言葉を出すことができる人を、「頭のいい人だなぁ。」と心から尊敬する。


今日、東横線大倉山駅の階段を昇ると、前を歩いていた40代半ばくらいだろうか…細身の中年女性のポケットから、“パスネット”がポロリと落ちた。
当の彼女はそれに気付かないようで、そのままどんどん先を歩いて行く…なので私はそれを拾って走って彼女を追いかけ、

「…すいません。落とし物ですよ。」
と、まるで船上パーティ会場の紳士顔負けの雰囲気で声をかけた。

すると、振り向いた彼女はめんどくさそうに一言、
「あぁ…ソレ、いらないんですよ。」
…よくよくその落とし物を見ると、度数の無い、使い切ったパスネットであった。

一方的ながら「ありがとう。」的な言葉が返ってくるものだとすっかり思い込んでいた私は、思いもよらぬその言葉に、
「…あぁ…そうですか…。」
とその場に立ちすくみ、ヒラヒラと手に持っていた使用済みのパスネットを捨てるしかなかったのであった…紳士撃沈!


私は到着した渋谷行きの東横線に揺られながら、いくら他人のものだったとはいえゴミをポイ捨てしてしまった自分と、
「じゃあキチンとゴミ箱に捨ててください。」
とうまく切り返せなかった自分に、とても青いものを感じ、渋谷駅までずっと後悔し続けるのであった。

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2005/08/19

バドミントをもっとメジャーに、メジャーに!

来週発売の『週刊少年ジャンプ』9月5日号に、「スマッシングショーネン!」(大竹利明)というバドミントンをテーマにした読み切りギャグマンガが掲載されていた。

バドミントンモチーフのマンガなど、『バドミントンマガジン』の「がんばれ!南郷くん!!」他バドミントン村のごくごくわずかな人間が見るものしか知らなかっただけに、このことはバドミントン界“少年ジャンプでの奇跡”と呼ぶことさえできるだろう。

ただ、その内容は疑問符のつくものであったが…。

…まぁ、メジャー化への第一歩、第一歩。

こんなハズじゃないのだけれど…

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2005/08/18

最近の『sakusaku』へ寄せて。

デビュー間もないパフィーがMCをつとめ開始されたTVK(テレビ神奈川)朝の情報バラエティー『sakusaku morning call』は、幾度のMCの変遷を経て、増田ジゴロウ(繊維体)&あかぎあいの『sakusaku』に辿り着いた。

その後、あかぎあいからバトンタッチをした木村カエラが、歌手デビューなどにより急に日本中を巻き込むほどの大ブレイク。
一躍日本のトップアイドルに昇り詰め、番組などはゲーム系サブカルチャー誌『CONTINUE』の片隅ならともかく巻頭に特集されるほどになり、その結果、

「名前知らないけどめちゃくちゃかわいい女の子と、人形が、朝からダラダラしゃべってる…何だアレ?…でもおもしろいかも!」

という、たっぷり溢れるローカル感の中にキラリと光るものがあるという、『sakusaku』の基本コンセプトから大きく外れてしまい、その番組の魅力は急速に薄れてしまった。


と、いうわけでここ半年くらいテレビのチャンネルを「42」に合せておらず、先日久々にチラリと番組を見たところ、MCであった増田ジゴロウ(繊維体)が姿を消し、“白井ヴィンセント”(繊維体)なるかわいげもデザイン性も全く感じさせないキャラクターが登場していた。

なんでも増田ジゴロウ氏は“(キャラクター)商標問題”“(キャラクター)権利問題”等の“大人の事情”により引退を余儀なくされたそうで…イチ企業・イチテレビ番組としての管理の甘さに、「『sakusaku』にやっぱり“ローカル感”が残っていた!」と不幸ながら嬉しく思っていたところだった。


こうしたローカル感を残しつつも、番組の名は今や神奈川県内にとどまらず全国に放送され、全国区。
更にはDVD(ドゥ・ビデオ・ドゥ)化されているほどである。
増田ジゴロウグッズは中高生を中心にバカ売れ。
キーホルダー、携帯ストラップ…今や横浜を歩いていてジゴロウの姿を見ないことは無いほどである。

これだけ番組が大きくなったのも全て木村カエラのおかげ…と、言うかというと、そういうわけでもないだろう。
ジゴロウ降板の時は、多くの視聴者がそれを悲しんだと聞く。…たかが人形なのに!
全てはたかが人形にそれだけの感情移入をさせた、番組スタッフの手腕。
テレビでありながら自然体の番組制作で、作り手と視聴者の距離が限り無く近い、そんなよい番組の成功例である。


そんな中、番組にも出演していた増田ジゴロウのよきパートナーであったペパーこと、ご意見番こと、スタッフの金田真人さんが、クモ膜下出血のため若くして急死したことが番組と番組ホームページ内で突如発表された。
ジゴロウ降板であれだけ悲しんだファンは、もっと悲しむことだろう…アイドルや俳優さんでもなし、只のスタッフなのに、実際に見たことも会ったこともないのに…これも番組の魅力を表している。
かくいう私も、ちょっとシンドいのである。

(〈トラックバック〉●「訃報を聞いて」05・8・17『今日もヴィンヴィン!』
●「ご意見番さんの急逝について◆extra版◆」05・8・13『「sakusakuを見て、想うこと。」』
●「ゴイゴイさんは俺らの心の中で生き続けます 」05・8・13『mitsuzawa.net』
●「ゴイゴイ、ありがとう…そして、さようなら」05・8・13『節約界の自称アイドル!?あやこのブログ 』
●「sakusaku ご意見番逝去・・・・・・・・ 」05・8・13『卒論&就活&日々思うこと』

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2005/08/17

G1が終わった。夏が終わった。

遅ればせながら、新日本プロレス“G1クライマックス”終了!蝶野オメデトウ〜!
地上派でも放送していたけれど、とっても夜中…まぁ、テレビ朝日のプロレスに対するスタンスなんてそんなものか。

それにしても蝶野、決勝戦の入場時に爆勝宣言のイントロ(正確にいえば違うが)を流すとは…色々みんなかかわりがあったとしても、実際に橋本を背負っていいのは蝶野と武藤だけだと思うので、あれは正解だと思う。
やはり新日本には蝶野に肩を並べることのできる格のレスラーはいないことを実感して、同時に寂しくもなった。
会場もずいぶん盛り上がっていて、決勝戦だけを見た限りでは、まだG1ブランドも捨てたものじゃないなと思った。


しかし決勝戦、試合内容的にはあっけなかったなぁ。
3年くらい前の高山との決勝戦は、すばらしい内容(あの時の蝶野はめちゃくちゃカッコよかった…ぽっ)だっただけに、今回はハッピーエンドではあったが多少わだかまりの残るエンディングであった。


やっぱり藤田は、プロレスがヘタだ。
なんだろう、あの独特の“間”は…プロレスとも違うし、総合とも違うし、かといって決して心地よくないあの“間”…川田戦は特にヒドかった。
受けっぷりはなかなかなのだけれど、攻めといったらヒザのみ。
しかも相手を壊しかねない勢いで…危なっかしくて見ていられなかった。

プロレスにおける“技”は、そのレスラーの闘いの人生の中において生み出され、そのレスラーとファンの思い入れと共に成長・発展する。
藤田には、まだ何も”技”が無い。
だって新人時代通り越して総合に行ってしまったのだから。レスラーとしての闘いの歴史が皆無なのだ。
藤田が本当にプロレスのリングで、プロレスをやりたいというならば、それこそイチから…第1試合からやり直すつもりでシリーズに参加しなければいけないと思う。


今後の新日本は、はたしてG1覇者を中心にきちんと機能するのだろうか。
蝶野にはぜひがんばってもらいたい。

個人的には、三冠に欲出して欲しいな。…あ、新日本内じゃなかった。
何にせよ蝶野には、自らの正統プロレスリングを後世に伝える役目があると思う。

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2005/08/15

戦後60年。

 60回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が、天皇、皇后両陛下をお迎えして、東京・北の丸公園の日本武道館で開かれた。
 戦没者の遺族や各界代表ら約6300人が参列、先の大戦で命を落とした約310万人の冥福(めいふく)を祈り、平和への誓いを新たにした。
 小泉首相は式辞で、戦後60年にあたり、「改めて過去の戦争への反省」の意を示し、「二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく」と述べた。
 5回目の参列となる小泉首相は、これまでと同様、「我が国は、多くの国々、とりわけアジアの諸国民に対しても多大の損害と苦痛を与えました」と述べたうえで、「内外の戦没者及び犠牲者のご冥福を心よりお祈り申し上げます」とした。
 厚生労働省によると、今年は、昨年より約200人多い5118人の遺族が参列したが、戦没者の父母世代の参列が初めてゼロとなった。一方で、子の世代が初めて参列者の6割を超え、戦後60年を経て進む世代交代が鮮明となった。(05・8・15『読売新聞』

戦後60年を迎えた日本の課題は、“戦争教育の再確認”に尽きると思う。
侵略国であり、敗戦国であり、被爆国であるという、希有で、今後の世界平和へのリーダシップを取るべき貴重な経験と立場(他の国じゃ、何言っても説得力ないもの)を持つ国である日本が、近い将来そのリーダーシップを発揮するためには、未来の世代への“純粋なる戦争教育”が重要である。

幸い、日本での戦争の記憶は年々風化しているといわれている。
だからこそ、そんな今だからこそ、不毛な善悪論(私は戦争は皆悪である、と思う)や、どこからかまぎれ込んでくる個人の画一的な思想や、悪害しか及ぼさない強いナショナリズムなどにとらわれない、もっと広く客観的で冷静な戦争教育が必要であり、可能であると思われる。


そこで何より重要なのは私達、“教える世代”の存在である。

教科書問題にしてもそうだ。
「偏見や偏りのある文章が載っている教科書がある!」?
…教科書だって個人が編纂している書籍である。
しかもその発信は、著者からの一方的なもの。その場合、どうしてもそこに個人の考えが入り込んでしまうのは、絶対なのだ。だって人間には、脳みそ1つしかないのだから。

私たちがその時すべきことは、その教科書を指して、
「君ならどう思う?」
と子に問いかけることなのである。

「教科書の文章は、新聞の文章は、テレビの情報は、みんなあくまでも誰かの一方的な考えである。」
それを教え、自分で考えるように子を導くのが、指導者としての私達親の役目だと思うのだ。

教科書問題とうたわれている状況は、指導力不足の大人が、その責任を本になすりつけているようで、見ていて虫酸が走る。


個人的にはとりあえず子供を連れて、広島や長崎にペイッと置いてみれば簡単だと思うのだけれど…。

(〈トラックバック〉●「考える力。痛みを感じる心。」05・8・16『はやたま』

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2005/08/14

「強い」は「強い」、『プロ野球スピリッツ2』の日々。

すっかりサボってしまっていた、プレイステーション2ゲームソフト『プロ野球スピリッツ2』
真剣ペナントモード内の“オレ阪神”は、現在7月18日である。

交流戦終了後、あまりにCOMの歯ごたえがないので難易度を「普通」から「強い」にしてみて、16試合…
…5勝10敗1分
…「強い」、強過ぎ!


私はいくらゲームの中といえどもタイガースが負けている姿を見るのが許せない。
大差がついたまま終盤へ…いわゆる“負け試合”になっていたりすると、
「あ〜もう、早く終われ終われ。」
とポイポイ打って、ポイポイ投げて、一刻も早く試合を終わらせてしまう。

ここ数十試合、ずっとこのポイポイが続いていて、ストレスが溜まる一方であった。ゲームの中なのに!


あまりにシンドいゲームライフに、そこでCOMレベルは「強い」のまま、球速を「ベーシックスピード」に落としてみると…なんとかちょうどいい難易度になったような気がした。少なくとも毎回“ポイポイ”することは無くなった。

甲子園での対広島9回戦では、延長11回裏に金本アニキのサヨナラ満塁ホームラン!
初めての満塁ホームラン&初めてのサヨナラホームランに、一人で小踊りしてしまった。うれし〜ぃ。

ホームランを打った時って、
「打とう打とう…。」
と思って打てたわけではなくて、
「思わず打球に反応して振ってしまった。」
という場合が多いかな…って、本物みた〜い。

リアルタイガース(8月14日現在)…60勝43敗4分・1027安打94本塁打
●オレタイガース(7月18日現在)…55勝27敗3分・1125安打58本塁打


そうそう。今日のリアルプロ野球、阪神×巨人戦、その初回。
桑田の一投が矢野の頭に…!

騒然となるスタンド・ベンチ…矢野、立ってくれ(祈)!

すると矢野はスクリと立ち上がり、何をとがめることなく一塁へ歩き出す…カッコいいね〜!
まさにプロ野球選手の鏡!!


デッドボールに激高して投手に暴力を振るう他球団の4番打者や、ボールを避けることを知らずに一方的に投手を威嚇する球界を代表する(と言われる)他球団のスラッガーに比べたら、言わずもがな。
やはりプロ野球選手はスポーツマンであって欲しいものだ。
矢野は「子供に見せたいスポーツ選手」、後述2人は「子供に見せたくないスポーツ選手」といったところか。

そうだ。『number』、買わなきゃ。

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2005/08/13

ド、ドドーン

友人と、“東京湾大花火祭”へ行ってきた。

その名の通り、東京湾で行われる花火のため場所は勝どき・豊洲から、はたまたお台場方面まで、湾岸であればどこからであっても見ることができる大規模な花火大会である。
しかし、それでも、どこもすごい人。
鉄道もJR・地下鉄各線から、ゆりかもめなどは駅への入場規制がなされているほどの人出であった。
「待ち時間25分でーす。」って何のアトラクションだっつーの。

どうやらこの花火大会では、事前に中央区から見物会場の入場チケットが配布されているようで、着の身着のまま出かけてみた私達などは、
「会場満員で入場できませーん!」
の声とともに汐留あたりからどんどん湾岸沿いに南下させられ、結局ゆりかもめ日の出駅のたもとになんとか落ち着いた。

夕方5時くらいでこれだから、もっと遅く出かけていた人は南下南下で…品川とかまで行っちゃっていたりして。
更には「気付いたら川崎だった。」とか…そりゃ無いか。


トイレも無いので水分完全シャットアウト!で開始時刻を待っていると…水分が空から降ってきました…。
多くの浴衣の女の子が悲惨なことになっていた。
帰りも大雨に降られたし、今日はついていないな…それとも「花火の時だけ晴れてくれてラッキー。」と思うべきか。


花火自体は、他の花火大会での花火(というほど見ているわけではないが)に比べて見たことの無い、珍しい花火もあり、非常によいものだった。
大玉が上がると、ちょうど開いた花がゆりかもめの線路に隠れてしまう…そんな時の周りの悲鳴にも近いため息がおもしろかった。

ただ、警備員・スタッフがそこにいるだけで全く機能しておらず、“花火大会”としてはイマイチであった。
そこは見物客の無法地帯と化し…通路と指定されているところや私有地に、ドンドン入り込んでくる人。
迷子になったであろう我が子の名を叫び続ける母親。
暑さにやられたのかアルコールにやられたのか、救急車で運ばれる浴衣の女性。
まさに“ぷち阿鼻叫喚の地獄絵図”であった。

もっとああいうイベントでは、スタッフが強制権を行使していいと思うのだが…まぁ本当に悪いのは見物客なのだけれども…とにかく最後のほうは人間ばかりが気になってしまい、自分もその一員であることを棚に上げずっと、
「…人間て、醜いな。」
と思っていたのであった。ドーン。

木がー!線路がー!

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2005/08/12

「じいさまとばあさまの…。」

 名作アニメ「まんが日本昔ばなし」(TBS)が、10月から水曜午後6時55分のゴールデンタイムで、11年ぶりにレギュラー復活することが11日、分かった。75年1月に始まった同番組は、94年9月に終了。レギュラー放送952回を数えた。今回は、初期の名作をデジタル処理した新映像で放送。制作の毎日放送は「家庭がバラバラといわれる今だからこそ、家族そろって見て欲しい」と話している。
 新放送は10月19日スタート。新作ではなく、初期の名作を選んで放送する。毎日放送の丸谷嘉彦プロデューサー(58)は「人気もあり、評価も高い番組はそうない。今の子供たちにも、同じものを見てもらいたいと思った」と説明した。
 市原悦子、常田富士男の2人語りはそのままで、オープニング曲も花頭巾の「にっぽん昔ばなし」を当時のまま起用する。エンディング曲は「にんげんっていいな」。セル画1枚1枚を映像化していた当時の映像記録をデジタル処理。ハイビジョンにも対応している。(後略)(05・8・12『ニッカンスポーツ』

あの名作が復活!
昔よく見てたなぁ…。

以前、突然この『まんが日本昔ばなし』を思い出して、メディア化されていないかと調べてみたところ、“DVD化”はされていないで“ビデオ”にしかなっておらず(新聞の全面広告で見るアレ)、購入をあきらめたことがあった。

なので久しぶりにあの映像がテレビで見られると思うと嬉しい。

この流れで“DVD-Box化”なんてことになったら、はたして何枚組になるのだろう…恐ろしい…買ってしまいそうな自分が。

…それでは本日は…でん、でん、でぐりがえって、バイ、バイ、バイ♪

人類誕生(フロム桃)

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2005/08/11

「反語」です、「反語」。

 インターネットの自殺サイトを利用した連続殺人事件で、逮捕された人材派遣会社契約社員・前上博容疑者(36)が大阪府警の調べに対し、「快楽殺人をテーマにした(推理作家の)江戸川乱歩の小説を中学生のころに何冊も読み、影響を受けた」と供述していることが10日、わかった。
 (中略)前上容疑者は「中学生のころ、女性を窒息させる場面を描いた小説の挿絵に興奮した」と供述。小説の作者は江戸川乱歩だったと言い、「乱歩の作品を色々と読み、人を苦しめながら殺す内容のストーリーに興味を持った」と話した。(後略)(05・8・11『読売新聞』

「犯罪者を増長させる。」

「青少年に悪影響を及ぼす。」

…と、殺人事件の起こる度に、テレビ番組やインターネット、ビデオゲームなどを弾圧してきた評論家と呼ばれる正義家さんの方々は、江戸川乱歩の小説までもはたして弾圧するのだろうか、とふと思った。

(〈トラックバック〉●「御大の名が出るとは」05・8・11『はやたま』
●「今度は「小説規制」が始まるのかな?」05・8・11『閣下の憂鬱』
●「「乱歩に影響受けた」自殺サイト殺人の前上容疑者」05・8・11『(新)極私的視点ブログ』

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2005/08/10

佐々木、このまま引退しちゃうの?

 横浜牛島監督は佐々木の「引退登板」のために、本来の先発・門倉から主に敗戦処理の秦に変えた。佐々木は清原のワンポイント、その後に門倉を使う苦心の継投に「難しい先発だが、誰が出ても打たれる時はある」と話した。
 佐々木は10日に出場選手登録を外す。正式な引退試合は未定だが「横浜ファンの前でも投げてもらいたい」と希望した。(05・8・9『ニッカンスポーツ』

タイガースファンの私だが、98年のベイスターズが優勝した“あの時”は、横浜市民として素直に嬉しいと思っていた。
特に佐々木は、敵ながら“世界一のピッチャー”だと思わざるを得ない、素晴らしい投球をしていた。
横浜戦でマウンドに佐々木が出てきた時のあの、「もう勝てない」というガッカリ感と「大魔人を見ることができた」というワクワク感の入り混じった、複雑な気持ちが懐かしい。

「フォークとわかっていても振ってしまう…。」そんな黄金の右手の黄金像が鎮座していた横浜そごう前“ハマの大魔神社”に、友人と行ったことも思い出す。
あの頃の佐々木は本当に輝いていた。


それが、アメリカへ行き活躍した後、「家族との時間が欲しい。」と帰国した佐々木からは、その輝きはすっかり影をひそめていた。
伝説になりつつある横浜3連続本塁打被弾や、「フォークを待っていました。」とかつての黄金のフォークを狙い打ちにされるなどのマウンドでの不振に加え、帰国の理由とは大きく矛盾するアイドル女優との不倫→できちゃった再婚というプライベートの充実に、多くのプロ野球ファンはガッカリさせられてきた。


私は、どんなに実力が落ち込んでも、それでも現役にこだわり、すがり続けるスポーツ選手の姿は素晴らしいと思っている。
ただ、佐々木はチームやファンのことを全く考えない振る舞いで、かつての自らの栄光に泥を塗り過ぎたように思える。
だからせっかくの記念すべき引退なのに、何となく素直に「ありがとう」って言えないんだよなぁ…。

今回の引退登板も、自分の地元でマウンドに上がりたいがために横浜のファンを無視したもの。
そしてシーズン中盤、Aクラス入りを争っている大切なチームの状況を無視したもの。
仙台での登板に他人事ながら、「横浜ファンはどう思っているのだろう…。」とハラハラしていた私は、まずは上記の牛島監督の言葉に安心させられたのであった。

(〈トラックバック〉●「プロ野球の本質を見た」05・8・10『本日のコラム』
●「佐々木投手 引退登板。」05・8・10『さんさんDiary』
●「大魔神引退と番長の涙」05・8・10『タイトル未定2』
●「感動の男泣き。」05・8・10『やきゅうとあたしのにっき。』
●「佐々木の引退」05・8・10『なのやまぼやき日記』
●「佐々木対清原」05・8・10『ライフ・イズ・ビューティフル』

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2005/08/09

今こそ『ファミコンジャンプ』を!

「ジャンプキャラが夢の大乱闘!!」で話題のnintendoDSソフト、『ジャンプスーパースターズ』

でも…ジャンプ“スーパースターズ”なのに…なんで…

キン肉スグルがいないのーっ!?

大空翼クンがいないのーっ!?

モンモンがいないのーっ!?

これじゃ全然スーパースターズじゃないよ…。


思い出すのはファミコンソフト『ファミコンジャンプ』。

「『ゴッドサイダー』霊牙と、『ついでにとんちんかん』ぬけさく先生が、手を組んで、『北斗の拳』ラオウに立ち向かう!」

…なんてありえないシチュエーションに興奮を覚えたものだ。

よく裸でワゴンに乗せられて100円で売られているゲームだけれども、まさにあのゲームこそ“ジャンプスーパースターズ”だった。
私の大好きなファミコンソフトの1つである。

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2005/08/08

プロレスラーの判断基準

 JDスターが6日、拠点とする「新木場1st RING」で、元所属選手の東城えみが今月4日にリング上でAV撮影を行った件で見解を発表。 
同社は「(昨年退団した)東城選手の活動は一切関知していない」としつつも「使用規約に著しく違反した行為」としてAV製作会社の責任を追及。神聖なリングでの“本番行為”で会場や団体の信頼を失墜させた経緯から「損害賠償、販売差し止め等の法的処置も検討している」と訴えた。 
メーン後、東城とアストレスで同期だった桜花由美がマイクを手に「プロレスに愛情のない人たちのせいでプロレスの価値を落とされて悲しい。私たちはイロモノじゃない!」と涙の絶叫。桜花は「本当はあのリングに上がりたくなかった。死を覚悟して戦っているリングであんな行為をされたら黙っていられない。私たちの気持ちを分かってない」と猛抗議した。(05・8・7『デイリースポーツ』

女子プロレス興行団体「JDスター」のリングと、そのリング常設のホーム会場で、プロレスを引退していた同団体元所属選手東城えみが「勝ったら現役復帰・負けたら即AV撮影マッチ」を現役レスラー(ドレイク森松)相手にし、案の定負け、そのままリング上でAV撮影をしてしまった。
それに対して同団体及び同団体所属選手、そしてプロレスファンから激しい批判が巻き起こっている、というわけである。
ドレイク松森のHPは閉鎖され、団体はAV制作会社に対して訴訟も視野に入れているという。


プロレスラーはユニフォームが裸に近いためか、人よりも“脱ぐ”ことに抵抗が無いように思える。
“現役女子プロレスラーのヌード写真集”なども多いし、また“元女子プロレスラーのAV出演”というものも今まで存在していただろうし、また逆にプロレスを模し“AV女優がリング上で戦う”というものも存在していても、何も波風は立っていなかった。

今回のこともプロレスの興行では無くAVの撮影として行われたことだろうし、会場にいたお客さんも女子プロレスファンではなくAVの撮影を見に来た人達だったのだろう。
なのに、なぜこれがここまでの事件になったかというのは、この東城えみという“元”レスラーが、さも“現役”レスラーであるかのように、実際のプロレスのリング(しかもかつて所属していた団体の)で、実際にプロレスラー相手に、プロレスの試合をし、そしてその神聖なリングの上で…だからなのである。
そもそも「勝ったら復帰」と言っている時点で「プロレス復帰が可能」→「自分はプロレスラーである」と暗示しているようなもので、宣伝のために集められたスポーツ紙の記事では彼女はまるで現役女子プロレスラーのような扱いだったそうだ。
と、いうわけで今回の半現役レスラーによるこの行為で協力体制が敷かれていても確実にあった、プロレス業界とAV業界の境界線が、ことごとく破られてしまった。

吉田豪のように斜にプロレスを見ている人ならともかく、まっすぐに純粋にプロレスを見ている人にとっては、
「女子プロレスなんて所詮格闘技とは程遠い…」
という世間の声が聞こえてくるようで非常に哀しいのである。


私は女子プロレスは詳しくないのだけれどもこの東城えみという元選手、将来を有望視された若手レスラーだったそうだ。
しかし試合中に首の骨を折るという大事故で、引退を余儀無くされたという…。
華やかな世界に未練が残るのもわかるし、そこでAV女優という道を選ぶのも選択肢としては“アリ”だと思う。
しかし、なぜそこで、かつて自分がいたプロレス界に泥を塗るようなことをしてしまったのだろうか…なぜプロレスラーを名乗ったのだろうか…なぜコスチュームを着て戦ったのだろうか…なぜリングを使わなければいけなかったのだろうか…プロレス界に、よほどの怨みでもあったのだろうか…。


長い女子プロレスの歴史は、「イロモノ」と呼ぶ世間との戦いだった。
創成期にあった、会場に来るいやらしい好奇心のみのお客さんの目…それを変えたのはビューティペアやクラッシュギャルズダンプ松本・ブル中野・北斗晶堀田豊田アジャ神取…先人の女子プロレスラー達の激しい戦いや男子顔負けの危険な技、だった。
彼女達が命を賭けて、女子プロレスを、立派な格闘技として昇華させたのである。

なのにそれとは逆行する愚行に、いくら女子プロレスファンではない私でも、腹立たしさを覚えてしまう。


プロレスの世界にはライセンスや統一コミッショナーなどの制度が無い。
だから誰だってプロレスラーという職業には、なれる。
極端な話、私があしたから「オレがリアルプロレスラーだ!」と言い出せば、それだけでプロレスラーなのである。

それはもちろんプロレスにとっていい面でもあり、悪い面でもある。
星の数ほどいる自称他称含めた“プロレスラー”の中には、プロレスファンでさえ首を傾げたくなるような“プロレスラー”がいるのもまた事実、である。
結局、その判断を下すのは私達であり、そこに技術と体力と精神と、何よりプロレスへの愛着とプライドがあるかないかが条件なのだと思う。

(<トラックバック>●「東城えみAVデビューでJDスターが大激怒」05・8・7『悲しきアイアンマン』
●「他のレスラー達の気持ち」05・8・7『怠惰な観察の日々』
●「東城えみAV出演で、女子プロレスとAVの関係は?」05・8・7『女子プロレス&女子格闘技ブログ』
●「東城えみ、負けたら即AV出演マッチで敗戦」05・8・6『プロレス専門BLOG「ブラック・アイ」』
●「元女子プロレスラーAV出演」05・8・6『[混]ミックスランチ』

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2005/08/06

夏といえば…

新日本プロレス“G1クライマックス”!
悪い噂の絶えない新日本が、唯一まともにお客さんを満足させてくれる興行である。
そこには厳しい、純粋なプロレスがあるからだ。

しかし開幕前にお得意のゴタゴタ。
ジョシュ・バーネットが不参加になったのはとても残念だ。
ジョシュはG1でド派手に復活優勝して、新日のエースになって、IWGP獲って、PRIDEのリングに殴り込みに行って欲しかったのだけれども…それも夢に終わってしまった。
ジョシュが今イチバン、新日本プロレスという団体を愛していて、自分のプロレスに自信を持っているレスラーだと思うのだけれどなぁ。


今年は(も)、やっぱり蝶野に期待。
まだまだもう一花咲かせてもらいたい!
やっぱり新日本でイチバン華も格もあるのが蝶野であり、強さも巧さもあるのが蝶野であって欲しいから。

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2005/08/05

ミスタは日本人?

数字をその言葉の響きから忌む、という感覚はおもしろい。
“言霊”という文化を持つ日本人ならではのものなのだろう。

欧米人が忌み嫌う“13”は、『最期の晩餐』でのユダの数字であったり、キリストが刑に処された日付であったとされるところからきたそうで、そのことからも日本のそれは特殊であることが理解できる。

“4”は、「死」。
“9”は、「苦」。
そこには何も根拠が無く、こじつけだとさえ思えるものだからだ。

そんなこと言ったら…
“2”は、「憎」。
“3”は、「惨」。
だって何だってできてしまうよ!

しかもそんなたかだかこじつけのものを、私達は何となく、強く、恐れている、その心理がおもしろい。
だって“4階が無いホテル”、“4番の無い駐車場”、よくよく考えてみるとおかしいじゃない!


先日“かっぱ寿司”に行った。
「ピンポーン。注文お願いしまーす。」
ここのお店では、目の前のインターフォンを使って注文ができるようになっている。便利だなぁ。

しかしいくら待てども、自分の注文したおスシが廻って来ない。
待てども待てども…するとあることに気付いた。

私は奥から4番目の席に座っていたので、てっきり自分は
“4番のお客様”
だと思っていたら実は、
“5番のお客様”だったのだ!4番無いの!

気付いた時には主人を失いさまよっていた5番札のお皿には、カピカピに乾いたネギトロ軍艦巻きが…。
忌み過ぎるよ…カッパ寿司…。

無いよ4!4無いよ!!

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2005/08/03

ダーク夏休み

夕刻の情緒世は夏休み。
夏祭りや盆踊りも各町、色々なところで行われている。


土曜日の夕方、大山帰りに我が町に降り立つと、駅前駐車場で盆踊りの準備が忙しそうに行われていた。

フェンスには、子供達の描いた“夏休みの絵”がにぎやかに飾られてあった。

「盆踊り」「海」「昆虫採集」「おじいちゃん家」「スイカ割り」
…なるほどなるほど。時代は変わっても、子供達が夏休みに楽しみにすることは同じなのだな。

「かき氷」「金魚すくい」「家族旅行」「ラジオ体操」「ダースベイダー」
…えっ?
「ダースベイダー」!?

すいぶんダークな夏休みなのだね…。

証明写真みたい(上手!)

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2005/08/02

これじゃ、近況報告みたい。

色々やっていて、今日(というかきのう)の帰りは始発電車だった。

夏は朝の訪れるのが早い。
しらじらと夜があけてきたかな…と思っていると、どんどんどんどん朝はやってきて、あっという間に外は明るさにつつまれる。

すっかり明るくなった朝の5時、渋谷桜丘のふもとのゴミ収集場で、仰向けになりぐうぐう寝ているスーツ姿のおっちゃんがいた。いい季節になったなぁ…。


ところでバドミントンから2日…筋肉痛がついに来た。
階段がいつもの3倍、高く感じる。

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